北陸の作家ゆかりの地「中野重治生家跡」(福井県坂井市丸岡町一本田)

北陸の作家ゆかりの地 「中野重治生家跡」(福井県坂井市丸岡町一本田)

(写真下:「中野重治生家跡」の重治碑と石標(福井県坂井市丸岡町一本田)(2026年3月1日午前訪問撮影)*東南側にあり東側に向いた写真


福井県出身で日本近代文学を代表する作家である中野重治(1902年~1979年)は、明治35年(1902年)福井県坂井郡高椋村一本田(現・福井県坂井市丸岡町一本田)に生まれた文学者で、東京帝国大学へ進学後、昭和初期にプロレタリア文学の新時代を担うも、治安維持法違反で検挙され転向するが、その後も言論統制の厳しい社会情勢の中でも書き続けることを決意し、「村の家」などの転向5部作を執筆。戦後は社会批評を展開するとともに、故郷の暮らしをふる里の言葉を用いて描いた自伝的小説「梨の花」などの名作を執筆。小説「甲乙丙丁」で1969年度野間文学賞を、さらに、小説、詩、評論など多年にわたる文学上の業績で1978年1月、1977年度朝日賞を受賞するが、1979年(昭和54年)8月24日、胆嚢癌により東京女子医大病院で死去(享年77歳)。

1980年(昭和55年)に、福井県坂井郡丸岡町(現・坂井市)の一本田の中野重治の生家跡地が、丸岡町に遺族より寄贈され、その生家の屋敷跡の前庭(南側の門跡から屋敷跡に入った東側で、生家跡の南側)には、1980年(昭和55年)に、戎居研造の設計による井桁にくまれた中野重治碑が建てられ、文芸評論家・フランス文学者の寺田透(1915年~1995年)の筆による「中野重治ここに生まれ、ここにそだつ」とだけ刻まれた。岩波文庫の「梨の花」の解説も寺田透が担当。中野重治碑の前に建つ「梨の花の故地」の石標もすべて中野家に使われていた石とのこと。尚、1982年には、中野重治の蔵書1万3千冊余が丸岡町に寄贈され、翌1983年5月に、中野重治文庫記念丸岡町民図書館として開館している。また、1988年には、中野重治が生前執筆活動をしていた書斎を、東京・世田谷より、中野重治生家跡の西南側に移築している。

(写真下:「中野重治生家跡」(福井県坂井市丸岡町一本田)(2025年12月6日午前訪問撮影)*昔は門があった屋敷入り口の南側から見た生家跡

(写真下:「中野重治生家跡」(福井県坂井市丸岡町一本田)(2025年12月6日午前訪問撮影)*屋敷内の南側から見た生家跡

(写真下:「中野重治生家跡」(福井県坂井市丸岡町一本田)(2025年12月6日午前訪問撮影)*屋敷内の北側から見た生家跡

(写真下:「中野重治生家跡」に移転した生前の東京の家の書斎(福井県坂井市丸岡町一本田)(2025年12月6日午前訪問撮影)

(写真下:「中野重治生家跡」(福井県坂井市丸岡町一本田)(2025年12月6日午前訪問撮影)*屋敷の北東側から見た生家跡

中野重治(1902年~1979年)は、明治35年(1902年)福井県坂井郡高椋村一本田(現・福井県坂井市丸岡町一本田)の自作農で小地主の中野家に、父・藤作(1866年~1941年)と母・とら(1873年~1950年)の次男として生まれ、父親が大蔵省煙草専売局や朝鮮総督府に勤務し留守にしていたため、少年期は祖父母(1924年5月死亡の祖父・治兵衛、1914年6月死亡の祖母・みわ)に育てられた。1908年4月、第三高椋尋常小学校に入学し、その後、改称した高椋西尋常小学校を卒業した中野重治は、1914年(大正3年)4月、福井城内にあった福井県立福井中学校に入学。福井市松本の興宗寺で下宿生活を送り、1919年3月に福井中学校を卒業。1919年9月に、金沢の第四高等学校文科乙類に進学し、ふる里・福井を離れることになる。

中野重治は、金沢の第四高等学校を1924年3月に卒業し、同年4月に、東京帝国大学文学部ドイツ文学科に進学。入学の翌年、社会変革を志す若い知識人を集めた東京帝大新人会に入会する一方で、同人雑誌『裸像』や『驢馬』を創刊し、この両誌に後の『中野重治詩集』(1931年)53篇中の45篇を発表。1927年3月、東京帝国大学文学部ドイツ文学科卒業後は、文芸雑誌『戦旗』の創刊・編集に携わるなど、プロレタリア文学運動の新時代の中心になった。1932年4月、中野重治は治安維持法違反で検挙され、5月に東京の豊多摩刑務所に収監され、約2年後の1934年5月に、共産主義運動を捨てることを約束し懲役2年執行猶予5年の判決を受けて出獄釈放される。言論統制の厳しい社会情勢の中でも書き続けることを決意し、権力の厳重な監視下で、ふる里の父親とのやりとりを描いた「村の家」などの転向五部作や『斎藤茂吉ノオト』、森鷗外論などを執筆。終戦後は新日本文学会の創立メンバーとして活躍、「文学者の国民としての立場」など社会批評を次々と発表。その後も、政治と文学の問題を生涯にわたり追究し続け、1969年に小説『甲乙丙丁』で野間文芸賞を、また小説、詩、評論など多年にわたる文学上の業績で1977年度朝日賞など数々の賞を受賞。中野重治は「なつかしさ限りない」ふる里を離れて文学者としての多くの仕事を成し遂げ、1979年8月24日、胆嚢癌により東京女子医大病院で死去(享年77歳)。

中野重治関係の昔の写真は、日本近代文学館提供の「中野重治生家の門」や「1914年 生家の庭での家族の集合写真」などが残されており、中野重治生家の様子を偲ぶことができる。ちなみに1914年(大正3年)は中野重治が福井市の福井中学に進学した年であり、同年6月には祖母みわが死去。福井県坂井郡高椋村一本田(現・福井県坂井市丸岡町一本田)の生家の庭で、中野重治の祖父・治兵衛を中心に、父・藤作、母・とら、兄・耕一(1892年~1919年)、福井中学生の中野重治、3人の妹、鈴子(1906年~1958年)、はまを(1909年~1932年)、美代子(1913年~1960年)が写っている。中野重治が小学校から中学校に入学する頃までの少年時代を書いた自伝的長篇小説「梨の花」(1957年1月から1958年12月完結で、雑誌「新潮」に連載され、単行本「梨の花」が新潮社より1959年5月に刊行)は、中野重治が第三高椋尋常小学校(卒業時には高椋西尋常小学校に改称)に入学した1908年(明治41年)から、福井城内にあった福井県立中学に入学した1914年(大正3年)にかけての丸岡一本田とその近郊を舞台に、当時の農村の生活と風物を生き生きと浮かびあがらせながら、その中で感受性豊かな少年が成長してゆく姿を描いた作品で、「梨の花」を読む上でも、中野重治の生家跡と近郊を訪ねていると、理解が深まるはずだ。

生家跡の敷地の東北の場所には、中野重治の妹の詩人・中野鈴子(1906年~1958年)の詩集「花もわたしを知らない」のタイトルを刻んだ詩碑が建てられているが、これは、「わたしの墓は、やしきの中に作って下さい。花もわたしを知らないときざみ込んでください。」と書かれた「自筆遺言」をうけて、中野鈴子歿後11年目の1969年1月に、中野重治により建てられた。彫塑家雨田光平が製作し、彫り込んだ文字は、東京在住、中野重治の長女で中野鈴子の姪の鰀目卯女の筆になる。中野鈴子は1924年、1926年と、18歳、20歳で、郷里で強いられた二度の結婚に反発し離婚。1929年に兄の中野重治を頼って上京し、「戦旗」「ナップ」に詩・小説を発表しプロレタリア作家として注目を浴び、また宮本百合子、佐多稲子らと「働く婦人」を編集し、全日本無産者芸術連盟にも加入したが、1936年に、結核療養のこともあり実家に戻り、農作業をしながら創作活動を続ける。中野重治も東京大学卒業後、故郷に住むことは亡く東京の生活が定着していくし、中野重治の長兄・耕一は1919年にウラジオストックで病死していて、中野家の後継問題に悩みながら、1941年11月には、父・藤作が急性の胃腸炎で亡くなり、1948年6月28日には福井県坂井郡丸岡町付近を震源とする福井地震で中野重治の生家も倒壊。福井震災のあと、平屋で二部屋という小さな仮住まいの家が建てられたが、これが、1950年7月、母とらが病死後は、貧困と病を抱えながらの一人暮らしの中野鈴子にとって終の住み家となった。中野鈴子亡き後は、ほとんど廃屋となっておかれ、中野重治亡き後、屋敷跡が丸岡町に贈られた後、丸岡町の手で解体されている。

(写真下:「中野鈴子詩碑」(福井県坂井市丸岡町一本田)(2026年3月1日午前訪問撮影)

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