北陸の寺院
「金龍山 實性院」(石川県加賀市大聖寺下屋敷町29)
(写真下:実性院本堂と境内入口(石川県加賀市大聖寺下屋敷町)<*2023年6月25日午後訪問撮影>
(写真下:実性院入口脇の案内版、2023年6月25日午後訪問撮影)
実性院(じっしょういん)
”実性院は、大聖寺藩歴代藩主の菩提寺であり、御霊屋・前田家廟所などは当時の面影を残し、古くから「萩の寺」として知られています。また境内の苔も美しく、禅寺様式の落ち着いた風情をただよわせています。”
(写真下:実性院の受付で配布の三つ折り資料、2023年6月25日午後訪問受領)
金龍山実性院は、通称「萩の寺」「白萩の寺」として親しまれている加賀曹洞宗の寺院。大乗寺実性院の創建の最初は、寛永16年(1639年)に大聖寺藩が立藩され、大聖寺藩初代藩主前田利治(1618年~1660年、加賀藩3代藩主・前田利常の3男)に従い入封した老臣・玉井市正が、寛永18年(1641年)金沢で師事していた通外祇徹和尚を大聖寺に招き、岡村に一庵を設けたことから始まり、祇徹和尚遷化の後、正保元年(1644年)、弟子・天柱響補を金沢から招き新手馬手寺院として開山し、開山を祇徹和尚、開基を市正の父とし、その法名・廓庵宗英居士から寺号を霊光山宗英寺と称している。
万治3年(1660年)に、大聖寺藩初代藩主・前田利治が江戸屋敷で死去し遺体を大聖寺まで運んで荼毘に付し、まだ大聖寺藩の菩提寺がなく霊光山宗英寺に仮安置し葬儀を行い、前田利治の法号「実性院殿機雲宗用大居士」より寺名を実性院と改め、翌万治4年(1661年)元の岡村から現在地に実性院を移し山号を霊光山から金龍山に改称。現在の実性院本堂は、寛文5年(1665年)に建てられたもので、木造平屋建、寄棟、桟瓦葺、正面千鳥破風、玄関屋根軒唐破風、桁行13間、建築面積493.3㎡、江戸時代初期の寺院本堂建築の遺構として貴重な事から平成23年(2011年)に加賀市指定文化財に指定。
歴代の大聖寺藩主の菩提寺となり藩主から庇護され、本堂はじめ諸堂が随時整備され、前田家廟所(初代から14代まで)と歴代藩主とその家族、殉死者を祀った位牌を安置している御霊屋(みたまや)が貴重。
(写真上:大聖寺藩前田家廟所、2023年6月25日午後訪問撮影)
実性院の向かって左側の裏の墓所の石段を登った一番上のエリアに墓所が広がっている。
(写真下:実性院受付で配布の配管案内図、2023年6月25日午後訪問受領)