北陸関連の図録・資料文献・報告書 第11回 土井利忠 生誕200年記念特別展「山と海の殖産興業 ー大野藩の構造改革ー」(大野市歴史博物館 発行)

北陸関連の図録・資料文献・報告書  第11回 土井利忠 生誕200年記念特別展「山と海の殖産興業 ー大野藩の構造改革ー」(大野市歴史博物館 発行)

土井利忠 生誕200年記念特別展「山と海の殖産興業 ー大野藩の構造改革ー 」(発行:大野市歴史博物館、2011年10月発行)

土井利忠生誕200年記念特別展「山と海の殖産興業  ~大野藩の構造改革~ 」
主催:大野市歴史博物館
会期:平成23年(2011年)10月1日(土)~12月4日(日)
会場:大野市歴史博物館(福井県大野市天神町)

本図録は、昭和61年(1986年)開館した福井県大野市歴史博物館(1986年に大野市歴史民俗資料館として設立されたが、2005年11月、旧和泉村との合併により大野市歴史博物館と改められる)が、平成23年(2011年)10月1日(土)から12月4日(日)まで、大野市歴史博物館(福井県大野市天神町)で開催した特別展「山と海の殖産興業」の解説図録。平成23年(2011年)が、越前国大野藩7代藩主・土井利忠(1811年~1869年)生誕200年にあたり、土井利忠公生誕200年記念特別展として、幕末期に開明的な改革を行い、藩の窮地を救った英主・土井利忠公の下、勧められた幕末越前大野藩の殖産興業に関する紹介を行う特別展。本図録の冒頭に、大野市歴史博物館館長(当時)の岩井孝樹氏による挨拶文が以下、掲載され、幕末大野藩の殖産興業の意義について、以下述べられている。尚、岩井孝樹氏は、1933(昭和8年)年生まれの美術史家で、福井大学学芸学部卒業し東京大学史料編纂所内地研究生、福井県立美術館資料調査員、大野市博物館館長などを歴任された方。

御挨拶
越前大野は白山に連なる深い山並みのなかにあります。ところが、この山国4万石の幕末大野藩が安政5年(1858)に藩主土井利忠のもと、当時最新式の洋式帆船「大野丸」を建造した、しかもエゾ地開拓の夢を担って敦賀港と函館間を藩営商店「大野屋」の商品を積んで交易した、というのですから驚きます。さらに、西洋医術や、蘭学の振興をはかり、幼児への種痘の実施、鉄砲の鋳造、西洋陣法と軍制の採用など開明の新風をとり入れております。
幕末諸藩の構造改革のなかでも山間の小藩にしては信じ難いほどの事業は、英明な藩主土井利忠の改革にかける熱意のもとに登用された内山良休や弟隆佐の努力と才能によるものでありますが、そこで注目されるのが、これを生み出した経済基盤であり、土井利忠の財政刷新であります。すなわち、白山火山列が生み出す「白山の金山」と大野藩の飛地「西方浦の海運」による商機と交易、およそ類をみない「山と海の殖産興業」であります。
ここにこれまで殆ど注目されなかかった山国大野藩の海岸、西方浦を通じての商船交易による情報が、藩営商店「大野屋」の組織とあいまって、領主的商品経済の重商主義を支えるという、甚だ特異な殖産興業の特性が理解されることになります。
本年、土井利忠生誕2百年にあたり、利忠32歳の改革令にはじまる階級打破の精神をもとに、内山兄弟の登用により開始された、このいわば特殊な地理的条件にもとづく殖産興業について、この展観を機に改めてご認識を頂く機会となれば幸甚に存じます。
この展観に貴重な文化財のご出陳を頂きご教示ご協力を賜りました方々に厚く御礼を申し上げます。

平成23年(2011年)10月1日 大野市歴史博物館 館長 岩井孝樹

本図録は、5つのパートに分かれているが、最初のパート「土井利忠 山と海の殖産興業概説」を、岩井孝樹氏が執筆している。越前大野藩は、徳川幕府初期の大老、土井利勝(1573年~1644年)の4男・土井利房(1631年~1683年)が、1681年に老中職を辞して、天和2年(1682年)に越前大野に入部し、越前土井氏大野藩の初代となり、譜代大名の土井家は、最後の藩主の8代藩主・土井利恒(1848年~1893年)の1871年の廃藩置県まで、8代約190年続いた。幕末の大野藩の藩政改革を進めた名君と名高い第7代藩主・土井利忠は、文化8年(1811年)、江戸目白の大野藩下屋敷に誕生。文政元年(1818年)に幼少にして家督を継ぎ、初めて大野へ入部したのは文政12年(1829年)。財政危機に際し、土井利忠は単なる倹約令にとどまらず積極的な財政再建のため、経済社会の進展に即した改革としての殖産興業を目指す。

そこで登用された内山良休・隆佐兄弟が、面谷鉱山の開発からさらに商機を求めた藩営商店「大野屋」への展開や交易用の藩船「大野丸」の建造と、山間小藩の驚くべき大業といわれた進取的な事業を展開する。ここで、大野屋が成功した商取引の技術や大野丸の建造にかけた交易と開発の意欲などが、奥越の山間にある4万石の小藩において、幕末になり突如として勃発したものであろうか?と、新しい視点の提示が投げかけられている。この点に対して、実は、もともと、こうした事業を生み出す要因が山国大野藩のなかに育まれ、それが幕末の社会的、人的条件を契機として結実したとみることができるとしている。

土井氏大野藩のはじめにおいても、商品経済に即した改革の萌芽が認められるし、そこには大野藩の飛地「西方浦(にしかたうら)」の「海運業」が登場することになるし、また、さらに遡って、大野城を築いた戦国武将、金森長近の治積のなかに、すでに村落の自然経済から離れて、この山国を商品経済に引き込む発端となるものが窺われることになるとして、山の宝の「鉱山開発」と、商取引や交易の技術情報をもたらした、大野藩の飛地「西方浦の海運業」という「山と海の殖産興業」が幕末大野藩の開明的諸事業を生み出すことになった要因とみる。織田信長から大野郡の三分の二を与えられ大野城を築いて領国経営にのり出した金森長近が計画し整備した城下町大野の街中に、いまも、金森長近の鉱山開発を象徴するものが遺されているとして、大野市本町にある石灯籠地蔵尊の意義について考証を行っている。煙草などの山の商品作物の奨励もあるが、山の殖産興業の肝は、鉱山開発で面谷鉱山開発についても詳しい。山間大野の地を離れて支配した越前海岸の飛地、丹生郡の西方領13ヶ村(4600石余)の存在も、海の殖産興業の素因として非常に興味深い。

こうした改革を啓発するものとして、当時の開明思想があり、幕府の官学であった朱子学から、西洋文明を学ぶ実学としての蘭学、洋学への傾倒へと進展し、また、こうした洋学への傾倒は自ら当時代の先覚者との交流を生み出すこととなり、このことが更に現実重視の改革を進めることになった。本図録の4番目のパートには、「大野藩の洋学」と題し、大野藩での洋学研究がいかに系統立てられたものであったか、また、隆盛を誇ったものであったかについて詳述されていて、このパートも非常に読み応えがある。藩校「明倫館」での洋学研究から、大野の洋学研究をさらに隆盛させるために安政2年(1855年)12月、大阪の適塾から塾頭・伊藤慎蔵(長州出身)を招き蘭学教授に任じ、安政3年(1856年)5月には、第二の藩校「蘭学館」(翌年に「洋学館」と改称)を開設。

この越前大野の洋学館には、丸岡・勝山・大聖寺・越前府中などの近藩はもとより、肥前佐賀藩や豊前中津藩など全国各地から留学生が集まっていたことには驚かされる。本図録には、「各藩ヨリ大野洋学館へ入学人名録」も、資料として掲載されている。緒方洪庵の息子、平三と四郎の名も、この人名録の中に見えるが、この兄弟は、緒方洪庵の意向により、洪庵の門人で加賀大聖寺の藩医・渡辺卯三郎の下に預けられ漢学を修めていたが、越前大野に洋学館開設のを聞くと兄弟は相談を仕手、大野へ行くことを決心し、無断で加賀大聖寺の渡辺の塾を脱走し、伊藤慎蔵を頼って大野にやってきている。それぞれ14歳、13歳で、そのことを聞いた緒方洪庵は激怒し、両人に勘当を申し付けたという話も紹介されている。大野藩の翻訳・出版事業も驚くべき事業だが、西洋兵備や種痘など、その実用・実践の様子なども紹介されている。最後の5番目のパートの名では、大野藩西方領の海岸警備の様子にも触れられている。

本図録の残りの2番目のパートと3番目のパートは、越前大野藩の幕末の構造改革や、山と海の殖産興業という大きなテーマからみると、ややマニアックなテーマかと思われる内容が扱われている。2番目のパートでは、江戸時代、文政10年(1827年)頃、面谷銅山の鉱夫・彦七が、坑道より70間ほど上の切羽で巾7尺の大鉱脈を発見し、採掘したところ、大黒天に似た自然の銅塊がころがり出て、この瑞祥を記念してこの銅塊を大黒天の像容に彫刻。本図録の表紙写真にも掲載されているが、現在、この「自然銅大黒天像」は、大野市歴史博物館に所蔵されているが、果たして、「自然銅」であるのか否か、また、「大野銅」の品質が良好であったといわれるが、その品質はどうか?と、その成分分析を行った経緯と結果が報告されている。3番目のパートでは、土井利忠が生きた幕末の国内には西欧から多種多様の銃が大量に輸入され、大野市内に残る洋式銃の紹介となっている。

目次
御挨拶
凡例
Ⅰ 土井利忠  山と海の殖産興業概説・・・岩井 孝樹
一、序章 土井利忠の改革
二、大野藩の象徴 大野丸
三、石灯籠地蔵尊の意義
四、財政窮迫から「山の殖産興業」へ
五、大野屋から「海の殖産興業」へ
1.山の商品作物と「大野屋」
2.西方浦の海運 「海の殖産興業」
3.金銀比価の投機 内山隆佐の密書
六、人材登用の社会的背景
七、結び 開明的殖産興業
[注]

Ⅱ 面谷鉱山 自然銅「大黒天像」 ー 「大野銅」の成分分析 ー・・・岩井 孝樹
はじめに
一、大野銅の成分分析
1.福井県工業技術センターの試験成績表
2.「大野銅」分析結果の要約
二、大野藩「山の殖産興業」
[注]

Ⅲ 古式銃・・・杉本 幸男
土井利忠と鉄砲
火縄銃
ピン打式銃
雷管式銃
縁打式銃

Ⅳ 大野藩の洋学・・・田中 孝志
はじめに
一、洋楽の発展
1.将軍吉宗の実学奨励
2.蘭学とは
二、藩校での洋学教育
1.土井利忠と洋学
2.藩校「明倫館」の洋学研究
3.伊藤慎蔵と洋学館
4.活躍する洋学研究と、それを支えたもの
三、大野藩の¥
四、財政窮迫から「山の殖産興業」へ
五、大野屋から「海の殖産興業」へ
1.山の商品作物と「大野屋」
2.西方浦の海運 「海の殖産興業」
3.金銀比価の投機 内山隆佐の密書
六、人材登用の社会的背景
七、結び 開明的殖産興業
[注]

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