北陸の街の風景【坂】「あかり坂」(石川県金沢市主計町3-22 地先)
<上の写真:主計町茶屋街側から石段の坂を上る。2023年3月17日訪問撮影>
金沢の三茶屋街の一つである主計町茶屋街と、その裏手にある下新町(しもしんちょう)の間には、「暗がり坂」と名の付く坂と、ずっと特に名前の無い二つの石段の坂があり、この名前のなかった坂には、『オール讀物』2008年4月号で発表された五木寛之氏の小説「主計町あかり坂」で、「あかり坂」と名付けられた。(尚、この2008年に発表された小説「主計町あかり坂」は、その後、「金沢あかり坂」と改題され、他の金沢を舞台とした既発表小説3編と合わせ、「金沢あかり坂」として2015年、文春文庫として刊行された)
この作品の中でも、泉鏡花の研究家で詩人でもある80歳に近い銀髪の小柄な老人が、町の人たちから坂の名前を考えてくれと、何年も前から言われていたんだが、ヒロインの高木凛をみて、イメージが沸いたとして、「暗がり坂」に対して「あかり坂」というのはどうでしょう。と提案する場面も登場し、「暗、と、明。泉鏡花にはあけの明星をよんだ句があります。そこで、あかり坂。よし、これできまった」と語っている。
<下の2枚の写真:主計町茶屋街側へ石段の坂を下る。2023年3月17日訪問撮影>
”主計町にはあまり人気のない二つの坂があった。坂というより、折れ曲った石段である。尾張町の泉鏡花記念館から浅野川ぞいの主計町にでるには、この隠れ路をつかうのがいい。一つは左へ、久保市乙鶴来宮の境内をぬけて、暗がり坂の石段をおりていくコースである。<略> 暗がり坂をおりてこの主計町にぬける道のほかに、もう一つ、あまり使われない坂がある。乙剣宮と反対のほうへ少し歩き、左へ折れて佃邸の前をすぎ、さらに道なりにたどって一葉の塀を右にまがると、不意にぽっかりと穴のような狭い石段が目の下にあらわれる。左右に家の軒がせまり、石段も急である。そこを降りていくのは、どこか地底に沈んでいくかのような下降感覚があった。その先は、人がひとりやっと通ることができるくらいの狭い路地である。”と、五木寛之氏の小説「金沢あかり坂」では紹介されている。
2008年(平成20年)、五木寛之氏によって、「あかり坂」と名付けられた坂の標柱には、”暗い夜のなかに明かりをともすような美しい作品を書いた鏡花を偲んで、あかり坂と名づけた。あかり坂は、また、上がり坂の意(こころ)でもある 平成20年秋 五木寛之”と刻まれている。
<下の2枚の写真:石段の坂の上り口にある標柱。2023年3月17日訪問撮影>