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北陸を舞台とする小説 第16回 「風の盆恋歌」(高橋 治 著)
北陸を舞台とする小説 第16回 「風の盆恋歌」(高橋 治 著)
「風の盆恋歌」(高橋 治 著、新潮社、1985年4月発行)
<『小説新潮』1984年6・7月号に「崖の家の二人」と題して掲載、刊行に際し改題>
<著者略歴>高橋 治(たかはし おさむ)(単行本掲載著者紹介より・1985年発行当時)
1929年(昭和4)年、千葉市に生まれる。金沢の第四高等学校を経て東京大学文学部国文学科を卒業。松竹に入社し、1960年より監督作品を発表、並行して戯曲も執筆する。1965年松竹を退社、本格的な作家活動に入る。1984年、第90回直木賞を受賞。主な著書に『派兵』(朝日新聞社)、『絢爛たる影絵』(文藝春秋)、『秘伝』(講談社)、『自白の構図』(文藝春秋)『別れてのちの恋歌』『風の暦』(新潮社)などがある。<著者略歴>高橋 治(たかはし おさむ)(1929-2015)(新潮文庫 2022年 57刷より)
千葉県千葉市に生れ。金沢の旧制第四高等学校を経て、東京大学文学部国文学科を卒業。松竹入社後、1960(昭和35)年より監督作品を発表。1965年松竹を退社し、作家活動に入る。1983年『秘伝』で直木賞受賞。1988年『別れてのちの恋歌』で柴田錬三郎賞受賞。1996(平成8)年『星の衣』で吉川英治文学賞受賞。主な著書に『風の盆恋歌』『花ものがたり』『さまよう霧の恋歌』『絢爛たる影絵』『春朧』『短夜』など。
本作『風の盆恋歌』は、富山県八尾町の「おわら風の盆」に材を取り、テレビドラマ・舞台・映画・楽曲などと原作活用が広がったベストセラーの恋愛小説で、『秘伝』で直木賞を受賞した著者・高橋治(1929年~2015年)の最も知られ人気の高い代表作。高橋治は、昭和4年(1929)千葉県千葉市生まれの映画監督から作家に転じた直木賞受賞の小説家・劇作家で、終戦の年(1945年)に金沢の第四高等学校に入学し、東京大学文学部国文学科に進み、大学卒業後、昭和28年(1953年)に松竹大船撮影所に入社。1960(昭和35)年に「彼女だけが知っている」で監督デビューし、大島渚らとともに松竹ヌーベルバーグのひとりと言われ活躍するが、1965年(昭和40年)に松竹を退社し、作家活動に入る。巨魚と格闘する長崎の老釣り師の生きざまを描いた「秘伝」で1984年に第90回直木賞を受賞。その年に『小説新潮』1984年6・7月号に「崖の家の二人」と題して掲載発表し翌年(1985年)改題し本書の単行本が刊行された。
ストーリーの主舞台は、「おわら風の盆」で全国的に有名な富山市八尾町。本書が書かれた時代は、越中八尾と呼ばれる富山県婦負(ねい)郡八尾町(やつおまち)で、2005年4月の平成の大合併で富山市に合併。かつては養蚕や漆器で栄えたこともあったが、今の八尾には産業らしい産業もなく、普段はひっそりと息をひそめた町であるが、年に一度、毎年9月1日から3日にかけての風の盆の3日だけ、別の町になってしまったような興奮が来ると言われる「おわら風の盆」と呼ばならわされた年中行事が全国的に有名。独特な音色を出す胡弓が加わった民謡越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、人々はのびやかに歌い、歌にあわせて艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊りと緩やかな振りの踊りを舞う。本書での、おわら風の盆の民謡と踊りの描写は、非常に詳しく且つ美しい。
東京の大新聞社の外報部長・都築克亮(つづき・かつすけ)は、長いヨーロッパ駐在から東京の本社に帰った年に(具体的な年の明記はないものの、本書内容から1974年と推定)無性に風の盆が見たくて休暇をとり、富山の八尾を訪れ、その翌年、更にその翌年も、おわら風の盆の時に、八尾を一人で訪れる、八尾で知り合った八尾町諏訪町のおわら保存会長の清原親明から、斜め向かいの家が不幸があり売りに出されているという話を聞き、東京に住む都築克亮が、風の盆の3日間だけ使うために、その八尾町諏訪町の売りに出された家を、弁護士の妻・志津江に知らせずに買う。その家の管理は、八尾町在住の一人暮らしの老女・太田とめが任される。風の盆の3日間だけ使うために、東京在住の男が、八尾の家をどうして購入するのかが、太田とめをはじめ、誰も知らないが、読者も非常に気になるところ。
加えて、都築克亮が八尾の家を購入した翌年(1977年と推定)から3年間は、おわら風の盆の時に、都築克亮が一人だけで八尾の家を使用し、同行者もなく、また都築の八尾の家を訪ねる者もいなかった。本書の章構成も見事で、風の盆らしく、序の章の書き出しから、風の章、歌の章、舞の章と続き、盆の章で物語の結末を迎えるが、この「序の章」では、八尾の家の管理を託された八尾出身在住の老女・太田とめの視点から物語の序章が述べられる。八尾出身在住の老女の人生の紹介からも八尾の町の様子が描かれるが、”八尾の町では、どこにいてもこの雪流し水の音が耳に入って来る。坂の町であるばかりでなく、八尾は水音の町なのだ”とも表現されている。
物語の本編が「風の章」から始まるのは、太田とめが八尾の家の管理を任され、都築克亮が富山のホテルではなく、八尾の買った家で風の盆の期間を迎える4年目(1980年と推定)の9月1日の場面から。東京からの新幹線を米原で特急に乗り継ぎ、富山で高山線に乗り換え八尾駅で下車して八尾の諏訪町の自分の家に向かった都築克亮は、八尾の家の狭い前庭に、誰が植えたものか分からない、一輪の八重の芙蓉の花(酔芙蓉)が咲いているのを見つける。ここで、”ゆめにみし人のおとろへ芙蓉咲く”と、久保田万太郎の句が、頭をかすめるあたりがカッコいいが、その日の夕方、中出えり子という一人の女性が、「・・とうとう来ちゃったわ・・ここは八尾なのね」と、八尾の諏訪町の都築克亮の家に現れる。
東京の大新聞社の外報部長を務める都築克亮は、東京で弁護士の妻・志津江と二人暮らしで、もともと岐阜県の農家の息子で、終戦直後、金沢の四高に入学。その後、東京の大学に進学し、大新聞社ではニューヨーク、ロンドン、サイゴン、ジュネーブなどでも働き、ベトナム戦争のテト攻勢のサイゴンや、パリのベトナム和平会議、中東戦争などを取材してきた。金沢で3年間、学生時代を過ごし、最初は政治運動の学生運動にも関わりながら、次第に親睦だけの付き合いに代わっていった学生グループ仲間に、後に都築克亮の妻となる志津江や、同じ学生グループの仲間の一人で小松出身で二年浪人して四高に入り、京都の大学を卒業して、国立病院で心臓外科医となった中出の妻となった、えり子もいた。えり子と志津江は同じ女子専門学校の昔からの友人だった。この学生グループの旅行で、都築たちが最初に風の盆を見に行ったには、昭和23年(1948年)で、その後、二、三度は同じグループでみんなと連れ立って、八尾におわらを見に行っていた。
都築克亮とえり子は、金沢での学生時代に互いに心を通わせながらも、都築克亮が東京の大学に進学した後、1952年(昭和27年)夏、卒業論文の資料集めで金沢に一時戻った折に、仲の良かった学生グループ仲間で八尾のおわら風の盆に行った時の誤解とすれ違いもあり、その後、同じ学生グループの中で別々のメンバーと家庭を持つことになる。二人は離れ離れに20年越しの思いを抱えながら別々に生きていたが、1973年秋、パリ支局に勤務の都築克亮のもとに、夫のパリでの学会に同行し、パリに来た中出えり子から突然電話を受け、二人はパリで再会。吹きすさぶ嵐のフランスのノルマンディ海岸に停めた車の中で、「もう一度、一度きりでいいから、あなたと風の盆に行ってみたい・・・。ね、私を風の盆に連れて行ってください」と、中出えり子から懇願される。このフランスでの20年越しの2人のやり取りも秀逸だが、それから7年後の八尾での2人の忍び逢いのシーンも美しい。八尾での2人の出会い以降の、その後の二人の手紙のやりとりの「歌の章」も素晴らしく、翌年(1981年)の八尾での風の盆の再会と旅は「舞の章」で、更にその翌年(1982年)秋の八尾での大人の恋の儚さと悲しい結末は終章の「盆の章」で美しく描かれている。
当然、富山県の八尾は主舞台で、八尾町11町のうち、都築克亮が買った家がある場所は諏訪町で、それ以外でも東新町、東町、上新町、西新町、鏡町などが登場する。が、主舞台の富山県八尾だけでなく、本作品は、石川県や福井県も物語の重要な場面で登場する。都築克亮たちの学生時代では、学生時代を金沢で過ごしていることもあり、河北潟や内灘砂丘、大野川の河口のシーンがある。内灘は、現・石川県河北郡内灘町だが、1962年の町制施行で内灘町となり、本書での内灘の登場場面は、戦後すぐなので、内灘村(1889年の町村制施行から)。1952年(昭和27年)夏の金沢の外港金石(かないわ)での若い都築克亮とえり子の二人の出来事も非常に綺麗。東京の大学に進んでいた都築が卒業論文の資料を集めるために久しぶりに金沢を訪れ、銭屋五兵衛が金沢の外港金石町に残したものだという三階建ての蔵一杯につまった俳書の調査で、加賀の金沢出身の江戸時代中期の俳人・掘麦水(1718年~1783年)の作った句をできるだけ多く拾い集めるという作業を二人が行う場面。北前船の寄港地で繁栄した金石は1943年に金沢市に編入合併されているが、この物語では、鉄道の駅が登場。これは1971年廃業の北陸鉄道金石線の金石駅かと思われる。
更に、1981年秋、都築克亮と中出えり子の2人が、八尾町諏訪町の家で2年目の風の盆を過ごした後の八尾からの帰りの旅のルートが非常に興味深い。中出えり子が牛首紬の事で、石川県白峰村(2005年に白山市に新設合併)を寄る事にはなっていたが、金沢経由ではなく、八尾から南下し、岐阜県に入り、国道360号線(1975年制定)を通って、飛騨市・白川村を経て石川県白峰村に入るルートを選択。途中、泉鏡花「高野聖」の舞台の天生(あもう)峠(岐阜県大野郡白川村)を通過。更に、石川県白峰村の宿で宿泊後、翌日は鶴来から金沢に下りる予定を変更し、白山の西を福井県の大野市に下り、平野部を横断し、越前海岸に出て、昔の北陸線の杉津(すいづ)駅の跡に立ち寄る。そして、大半の区間は1962年に廃止された北陸本線旧線跡を転用した福井県道207号線(今庄杉津線)で今庄に向かうが、この福井県道207号線(今庄杉津線)が、道が狭く車のすれ違いが出来ないトンネルがいくつも続く、なかなかの危険道だが、この狭いトンネルの出入りを、光の世界と闇の世界と表現している事には驚いた。この旅の道中では、二人の危うい大人の恋の行方を予感させる道行とか世話物の会話が、近松の文楽「大経師昔暦」や西鶴「好色五人女」などの話も交え、車中で繰り広げられている。
目次
序の章
風の章
歌の章
舞の章
盆の章
<主なストーリー展開時代>
・1980年秋~1982年秋、(回想)1973年秋~1980年、1940年代後半~1952年秋
<主なストーリー展開場所>
・富山県婦負郡八尾町(現・富山市)
・石川県(金沢、金石、内灘、白峰村)
・福井県(大野市、越前海岸、杉津、今庄、敦賀)
・岐阜県(飛騨市・白川村)
・フランス(パリ、ノルマンディのフェキャン)
・東京(*都筑克亮・志津江が住む生活の場)
・京都(*中出えり子と家族が住む生活の場)
・大阪(*中出えり子と娘の小絵が一緒に文楽を見に行く)
<主な登場人物>
・都築克亮(つづき・かつすけ)(東京在住の大新聞社の外報部長)
・中出えり子(京都の山科在住)
・志津江(都築克亮の妻で、50歳近くの弁護士)
・中出(中出えり子の夫で国立病院の心臓外科医師。小松出身で四高、京都の大学を卒業)
・中出小絵(中出えり子の大学生の一人娘)
・太田とめ(八尾町の東町生まれで都築克亮が八尾の諏訪町に買った家の管理人。亡き夫は和菓子職人)
・清原親明(八尾町諏訪町在住で、おわら保存会長で抜群の踊り手で元教員)
・杏里(清原親明の娘)
・水谷修一(八尾町上新町で『華』という喫茶店を経営しながら刀を鍛つ)
・水谷三枝子(水谷修一の妻で山あいの村から嫁ぐ)
・岸田まき子(八尾で「古径」という骨董店を営んでいる女主人)
・谷口妙子(八尾町鏡町の若い踊りの名手で、清原杏里とは小学校からの同級生)
・永吉広美(牛首紬を再興した北山産業切っての織り手の一人で30がらみの女性)
・八尾町上新町の蒲団屋
・八尾と思われる植木屋
・都築克亮が勤める新聞社の次長
・都築克亮が勤める新聞社で同期で編集局次長から編集局長に昇進する男性
・山田(都築克亮が勤める新聞社のベイルート支局特派員)
・山田(都築克亮が勤める新聞社のベイルート支局特派員)の新婚の妻
・都築克亮が勤める新聞社の弁護士
・村木(都筑克亮やえり子たちと金沢での学生時代のグループメンバー)
・金石町の蔵のある家の主人(俳人で医院を開業)
・坂野雄一(都筑克亮と四高の同級生で、金沢の古い坂や町名の石碑の字を書いている)
・長沢辰巳(中出小絵の見合い相手で、阪大の医学部から中出えり子の夫の務める国立病院に就職)
・小野田幸一(キリスト教系の大学で神学を学ぶ中出小絵の恋人)
・白峰村の宿の女中
・都築克亮が親しくしている医者
・都築克亮が親しくしている医学部出身の科学部の記者