北陸関連の図録・資料文献・報告書 第6回 「『若狭の偉人 梅田雲浜』梅田雲浜生誕200年記念事業 記念冊子」(梅田雲浜生誕200年記念事業実行委員会 発行)

北陸関連の図録・資料文献・報告書  第6回 「『若狭の偉人 梅田雲浜』梅田雲浜生誕200年記念事業 記念冊子」(梅田雲浜生誕200年記念事業実行委員会 発行)

(梅田雲浜生誕200年記念事業実行委員会 発行)

「若狭の偉人 梅田雲浜」梅田雲浜生誕200年記念事業 記念冊子(梅田雲浜生誕200年記念事業実行委員会 発行、2016年3月発行)

梅田雲浜生誕200年記念事業
(主催:梅田雲浜生誕200年記念事業実行委員会、共催:小浜市、後援:福井県)
■平成27年(2015年)6月7日 梅田雲浜生誕顕彰祭(小浜市中央児童公園)
■平成27年(2015年)6月8日 梅田昌彦氏による中学生対象講演会
演題「小浜に生まれた梅田雲浜」(小浜中学校・小浜第二中学校)
■平成27年(2015年)6月8日 梅田昌彦氏による中学生対象講演会
演題「小浜に生まれた梅田雲浜」(小浜中学校・小浜第二中学校)
■平成27年(2015年)9月15日  村上利夫氏講演会(小浜商工会議所大ホール)
梅田雲浜没日9月15日開催 梅田雲浜生誕200年記念講演会 演題「梅田雲浜の人物像」
■平成27年(2015年)10月24日  梅田雲浜生誕200年記念式典(小浜市働く婦人の家)
■平成27年(2015年)10月24日  梅田雲浜生誕200年記念式典基調講演
演題「梅田雲浜と安政の大獄」京都大学名誉教授 佐々木克 氏(小浜市働く婦人の家)
■平成27年(2015年)10月24日  梅田雲浜生誕200年記念式典パネルディスカッション
「梅田雲浜ゆかりの地 地域フォーラム」(小浜市働く婦人の家)
<パネリスト>一坂太郎 氏(山口県在住、萩博物館特別学芸員)、八木聖弥 氏(京都市在住、京都府立医科大学准教授)、舟久保藍 氏(奈良県在住、歴史研究家)、角鹿尚計 氏(越前町在住、福井市立郷土歴史博物館長)、<司会進行>村上利夫 氏(地元小浜市)
■平成27年(2015年)10月25日 劇団久須夜による梅田雲浜演劇
「その時から百年~現代考 梅田雲浜~」(脚本・演出:劇団員の萩原有紗 氏)
■平成27年(2015年)11月14日 第15梅田雲浜顕彰吟詠大会(小浜市文化会館)
■平成27年(2015年)11月13日・14日・15日 (福井県立若狭図書学習センター)
梅田雲浜に関する特別資料展

江戸幕末の尊皇攘夷派の志士として活躍した梅田雲浜(1815年~1859年)は、文化12年(1815)6月7日、若狭国小浜城下竹原3番町(現・福井県小浜市千種2丁目)に小浜藩士・矢部岩十郎義比の次男として生まれ、のち、26、7歳の頃、祖父の生家である梅田姓を名乗る。小浜藩校の順造館に入り崎門学を学び、京都や江戸に遊学。以後、大津で湖南塾を開き、京都の望楠軒講主となる。海防策に関する意見書を小浜藩主に送ったが、これが藩主酒井忠義の忌諱にふれ、嘉永5(1852)年に士籍を削られ浪人となる。ペリー来航後、尊王攘夷派の中心となり志士の指導者となった梅田雲浜は、将軍徳川家後継問題・条約締結問題では、一橋慶喜を擁して勅許反対を推進。青蓮院宮へ意見書を提出し戊午の密勅にも関係し。安政の大獄が始まると捕らえられ、1859年(安政6年)、江戸で取り調べ中に45歳で獄死。

2015年は、「安政の大獄」で非業の死を遂げた若狭小浜が生んだ偉人・梅田雲浜の生誕200年の節目の年にあたり、梅田雲浜の生れた福井県小浜で「梅田雲浜生誕200年記念事業実行委員会」が組織され、2015年4月3日に設立総会が開催(実行委員長は、2009年2月設立「小浜市の歴史と文化を守る市民の会」初代会長の堂前 廣 氏)。2015年6月から11月にかけて、上述の通り、梅田雲浜生誕200年記念事業として、生誕顕彰祭・講演会・記念式典・特別資料展・演劇・吟詠大会など、様々な記念事業が福井県小浜市にて行われた。本書は、様々な記念事業の総括として翌2016年3月に記念冊子としてまとめられ刊行されたもの。

本書は、梅田雲浜生誕200年記念事業実行委員会委員長の堂前廣 氏(小浜市の歴史と文化を守る市民の会参与)による挨拶文に始まり、小浜市長・松崎晃治氏による「発刊に寄せて」の文章が続き、梅田雲浜生誕200年記念事業実行委員会顧問の藤井譲治氏(京都大学名誉教授)、梅田雲浜生誕200年記念事業実行委員会アドバイザーの梅田昌彦氏(元大阪芸術大学教授)による記念事業に関する文章も寄せられている。梅田昌彦氏は、梅田雲浜の玄孫にあたり、「梅田雲浜入門―幕末の儒者・勤王の志士」(ウイング出版部,2014年)の著者。また、藤井譲治氏は、日本近世史専門の歴史学者で京都大学名誉教授で、編集主幹として「小浜市史編纂」にも関わるが、1947年、福井県小浜市生まれで小浜市の若狭高校出身。

「若狭が誇る偉人・梅田雲浜の歴史」での梅田雲浜の生涯についての紹介や、梅田雲浜関連年表に加え、「梅田雲浜のゆかりの地」が、写真画像を添えて紹介されている。福井県小浜市内では、誕生地碑、小浜公園内の碑、松源寺の墓、石像や銅像などがあり、その他、福井県内では、越前福井藩との接触から福井市・越前市粟田部・坂井市三国の瀧谷寺が取り上げられている。京都市にも旧蹟碑や邸址標石・墓などがあり、さらに東京(江戸)、茨城県水戸市、滋賀県大津市、奈良県大和高田市、奈良県十津川村、奈良県五條市、大阪府大阪市、山口県萩市、熊本県熊本市とも、ゆかりが深い。特に、京都に次いで梅田雲浜の活動の拠点だったともいえる十津川、大和高田、五條などの奈良県南部との関係は注目。

梅田雲浜生誕200年記念事業の一環で行われた講演会やパネルディスカッションの内容が、本冊子で再録されているのも非常に有難い。梅田雲浜の命日にあたる(2015年)9月15日 に、小浜商工会議所大ホールで開かれた講演会は村上利夫氏による演題「梅田雲浜の人物像」。1932年福井県若狭町生まれの村上利夫氏は2000年8月から2期、2008年まで小浜市長を務められた方だが、「漢詩に見る梅田雲浜」(2011年、友月書房)「梅田雲浜の人物像」(2015年1月、友月書房)の著者。村上利夫 氏は、2015年10月24日に小浜市働く婦人の家で開催された、 梅田雲浜生誕200年記念式典パネルディスカッション「梅田雲浜ゆかりの地 地域フォーラム」の司会進行も務められた。

村上利夫氏による講演「梅田雲浜の人物像」の要点としては、❶雲浜の最も大きな功績は、長州藩の財政を再建したこと。❷雲浜は、奈良の十津川において日本で最初の民兵を組織。❸雲浜と越前福井藩の関係について。福井藩の藩政改革に寄与したのが熊本藩出身の横井小楠だが、この横井小楠を福井藩に招聘するのに苦労して成功させたのが雲浜。❹なぜ雲浜が安政の大獄で最初に逮捕されたのか。❺吉田松陰と梅田雲浜の関係と違いについて。下級武士や農民・町人の中から志士を掘り起こし、情熱をもって教育し、育ってきた人を組織化し、ネットワークをつくり、倒幕という具体的な行動をおこさせることに傾注したのが梅田雲浜。❻雲浜先生の25回忌の法要(法事)について。❼雲浜先生の人となりについて。❽梅田雲浜が活躍したときのことについて書かれているものがほとんど残っていない理由、について、それぞれ詳しい話が展開。

村上利夫氏の講演では、最後に、明治時代以降の代表的な儒学者である内田周平(1857年~1944年)の言葉を紹介。『蓋し嘉永、安政の間、王政復古の大舞台に臨み、其の枢軸を握って之を運転致したる者は、決して吉田松陰ではありません。決して橋本左内ではありません。又、佐久間象山や横井小楠等ではありませぬ。私の見る所を以てすれば、身に藩閥の勢いを籍らず、腰に藩士の刀を帯して居らない一個の浪人儒学者梅田雲浜先生こそ、実に其の人であります。』

2015年10月24日に小浜市働く婦人の家で開催された、 梅田雲浜生誕200年記念式典パネルディスカッション「梅田雲浜ゆかりの地 地域フォーラム」では、村上利夫氏の司会進行の下、一坂太郎 氏(山口県在住、萩博物館特別学芸員)、八木聖弥 氏(京都市在住、京都府立医科大学准教授)、舟久保藍 氏(奈良県在住、歴史研究家)、角鹿尚計 氏(越前町在住、福井市立郷土歴史博物館長)の4名のパネリスト参加。

このパネルディスカッションでは、梅田雲浜の長州藩における大きな歴史的意義、梅田雲浜が医師や画家・書家など多くの文化人と親交があったこと、梅田雲浜の足跡が割と色濃く残っている五條、大和高田、十津川などの奈良県南部地域との関係、維新史の中での梅田雲浜の役割、梅田雲浜が亡くなってからその弟子たちの維新における大きな役割、維新における梅田雲浜の働きなどから、歴史とまちづくりなどにも話が及んで、非常に興味深いテーマがいろいろと提示されている。尚、角鹿氏は、”梅田雲浜に対する注目は、志士の巨頭というより、まずは、崎門学者、崎門学という学問の大家ということにあり、山崎闇斎の正統な学統に連なる碩学大儒であるということ。崎門学の大家であった梅田雲浜が福井藩の思想家や藩士に少なからぬ影響を与えたと考えられるのは、梅田雲浜が早い時期から福井藩の人々と親交があること。福井藩は崎門学の普及が早かったからだと思う”と話されている。

その他、2015年10月24日の梅田雲浜生誕200年記念式典基調講は、京都大学名誉教授 佐々木克 氏による「梅田雲浜と安政の大獄」で、安政の大獄における逮捕と処罰の理由、更には、井伊大老にとっての「安政の大獄」は、。どのような意味を持ち、なぜあそこまでやらねばならなかったのかなどについての講演内容が再録。更に、2015年11月13日・14日・15日に、福井県立若狭図書学習センターで、梅田雲浜に関する特別資料展特別資料展が開かれたが、注目すべきは、新たに「雲浜取調書」という、安政の大獄で捕縛された直後の梅田雲浜の取調書が残されていることが分かり展示となったことだろう。この資料は、当時伏見奉行であった信濃岩村藩主内藤正綱との関係で、長野県佐久市の角田家に伝来したものと推察されるもので、安政5年(1858)10月1日から11月7日にかけて5回行われた雲浜への尋問と返答とが記録されたもの。こういう史料の残り方と発見も面白い。

梅田雲浜関連年表
■文化12年(1815)(数え1歳)
6月7日、若狭国小浜城下竹原3番町(現在の千種2丁目)に藩士矢部岩十郎義比の次男として生まれる。母は義。源次郎義質と称す(のちに定明)
■文政5年(1822)(数え8歳)
小浜藩校順造館に入学。
■文政8年(1825)(数え11歳)
3月、父・矢部岩十郎が隠居を仰せつけられ、長男・孫太郎(義宣)が15歳で相続。
■文政12年(1829)(数え15歳)
4月、初めて京都に上がり望楠軒に通学。
■天保元年(1830)(数え16歳)
小浜藩儒(崎門学者)山口菅山に就いて学ぶ。これ以降天保11年(1840)まで江戸に留学。
■天保3年(1832)(数え18歳)
江戸から一時帰郷し、京都の医家に書生。
■天保4年(1833)(数え19歳)
江戸で学ぶ。
■天保10年(1839)(数え25歳)
山口菅山門下の第一人者と称される。
■天保11年(1840)(数え26歳)
長年の修業を終えて、江戸より小浜に帰る。このころから独立して祖父の梅田姓を名乗る。
■天保12年(1841)(数え27歳)
父・矢部岩十郎と一緒に関西・九州を巡歴し、熊本で横井小楠等と交流する各藩の形勢風俗を視察。その後、再び京都へ。崎門学者上原立斎に就き、経学を研究するため大津に赴く。大津に湖南塾を開き、尊皇反幕を説く。
■天保14年(1843)(数え29歳)
6月、矢部義宣死去により江戸へ行く。弟の義章、矢部家を継ぐ。8~9月頃、望楠軒の講主となり、京都へ移住。
■弘化元年(1844)(数え30歳)
上原立斎の長女信子(この時18歳)と結婚。
■弘化3年(1846)(数え32歳)
長女・たけ出生
■嘉永2年(1849)(数え35歳)
8月、父・矢部岩十郎死去。
■嘉永3年(1850)(数え36歳)
度々、藩へ上書し、改革意見を述べる。
■嘉永4年(1851)(数え37歳)
4月、横井小楠、来訪。7月、母・義死去
■嘉永5年(1852)(数え38歳)
長男・繁太郎出生。昨冬からの病気で京都洛西高雄に移る。藩への意見が受け入れられず、藩籍を剥奪され浪人となる。8月、一乗寺村に転居。
■嘉永6年(1853)(数え39歳)
1月、京都寺町四条に移る(6月、ペリー浦賀に来航)
■安政元年(1854)(数え40歳)
1月、ペリー再来の知らせを聞き、江戸へ急行。吉田松陰その他諸藩の有志の士と対外策を協議。引き続き水戸へ赴き、武田耕雲斎等と面会し、尊攘論を力説。6月、福井藩を訪ね時局の急務を説く。不在中、妻信子・長男繁太郎病に罹る。9月、ロシア鑑が突如大阪湾に現れたため、十津川郷士等と撃ち払いを謀る。この時訣別の詩を詠む(「妻は病床に臥し  児は飢えに叫ぶ」)。ロシア艦退去のため果たせず。
■安政2年(1855)(数え41歳)
3月、妻信子病死(享年29歳)。6月、大和高田の村島内蔵進の長女・千代子と再婚する。7月、大病、家族全員病臥。秋、姪・登美子を引き取り、養育。
■安政3年(1856)(数え42歳)
2月、長男・繁太郎病死(享年5歳)。次男・忠次郎出生(時期は不明)。春、僧・月性と海防の必要性について論じ、月性を紀州藩に派遣し、防備施設の必要性をすすめる。11月、長州萩に毛利家を訪ね、同藩の奮起を切望懇談。勤皇の手段として物産交易について協議。吉田松陰と面接し、松下村塾の扁額を揮毫する。
■安政5年(1858)(数え44歳)
1月、次女・ぬい出生。2月、青蓮院宮に意見書を提出。9月、捕縛される(「安政の大獄」が始まる)。伏見奉行の獄に入れられ、後に京都六角の獄に移される。12月、江戸へ送られる。
■安政6年(1859)(数え45歳)
小倉藩、小笠原邸内に幽囚。9月14日、雲浜牢死。9月15日、小笠原家により、浅草海禅寺中泊船軒に仮に埋葬される。
■明治24年(1891)<死後33年>特旨を以って雲浜に正四位を贈られる。

梅田雲浜のゆかりの地
<福井県小浜市>
梅田雲濱先生誕生地碑(千種):昭和6年(1931)、矢部家の屋敷跡に建てられ、昭和41年(1966)から周辺が整備された。石碑には、崎門学者の内田周平の書が刻まれている。
梅田雲濱先生之碑(小浜公園):雲浜の弟子・山縣有朋の書が刻まれた石碑で、明治30年(1897)に建てられた。これを機に、梅田雲浜先生事蹟保存会が組織された。
梅田雲濱先生之墓(松源寺):昭和45年(1970)、梅田雲浜先生分骨移転委員会が組織され、東京の海禅寺から矢部家の菩提寺に雲浜の骨が運ばれ、墓が建てられた。
順造門(県立若狭高等学校):雲浜が通った小浜藩学問所・順造館の表門(市指定文化財)
歌碑(小浜公園):昭和17年(1942)、雲浜の歌が愛国百人一首に選ばれたのを機に、昭和18年(1943)、梅田雲浜先生事蹟保存会が石碑のそばに建設。
石像(遠敷小学校)昭和17年(1942)建設。福井県若狭町出身の彫刻家・松木庄吉が制作。雲浜小学校の石像より少し小ぶり。
石像(雲浜小学校)昭和18年(1943)建設。福井県若狭町出身の彫刻家・松木庄吉が制作。当初、海を臨む向きであったが、平成20年(2008)に現在の向きに変更された。
銅像(中央児童公園)昭和40年(1965)建設。福井県出身の彫刻家・雨田光平が制作。小浜公園にあった銅像を太平洋戦争に供出し無くなったため、福井県内をはじめ、全国からの寄付を募り建設された。
<福井県坂井市(三国)>
蓮池(滝谷寺):安政元年(1854)、雲浜は、福井藩儒・吉田東篁を訪ねた。二人は大いに意気が合い、滝谷寺の道雅上人と酒を酌み交わし、この蓮池の前で大いに論じ合ったとされる。
<福井県福井市>
安政元年(1854)、雲浜は、福井藩を訪ね、村田氏寿らと会い、時局の急務を説いた。その際、福井訪問への旅費を岡田準介らに手紙で頼んだ。
<福井県越前市>
安政元年(1854)、雲浜は、粟田部(現・越前市)にいた藩士・三寺三作の家を訪れ、一泊した
<茨城県水戸市>
安政元年(1854)、雲浜は江戸で吉田松陰らと対外策を協議し後、水戸へ赴き、水戸藩家老・武田耕雲斎らと面会し、尊皇攘夷論を力説した。
<東京都(江戸)>
天保元年(1830)、雲浜は江戸の小浜藩校の信尚館で藩儒・山口菅山に師事した。これ以降、小浜に戻るまで、江戸で崎門学を学んだ。また、雲浜が安政の大獄で逮捕された後、京都から移送された土地でもある。
:文久2年(1862)、朝廷より安政の大獄に関って連座した者は全て赦免するという勅許が幕府に下された。その翌年、小笠原家が施主となって海禅寺の仮埋葬地に建てられた。
<滋賀県大津市>
天保12年(1841)、雲浜が私塾の湖南塾を開いた土地である。同年、大津の崎門学者・上原立斎に師事し、後に立斎の長女・信子と結婚した。
梅田雲濱先生湖南塾址碑:大正12年(1923)、雲浜開校の私塾湖南塾の跡地に、雲浜の姪・山田登美子らの意向を受け、大津青年団尾花川青年会等の協力により、建てられた。しかし、移転等により、現在は長等小学校校門前にある。
<京都府京都市>
梅田雲濱先生旧蹟碑:雲浜が一時期滞在した一乗寺村(左京区一乗寺葉山町)に、大正12年(1923)、文学博士・高瀬武次郎らにより、建てられた。
梅田雲濱邸址標石:大正5年(1916)、雲浜の最後の住まいとなった邸宅跡(中京区烏丸御池上る)に、京都市教育委員会により、建てられた。
雲濱先生之墓:雲浜の姪・登美子が、叔父の死を知り、門人・旧友とともに矢部家にあった遺髪を亡骸に代えて、安祥院境内に建てた。
雲濱君碑:明治16年(1883)、雲浜の妻・千代子や雲浜の旧友ら(500名を超える寄付有)により、霊山護国神社に建てられた。
<奈良県大和高田市>
安政2年(1855)、雲浜が再婚した千代子の実家がある。千代子は、村島内蔵進の長女であり、雲浜は長州藩との交易を進めるため、内蔵進宅等に寄宿した。
梅田雲濱遺蹟顕彰碑:昭和18年(1943)、馬冷池公園に雲浜の顕彰と遺徳を伝えるため、高田町史蹟顕揚会により、建てられた。
<奈良県十津川村>
安政元年(1854)以降、雲浜は、十津川郷士らとの親交を深め、十津川隊を結成した。雲浜の紹介により、十津川郷士は、青蓮院宮との親交を深めていった。
梅田雲浜先生顕彰碑:平成8年(1996)、雲浜生誕180年を記念に旧川津ユースホステルの庭に十津川教育委員会により、建てられた。
<奈良県五條市>
安政4年(1857)12月、雲浜は大和と長州の交易を進めるために訪れた。ここでは、木綿商・下辻又七、医者・堤孝亭に会い、親交を深めた。
<大阪府大阪市>
安政元年(1854)、雲浜は、大阪湾に来航したロシア艦船を撃ち払うため、十津川郷士らとともに向かった。この時、訣別の詩を詠んだ。
<山口県萩市>
安政3年(1856)11月、雲浜は、長州藩萩の毛利家を訪ね、同藩の奮起を切望し、懇談した。勤皇活動の手段として、物産交易ができないか、協議した。
松下村塾:吉田松陰が主宰した私塾。塾生の多くは、幕末の志士として、活躍した。安政3年(1856)、雲浜は、松陰に頼まれ、松下村塾の扁額に揮毫した。
■<熊本県熊本市>
天保12年(1841)、雲浜が父・岩十郎とともに、熊本藩家老・長岡監物と面会した。この時、監物の家来・笠隼太、儒官・横井小楠らとも知り合った。

前半は、「継体大王の時代」として、(図1)として、国と国、王と王が連合する時に、互いに酒を酌み交わして証を立てる時の酒杯といわれている角杯形土器の出土状況を示し、この土器が現在のところ、連合勢力による継体大王の支配下にある地域から出土していることを紹介。更に日本海の海流や継体大王時代の出土品、日本海の潟と舟運の話を続けている。

目次
ご挨拶・・・梅田雲浜生誕200年記念事業委員会 委員長 堂前 廣
発刊に寄せて 小浜市長 松崎晃治氏
小浜市の概要(梅田雲浜生誕の地・福井県小浜市)
梅田雲浜について(若狭が誇る偉人・梅田雲浜の歴史、梅田雲浜関連年表)
寄稿 梅田昌彦(記念事業に参加して 梅田雲浜のご子孫 梅田昌彦)
寄稿 藤井譲治(梅田雲浜生誕200年記念行事にあたって 京都大学名誉教授 藤井譲治)
梅田雲浜ゆかりの地
梅田雲浜生誕顕彰祭と記念講演会
梅田雲浜講演会「梅田雲浜の人物像」 村上利夫 氏
梅田雲浜生誕200年記念式典
梅田雲浜生誕200年記念式典基調講演「安政の大獄と梅田雲浜」京都大学名誉教授 佐々木克 氏
パネルディスカッション「梅田雲浜ゆかりの地 地域フォーラム」
梅田雲浜演劇と全国吟詠大会
梅田雲浜特別資料展
梅田雲浜事業協賛金賛同者一覧
参考文献・編集後記

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