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北陸の歴史・郷土博物館 「穴水町歴史民俗資料館・長家史料館」(石川県鳳珠郡穴水町)
北陸の歴史・郷土博物館「穴水町歴史民俗資料館・長家史料館」(石川県鳳珠郡穴水町)
住所:石川県鳳珠郡穴水町字川島ラの197の15
公式ホームページ:穴水町ホームページ内
1974年(昭和49年)完成
開館時間:10:00~16:00
休館日:毎週月曜日・国民の祝日・年末年始
入館料:一般 100円、小・中・高校生 50円
<2022年10月4日訪問>
展示品のうち、以下の5点を写真付きで穴水町ホームページで公開。
(1)穴水町内出土の考古資料(町内各地より出土した遺物)
異形北塚式土器(1964年、町指定文化財)、異形気屋式土器(1964年、町指定文化財)などは、かなり異形で複雑な文様の縄文土器。他に甲小寺遺跡出土品(1970年、町指定文化財に一括指定)
(2)能面
中世、諸橋稲荷神社の能太夫を代々務め、後に前田氏に仕え明治維新に至った加賀宝生流の祖、諸橋権之進家が宝暦六年(1756)に諸橋稲荷神社に舞扇・尉面・女面・かく面を寄進したと伝える。(1973年、町指定文化財)
(3)長家文書(1972年、石川県指定文化財に一括指定)
加賀藩家臣団の最上層に位置した「年寄」八家のうちの長家に伝来した文書で、中・近世史研究に多大な役割を果たしてきた史料。長氏の始祖は、源平争乱の時代を生き抜いた鎌倉武士として日本の歴史上でも著名な人物で、鎌倉御家人で能登国大屋庄の地頭であった長谷部信連。長氏は能登の国人領主で畠山七人衆でもある。戦国末期の長連龍(ちょう・つらたつ、1546年~1619年)は、織田信長や前田利家に属し、家門再興の基礎を固め、その子孫は、加賀前田藩政期において穴水城禄高3万3千石を有し、加賀八家の一つで年寄・人持組頭の重職を勤め、明治維新後、士族を経て華族の男爵家に列する。長家所蔵の史料が穴水町立歴史民俗資料館に寄託されたもので、穴水町歴史民俗資料館の中心的な収蔵品で、大変興味深く貴重な資料が数多く展示されている。
(4)長続連御朱采配(976年、町指定文化財)
長家19代の戦国武将の長続連(ちょう・つぐつら、?~1577年)が使用したとされる采配で、能登の守護畠山氏より続連の子綱連に賜わったものと箱蓋裏に墨書銘が残る。
(5)金筲印馬幟(きんそういんうまじるし)
長氏が城下見回りの際、老婆が川でそうけ(竹製のざる)に野菜を入れ洗っているのを見て、「その器は何か」と尋ねたところ、老婆は「菜揚げそうけ」と答えた。長氏は「名上げ宗家」と理解し、長家の馬幟にしたと伝えられている。