北陸の文学碑 「森山啓文学碑」<安宅公園内>(石川県小松市安宅町)
北陸の文学碑 「森山啓文学碑」<安宅公園内>(石川県小松市安宅町)
(写真下:「森山啓文学碑」(安宅公園内)(石川県小松市安宅町)、2025年3月27日午後訪問撮影)
森山啓 文学碑
かれらは、永劫止むこともないやうな 潮騒と松風の音に包まれ、触れあふ手さへ全身に 燃え上るもののために震へた。 「遠くの人」より 森山 啓
(写真下:「森山啓文学碑」福(安宅公園内)(石川県小松市安宅町)、2025年3月27日午後訪問撮影)
森山 啓
本名 森松慶治 明治三十七年 新潟県に生る。詩 評論 小説などの創作活動に入り 遠方の人、萱原、海の扇などの作品を発表。昭和十六年、東京より妻のふるさと小松に移住。梯川や手取川流域の歴史と風土を愛し、謙虚で詩情に充ちた作風で知られる。昭和五十年十一月
(写真下:「森山啓文学碑」標石(安宅公園内)(石川県小松市安宅町)、2025年3月27日午後訪問撮影)
森山啓(本名:森松慶治、1904年~1991年)氏は、富山人出身の両親(父親は本礪波郡野尻村出身で現南砺市、母親は西砺波郡戸出町出身で現高岡市)のもと、旧制中学教師であった父親が富山県立富山中学から明治36年(1903年)に新潟県村上中学に転任となり、新潟県岩船郡村上本町(現・村上市)で1904年(明治37年)3月10日に生誕。その後、父親が新潟県立高田中学の教師に転任し、新潟県内の高田市に転居するも、新潟県での生活は生後4歳半までで、1908年11月末には、父親が富山県立高岡中学に転任により、家族で新潟県高田から富山県高岡に移住となり、その後は小学2年修了の1912年春までの約3年半は富山県高岡市在住。その後は父親が福井県立福井中学の教師となり、森山啓 氏は、1912年4月の宝永小学3年から1916年に福井中学に首席で進学。1920年秋、金沢の第四高等学校に入学までの約8年半は家族と共に福井市内で生活。2度の福井市の実家での長期の病気休学もありながら金沢で第四高等学校学生生活を過ごし、明治後半・大正時代の幼少から小学・中学・高校の学生生活は、富山・福井・石川の北陸各地で暮らし北陸に非常にゆかりがある。
1925年4月、東京帝国大学文学部哲学科美学科に入学。東大美学科在学中に、福井県坂井郡高椋村(現・坂井市丸岡町)出身の中野重治と親交を持ち、プロレタリア芸術運動に携り、1928年に大学を中退。弱体化しているプロレタリア文学運動立て直しの有力な担い手の一人として、大変な生活苦の中で華やかな文学的活躍は注目されるも、その後「転向」。1941年(昭和16年)8月、夫人みよさんの生まれ故郷で家族の待つ石川県小松市に疎開し移住。1942年には『海の扇』で新潮社文芸賞を受賞。その後も長く石川県小松市で作家活動を続けていたが、1978年10月、40年近く住んだ小松を離れ石川県松任市(現・白山市)に転居し1991年に松任市の病院で死去(享年87歳)。1925年から1941年の16年間の期間は東京ながら、37歳の1941年から87歳の1991年病没までの後半生の約50年も、北陸の石川県(小松市・松任市)で長らく過ごすが、特に石川県小松市に長らく住んだ著名な作家というだけでなく、地方文化の向上のために、特に小松市の文化活動の先頭にたってきた作家。
生前の1975年(昭和50年)11月9日、石川県小松市安宅町の安宅住吉神社がある安宅公園に、森山啓文学碑(碑文は森山啓著作「遠方の人」より)が、森山啓文学碑建設委員会(会長:川良雄)によって、建立されるが、文学碑建設の話には、森山啓 氏は、即座に固く断るも、建設委員会の方が大きく膨らみ、自然発生的に募金へと進み、また生前に文学碑を建てない方がいいと森山啓 氏は考えていたが、建設発起人が今まで世話になった人々だったこともあり、強く辞退できずに、生前の文学碑建設が進んだ模様。森山啓文学碑の落成式では、近くにある与謝野晶子の歌碑を指しながら、「私の作品など、わたくしの全生涯の作品を合わせても、あの与謝野晶子さんの『みだれ髪』一編にも劣るのです。」と謙虚な挨拶をされたとのこと。文学碑の碑身は、高140cm、横250cm、厚40cmの木曽石に、スェーデン産御影石の碑面(縦50cm、横77cm)がはめ込まれていて、他に、副碑と標石が添えられている。
森山啓 氏の数多い著作の中の代表作の一つでもある小説「遠方の人」は、1941年(昭和16年)雑誌「文学界」5月号発表後、1941年(昭和16年)12月、小説集「遠方の人」(甲烏書林)に再録され、1948年(昭和23年)4月に、改作された作品を収録した小説集「遠方の人」(新潮社)が刊行されているが、この森山啓文学碑の碑文は、「遠方の人」改作版の巻末二行が刻まれている。安宅住吉神社がある安宅公園(石川県小松市安宅町)は、安宅関跡を中心とした防風林の松林に囲まれている日本海の海辺の歴史公園で、森山啓文学碑は、安宅関跡や与謝野晶子歌碑近くに建っている。
(写真下:安宅公園案内図(石川県小松市安宅町)、2025年3月27日午後訪問撮影)