北陸関連の歴史事件 第1回 「富山藩家老・山田嘉膳暗殺事件(1864年7月1日)」

山田嘉膳(やまだ・かぜん)(1805~1864)は柳川藩(福岡県)の人ながら、富山藩家臣の養子となり、下級武士の出身ながら、幕府や他藩などとの交際能力に優れており、何より西洋式軍制の知識を持っていたことから急速に昇進し、安政6年(1859)富山藩家老に就任。この頃富山藩では加賀藩の政治介入が始まり、これに反発した家老たちが嘉膳を家老に任じたが、現実路線の改革派が台頭し、軍事の充実と藩政の改革に乗り出し、そのリーダーが下士から昇進して家老職に就いた山田嘉膳であった。

山田嘉膳は、幼少の13代藩主利同を加賀藩より迎え、加賀藩との摩擦を少なくし、藩の立て直しを図り改革を推進しようとするが、代々の譜代で、山田嘉膳と対立して年寄の指導的地域を追われた守旧派の年寄・滝川玄蕃は甥の入江民部や林太仲・千秋元五郎(妻は林太仲の姉)・島田勝摩等の中下層藩士と結んで、江戸家老・山田嘉膳と激しく対立する。1863年(文久3年)5月に入江・林等6名は連名で金沢御用部屋大村肴次郎を通じて、自身の富山藩ではなく宗藩加賀藩の第12代藩主・前田齊泰へ建白書を献じた。

山田嘉膳に反対の立場を取る改革派の藩士とは、当初、入江民部、林太仲、千秋元五郎、吉川輿衛、半田幸左衛門、島田勝摩、藤田太郎兵衛の7人。議論を繰り返す中、富山藩の改革のため、加賀本藩の藩主・前田斉泰に宛てて建白書を出すことを計画。この段階で、藤田太郎兵衛は脱落したため、残りの6人で金沢へ向かい、名指しはしていないが、家老山田嘉膳の不正を糾弾する建白書を横目の大村肴次郎に提出。しかし、藩には無届で国を離れたことから、藩士たちは蟄居・謹慎を命じられ、それから1年余りたっても、厳然たる証拠がないため、山田嘉膳には何らの処分も行われることがなかった。そこで遂に6人の1人、富山藩士・島田勝摩(御先手廻組)(しまだかつま、1841年~1865年。本姓は山崎。実父は山崎藤兵衛)が、山田嘉膳暗殺を決意し、山田嘉膳の登城を狙い、元治(げんじ)元年(1864)城内三の丸で、山田嘉膳を斬殺。

改革派の7藩士:
入江民部、林太仲、千秋元五郎、吉川輿衛、半田幸左衛門、島田勝摩
(単独で暗殺実行)
藤田太郎兵衛(途中で脱落)

島田勝摩は、暗殺実行後、山田嘉膳の首をもち、旅籠町の旅館島屋に駐在していた、加賀藩横目の服部立左衛門のもとに出頭。服部は、島田勝摩を島屋に留め置き、直ちに富山城に登城し家老たちと協議し、島田勝摩の身柄を取り敢えず組頭の青木三郎に預けることを決定。翌年1865年正月、島田勝摩は金沢公事場で取り調べを受け、切腹となり、富山に護送され、1865年3月2日、青木邸の表座敷で切腹(25歳)。一方、山田家への処分については、父親・嘉膳の仇討ちを行わなかったことから、長男・山田鹿之助、次男・宮地鑣馬ともに野積谷(現・富山市八尾町)へ流刑になったとも言われる。この山田嘉膳暗殺事件の顛末については、反山田嘉膳の立場から入江民部の依頼により描かれた「越富奇談島山物語絵巻」が残存(上記の暗殺場面の画像も、この3巻55場面から成る絵巻の一場面。

この島田勝摩による家老山田嘉膳暗殺事件に直接関係しなかった林太仲ら反山田嘉膳の立場であった人々が、咎められず、その後、今度は新たな改革派として進出し滝川玄蕃を排斥し、山田嘉膳土曜の西洋式軍制改革などの施策を進めていくことになるなど、藩内の重心として活躍することになる。暗殺事件に直接関係しなかった入江民部や林太仲らは長崎行きを命ぜられ、そこで開眼し改革派に転じたとみられている。なお、この6代目・林太仲(1841年~1916年)は、1865年から68年まで長崎に藩命で遊学し、維新期には富山藩の大参事を務めた人物。

なお、途中で計画を中止させようと仲間を説得するも聞き入れられず、やむなく同盟から外れた藤田太郎兵衛(通称。号は呉江。1828-1885)は、若い頃より学問に秀で、江戸に出て儒学などを学び、嘉永6年(1853)に藩に召し返されて、26歳で藩校・広徳館の教師に任じられたりした。建白書提出にも加わらず、山田嘉膳にも内通していたという行為によって、のち“犬武士”とも評されてしまうが、血気はやる藩士たちをなだめ、嘉膳には反対派の内部の状況を知らせ、藩内の争いを未然に防ぎたかったからという見方も存在。その後、戊辰戦争で奥羽越列藩との北越の戦で活躍し、明治2年、新政府のもと富山藩も改革を行い、藤田呉江は藩の江戸留守居役で幕府との連絡や他藩との交渉を行う役目の「公用人」という大変重要な役職に就任で再び江戸に住み、廃藩置県の後は地方官庁に勤めるも退官後は、狩野派、文人画を本格的に学び,画家としても活躍。

暗殺された山田嘉膳の屋敷は富山城大手門のすぐ南にあり、その屋敷門は、富山城内にあった門で移築されて残っている家臣の屋敷の門2件のうちの1件で、その屋敷門は、安政・文久年間の火事以降に建てられ、明治以降に郊外に移築され現在まで残った貴重な木造遺構。<現在:浄土真宗 教順寺(きょうじゅんじ) 所有(富山市塚原)>

<主な参考文献:富山市郷土博物館 特別展「幕末動乱と富山藩」図録(富山市郷土博物館 編集発行、2018年>

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