北陸を舞台とする小説 第15回 「ゼロの焦点」(松本 清張 著)


「ゼロの焦点」(松本清張 著、新潮社(新潮文庫、2008年12月 112刷改版)、1971年2月発行)
<この作品は、昭和34年(1959年)12月、光文社より刊行>

<著者紹介>松本清張(まつもと せいちょう)(1909-1992)(文庫本掲載著者紹介より・発行当時)
福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生れ。給仕、印刷工など種々の職を経て朝日新聞西部本社に入社。41歳で懸賞小説に応募、入選した「西郷札」が直木賞候補となり、1953(昭和28)年、『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞。1958年の『点と線』は推理小説界に”社会派”の新風を生む。生涯を通じて旺盛な創作活動を展開し、その守備範囲は古代から現代まで多岐に亘った。

1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞した松本清張(1909年~1992年)は、1958年には長編社会派推理小説『点と線』『眼の壁』を発表し、その翌年(1959年)には本作品『ゼロの焦点』、1961年には『砂の器』と、次々にベストセラーとなる作品を発表し、社会派推理小説ブームを引き起こすが、本作品『ゼロの焦点』は、『点と線』と並び称される、清張初期を飾るミステリーの最高傑作と言われ、数々の映画化、ドラマ化でも広く知られる作品。終戦直後の日本の混乱期が招いた悲劇を描いた社会派推理小説であるが、能登・加賀の石川県を物語の主な舞台とし、1961年の映画化の影響で、能登の西海岸の「ヤセの断崖」に代表される「能登金剛」と呼ばれる石川県羽咋郡志賀町海岸線一帯の29キロの景勝地を、一躍、全国的に観光名勝として押し上げ、また、サスペンスドラマのクライマックスシーンの代名詞ともなるようなブームを作り上げた画期的な作品。

この長編は、最初は『虚線』のタイトルで、筑摩書房から新しい型の総合雑誌として創刊された「太陽」(1958年1月号・2月号)に連載され、「太陽」の廃刊と共に、『零の焦点』のタイトルで、光文社の「宝石」に移され連載(1958年3月号~1960年1月号)され、昭和34年(1959年)12月、光文社(カッバ・ノベルス)単行本刊行。本書の主なストーリー展開については、昭和33年(1958年)11月から翌昭和34年(1959年)1月に設定されているが、昭和25年(1950年)頃の終戦直後の日本の混乱期も背景として重要。重要な登場人物の一人である石川県羽咋郡高浜町出身の田沼久子は昭和2年6月生まれで現在31歳とあることからストーリー展開時代が昭和33年(1958年)秋からと分かるが、田沼久子の内縁の夫・曽根益三郎が、が能登の西海岸の能登金剛の断崖から投身自殺したのが昭和33年11月と、本書後半で明記もされている。

本書主人公のヒロインは、26歳の東京の会社員・板根禎子(いたね・ていこ)で、東京・世田谷の家に母一人子一人の身の上。板根禎子の亡父の友人の佐伯が仲人となり、佐伯が東京に本社のあるA広告会社と関係があり、A広告会社の金沢に出張所がある北陸出張所主任の36歳の鵜原憲一(うはら・けんいち)と縁談がまとまる。板根禎子は、それまで勤めていた会社を辞め、その年の秋11月半ばに結婚。渋谷の新しいアパートが新居。縁談相手の鵜原憲一の経歴は、戦争が起こったため、大学中退し、戦争が終わって2年後に中国から還り、それから2,3の職業を経て、現在のA広告会社に6年前に入社したと言う。そして現在は、1カ月のうち、20日間くらいを金沢に滞在し、あとの10日間くらいを東京本社へ連絡のため出張するという生活で、独身の鵜原憲一の家族は、両親は死んで、東京・青山に住む商事会社の課長をしている兄が妻子と共に住んでいるのみ。

この二人が甲府・昇仙峡や上諏訪・諏訪湖などへの新婚旅行から東京へ帰ってまもなく、夫の鵜原憲一は金沢の北陸出張所勤務から東京本社へ転勤することに決定していて、事務引継ぎのため後任の同僚・本多良雄と12月初旬に金沢へ赴く。一週間くらいで帰ってくる予定だったが、12月11日に憲一が行方不明になったことが12月14日に至って判明。15日夜、予定をすぎても戻らない夫を探しに、板根禎子は会社の人と共に金沢に向かい、翌12月16日には、A広告会社の後任の本多良雄と相談の結果、警察へ捜索願を出す一方、本多良雄と協力して、夫の行方を尋ね歩く。

ただ、夫には謎がいろいろとあり、まず、行方不明になるまでの鵜原憲一の金沢における下宿先が分からない。2年前に金沢のA広告会社北陸出張所に赴任するも、赴任した最初の半年間を除き、その後の1年半の間の下宿先を、A広告会社の北陸出張所の誰も知らず。また、鵜原憲一の前歴についても詳しくは知らなかったが、こちらについては、学校を中退してすぐにR商事に入り、昭和17年に在社のまま召集をうけて中国に渡り、終戦となって2年後に内地に帰還。その翌年R商事会社を辞職し、昭和25年(1950年)から警視庁巡査となって立川署に配属。1年半、立川署の風紀係で、米兵相手の夜の女の取り締まりをやっていたという事が判明。その後は、約1年の空白があって、6年前にA広告会社に就職。夫の知られざる過去をつきとめていく中で、やがて、鵜原憲一の兄・宗太郎も、12月20日、石川県鶴来町の旅館で毒死。さらに、事件の核心に迫ったかにみえた本多良雄は東京・世田谷で毒死。12月28日には、石川県鶴来町の町はずれの手取川断崖崖上からの投身で、重要な登場人物の一人である田沼久子が死体で発見と、連続殺人事件が発生する。

本書の舞台は、ほとんどが能登・加賀の石川県となっていて、金沢の町も当然登場するが、やはり能登の西海岸が非常に重要な舞台となっている。特に本書に何度も登場する石川県羽咋郡高浜町(町の名前は、近世初期、若狭高浜の漁民が移住したことからとのこと)。1970年11月には廃止となり、新設合併で現在の志賀町の南部を占めるエリアで、本書にも登場する能登高浜駅は1925年に能登鉄道(後の北陸鉄道能登線)の駅として開業し1972年廃駅。まず。最初は羽咋郡高浜町赤住(現・石川県羽咋郡志賀町赤住)の海岸で身元不明の自殺体が発見され、板根禎子が一人で金沢から向かい能登高浜駅で下車し、赤住の部落を訪ねている。重要人物の田沼久子の実家も、石川県羽咋郡高浜町字末吉(現・石川県羽咋郡志賀町末吉)にあり、エンディングでも和倉温泉から福浦に東西横断の山道経由で出て、福浦を南下して能登高浜に向かうシーンがある。

本書原作では、能登西海岸の断崖の場所の設定は、能登高浜から福浦港(現・石川県羽咋郡志賀町福浦港)までの間にあることにあるが、この区間は日本海に切り立った断崖がなく、1961年の映画化でロケ地に選ばれ全国的に知られるようになった「ヤセの断崖」(石川県羽咋郡志賀町笹波)に代表される「能登金剛」は、志賀町の福浦港から北上し関野鼻にかけて断崖や洞門など迫力ある景観が続く約30㎞の石川県羽咋郡志賀町海岸線一体の景勝地。原作に見受けられる地理的な多少の誤りの点がこの点であり、原作と映画化され世に広まったこととの違いでもあるが、やはり、この物語の最大の舞台は、この「ヤセの断崖」に代表される「能登金剛」の場所かと思う。

能登の東海岸側も、七尾や和倉温泉も物語にちょっと登場はするが、能登西海岸の能登高浜周辺に次ぐ重要な物語の舞台と言えば、白山麓の入り口にあたる石川県石川郡鶴来町(つるぎまち)(現・石川県白山市鶴来地区)。2005年2月に新設合併で白山市が発足し、鶴来町は廃止となっている。本書のストーリーでは、重要人物2人が鶴来町で毒死している。今では、北陸鉄道石川線は、金沢市内の野町駅ー白山市の鶴来駅間のみとなっているが、本書の時代では、石川線は、金沢市内の白菊町駅(1970年、旅客運送廃止)からであったし、能美線も金名線も存続していて白山下駅まで鉄道が通じていた時代。本書原作には、「北陸鉄道」と題した章もあり、金沢から北陸鉄道の鶴来までの鵜原宗太郎の行動のことも記されている。また、鶴来町の町はずれの手取川断崖崖上からの転落が、別の殺人事件現場として設定されている。

本書原作では、鶴来の旅館で毒殺された鵜原宗太郎と金沢から北陸鉄道で同行していた若い女性が、その後、一人で寺井方面に向かったという情報があるが、この寺井というのは、鶴来駅と、能美郡根上町(現・石川県能美市)の新寺井駅を結んでいた北陸鉄道の能美線の終点で、旧国鉄(JR)の寺井駅(2015年3月に能美根上駅と改称)と接続していた。こうしたかつての石川県内の鉄道網も非常に興味深いが、この当時の金沢と東京の行き来も、かつて上野と金沢を行き来していた寝台特急の急行「北陸」がよく利用されている。ちなみに京都から直行で金沢に朝着く急行列車は、京都を23時50分に発つ「日本海」で金沢は朝5時56分着ということも紹介され、こうした鉄道・時刻表に関する情報も謎解きの一つに活用されている。本書で紹介されている、終戦後13年になるが、あるテレビ番組での「終戦直後の婦人の思い出」という座談会の議論内容も印象に残ったが、本書冒頭での上諏訪の新婚旅行先の宿での鵜原憲一が板根禎子に対してささやくセリフ「君の唇は柔らかいね。マシマロみたいだ」は、はるかにインパクト強い。

目次
ある夫/ 失踪/ 北の疑惑/ 地方名士/ 海沿いの墓場/ 義兄の行動/ 前歴/ 毒死者/ 北陸鉄道/ 逃亡/ 夫の意味/ 雪国の不安/ゼロの焦点

<主なストーリー展開時代>
・1958年(昭和33年)11月~1959年(昭和34年)1月
<主なストーリー展開場所>

・石川県(金沢、津幡、羽咋郡高浜町・赤住・字末吉、鶴来、七尾、羽咋、和倉温泉、福浦)
・東京(銀座の歌舞伎座、世田谷、渋谷、青山南町、新宿、上野、立川)
・甲府(湯村温泉・昇仙峡)・上諏訪(長野県) 

<主な登場人物>
・板根禎子(26歳)
・鵜原憲一(板根禎子の36歳の夫。東京に本社のあるA広告社の金沢の北陸出張所主任)
・本多良雄(鵜原憲一のA広告社の同僚で後任者)
・板根禎子の母(東京・世田谷に住み、板根禎子が結婚する後は一人暮らし)
・佐伯(板根禎子の亡父の友人で、A広告社に関係があり、板垣禎子と鵜原憲一の仲人)
・鵜原宗太郎(鵜原憲一の兄で41歳。東京・赤坂青山南町山に住み、商事会社営業部販売課長)
・鵜原宗太郎の妻(二人の子供の母親)
・室田儀作(金沢の室田耐火煉瓦株式会社社長)
・室田佐知子(室田儀作の後妻で、房州勝浦の、ある網元の娘で東京の女子大に進学)
・田沼久子(室田耐火煉瓦株式会社の受付の未亡人で昭和2年(1927年)生まれの31歳女性)
・曽根益三郎(田沼久子の内縁の夫で1958年12月12日死亡)
・葉山警部補(東京・立川警察署で、鵜原憲一の立川署時代の友人)
・大隈という家のおかみ(立川の54,5の小太りの女性)
・杉野友子(東京・世田谷区のアパート清風荘の住人)
・金沢警察署の中年の長身の警部補と若い係官
・能登高浜の警察分署の年老いた巡査部長
・米田(金沢警察署の捜査主任)
・石川県羽咋郡高浜町役場の男性事務員
・西山(石川県羽咋郡高浜町の西山医院の医者)
・石川県羽咋郡高浜町字末吉の田沼久子の実家近くの百姓をしている中年の主婦
・加藤という金沢の犀川近くに住む老婆(金沢で最初の半年、鵜原憲一の下宿先)
・金沢駅の荷物の受付口の太った駅員
・金沢城近くの電車通りから少し歩いたところにある静かな旅館の女中
・金沢市内の高台丘陵地帯の室田儀作・佐知子宅の女中
・金沢市内のクリーニング屋の主人たち(2名)
・鶴来町の旅館加能屋の女中
・三田(アララギ派の短歌の大家の老人)
・ウィルキンスン(室田儀一に古九谷を世話して欲しいと頼むアメリカ人)
・石川県七尾市の室田耐火煉瓦工場の労務課課長
・A広告社の重役で営業部長を兼務する鵜原憲一の上役
・横田英夫(A広告社の本社課長の痩せた中年男性)
・青木(A広告社の本社で鵜原憲一と同じ課の痩せた中年の社員)
・木村(A広告社の金沢の社員)
・金沢署の刑事
・A広告会社の電話交換手
・甲府の湯村温泉の旅館の番頭と女中
・上諏訪の旅館の番頭
・東京の電報の若い配達夫
・金沢市内の田沼久子が住む若葉荘アパート管理人
・鶴来警察署の巡査
・鶴来町の「野田屋」宿屋の女中
・金沢の室田耐火煉瓦株式会社の総務課の係長
・金沢の室田耐火煉瓦株式会社の老重役の男性
・エミー(立川でかつてGIの相手をしていたパンパンの一人で、地味で内気な女性)
・和倉のタクシーの運転手
・和倉温泉で一番大きな旅館の番頭
・和倉から福浦までのハイヤーの運転手

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