南越地域の史跡・遺跡「恵迪斎跡碑」(福井県越前市粟田部町)

南越地域の史跡・遺跡「恵迪斎跡碑」(福井県越前市粟田部町)

(写真下:恵迪斎跡碑(福井県越前市粟田部町)<*2024年1月14日午後訪問撮影>

恵迪斎跡   けいてきさい 昭和30年(1955年)1月建立
天保9年(1838)松平慶永(春嶽)公が第16代藩主となり、その命を受けた橋本左内が藩内の文教の発展向上に努めた。
嘉永6年(1853)藩内で初めて福井城下外である粟田部の地に公立平民学校として「恵迪斎」が誕生した。
初代塾長は三寺三作が就任し、粟田部の地に教育のあかりを燈した。明治12年(1879)の校舎新築とともに春嶽公の命により「花筐校」の誕生と成った。昭和12年(1937)には花筐文庫が建設され、当地は粟田部の郷土教育文化の発祥の地として歩み続けており、第19代松平康昌公筆の碑「恵迪斎跡」を此処にそのしるしとして建立する。
平成24年(2012年)6月24日 花筐校創立140周年記念事業委員会

嘉永3年(1850年)、福井藩郡奉行大井弥十郎は、粟田部(現・福井県越前市粟田部)の地が福井藩領内で産業経済文化の香り高い所であり教育文化施設の必要性を痛感して、粟田部に教育施設の必然性を越前国福井藩16代藩主・松平春嶽(1828年~1890年)に献策。嘉永6(1853)年6月、藩公認村塾として藩学の別館として「恵迪斎」を設立。初代塾長に福井藩士三寺三作(1821年~1895年)が就任(33歳)。塾名は、大井弥十郎の撰し、「四書五経」の書経中の「迪(みち)に恵(したが)えば吉にして、 迪(みち)に逆らうは凶」ヘハキ チ吉 」という字句を引用して「迪斎(けいてきさい)」と命名された。郷学恵迪斎の場所は粟田部上大門町儒医飯田友軒跡本町木津次左衛門が別荘(現・嶋会館地)を提供。「恵迪斎趣法講」を設け経営維持費を村立自費捻出。

安政元年(1854年)12月、福井藩より安政学問所恵迪斎基金として二貫匁を下付される。安政2年(1855年)4月、三寺三作、福井藩明道館教授に栄転となるが、安政2年(1855年)10月、粟田部から三寺三作が慕われ強い懇請により再び恵迪斎教諭となる(三寺三作35歳)。安政4年(1857年)2月13日「恵迪斎」明道館外塾(外塾は藩校明道館に属する簡易教育所であって、藩の保護監督をうける半官半民的な初等教育機関)として昇格。藩直営として授業料、謝礼、「趣法講」が廃止され藩立平民学校として設立。福井藩学問所以外の藩唯一の藩立平民学校として存在。ただ、安政4年(1857年)7月20日、三寺三作(37歳)病気のため福井藩学明道館教授に帰藩。高弟の斉藤梁山塾長代行、門弟700名に及ぶも、三寺三作帰藩後、外塾を外される。

三寺三作帰藩の後、恵迪斎は一時休校となったが、慶応元年(1865年)、福井藩士、結城(林)詮、粟田部に私塾を設け、「恵迪斎」二代塾長として経営に努力。慶応3年(1867年)8月、村塾「恵迪斎」を郡吏の指揮により再興。その後、明治3年(1870年)、藩命により「恵迪斎」は廃され、「粟田部郷学所」と称し郷学所が設立され、粟生寺に置く。林詮が郷学所長を務める(林詮は、その後、窮理、櫻鳴、愛景、花筐と名を変え続く校長として明治19年(1886年)として粟田部で奉職。明治19年(1886年)に織田小学校に転任し、明治35年(1902年)歿す。林詮69歳)。

明治4年(1871年)10月、廃藩置県となり郷学所廃止、林詮、私塾として引き継ぐ。明治5年(1872年)、学制の発布を受け花筐小学校の前身である窮理小学校が10月に設置。善玖寺を仮校。明治6年(1873年)4月4日、癸酉の大火に遭い校舎消失、9月20日了慶寺にて仮校。明治7年(1874年)、窮理小学校を櫻鳴小学校と改名。明治10年(1877年)9月7日、櫻鳴小学校を愛景小学校と改名。

明治12年(1879年)1月4日、愛景小学校の校舎を、恵迪斎の跡地(嶋会館敷地)に新築。明治12年(1879年)6月24日、花筐小学校と改称。松平春嶽公より「花筐校」揮毫の扁額を下附される。明治20年(1887年)花筐尋常高等小学校と改称、同時に高等科設置。明治33年(1900年)、花筐尋常高等小学校の校歌・校章を制定。昭和2年(1927年)粟田部の大火により花筐尋常高等小学校校舎全焼。昭和3年(1928年)、現在地(現・福井県越前市粟田部町41-12)に新校舎移築落成。昭和22年(1947年)花筐小学校と改称。花筐中学校を併設。昭和47年(1972年)花筐小学校創立100周年記念式典挙行(1872年、学制の発布を受け花筐小学校の前身である窮理小学校が創立された以来100周年)。恵迪斎に始まる花筐教学の志は花筐小学校に受け継がれている。

恵迪斎跡碑の揮毫は、この地が郷土文教発祥の地でもあり現在の花筐校名の名付け親でもある福井藩主松平春岳公の後喬 19 代松平康昌候の筆によるもので、昭和30年(1955年)1月、「恵迪斎跡」を此処にそのしるしとして建立。また、その石製案内板は、平成24年(2012年)6月24日に花筐校創立140周年記念事業委員会が設置。

 <「花筐教学の師 三寺三作と恵迪斎」(編者:福田往世、発行:粟田部郷土史研究会、2012年11月)>

(写真下:花筐小学校現校舎(福井県越前市粟田部町41-12)<*2024年1月14日午後訪問撮影>

恵迪斎跡碑が建つのは、福井県越前市粟田部町22-21に建つ越前市島会館の前で、この建物は、昭和2年(1927年)粟田部の大火により、この地にあった花筐尋常高等小学校校舎が全焼し、昭和3年(1928年)、現在地(現・福井県越前市粟田部町41-12)に新校舎移築した後の跡地に、1936年(昭和11年)5月に、地元の粟田部出身の実業家・嶋連太郎氏(1870年~1941年)が建設し粟田部町に寄贈した粟田部町立花筐文庫が前身(当初は図書館として使用され、その後は、地区のコミュニティセンターや町役場の保管庫として使用。市町村合併も経て、現在は、越前市島会館に改称)

(写真下:越前市島会館と恵迪斎跡碑(福井県越前市粟田部町)<*2024年1月14日午後訪問撮影>

三寺三作(みつでら・さんさく
文政4年(1821年)5月、現在の福井市宝永町に三寺剛右衛門(禄150石)の次男として出生、三寺家は在原業平(六歌仙の一人、平城天皇の孫)の末裔と伝えられる。三作、三策また本之丞とも名乗り、幼少の頃、藩士田川太郎に句読を受け、藩儒学者前田彦次郎(雲洞)に漢学を学び、その後、吉田東篁(1808年~1875年)から朱子学を学ぶ。三寺三作は、軽輩にもかかわらず藩主に教学の振興策を建白し、熊本藩士横井小楠を招聘するという快挙も成し遂げている。嘉永6年(1853年)には、恵迪斎の初代塾長として赴任し、多くの子弟教育にあたる。福井教育界の先駆者であり、粟田部の教育文化の向上と地域発展に貢献した「花筐教学の師」

嘉永2年(1849年)、福井藩儒吉田東篁の門弟で学事担当の浅井八百里の推挙により、藩庁から朱子学純粋の儒者を二年以内に探して報告するようにと命ぜられ、同年6月10日出立。同年8月、京都に遊学し梁川星厳と交流し横井小楠(1809年~1869年)の名を聞く。梅田雲浜とも親交を結び雲浜から熊本藩、家老長岡監物の家臣笠隼太への紹介状を持って、10月12日熊本を訪れる。笠隼太と面談し横井小楠を紹介され、横井小楠の高邁な識見に感服、沼山津小楠堂に入門。11月15日帰国の途、正月3日帰藩。ただ、直ちに横井小楠の福井への招へいは熊本藩内においても問題があり、実現できず。ただ、三寺三作の1849年の熊本遊歴が、横井小楠の名声を福井藩内に広める最初のきっかけとなり、これがきっかけとなり、横井小楠も諸国遊歴の途中、1851年に2回福井に滞在し、その間多くの有志と交流し、吉田東篁宅でも福井藩士の前で講演を行っている。

熊本藩士の横井小楠は、幕末期の最も進歩的な思想家の一人であり、 福井藩主松平春嶽は小楠の実力を見抜き、彼の派遣を熊本藩に要請した。この英断により安政5年(1858)小楠は福井藩の政治顧問に招かれ、三岡八郎等を指導し、藩政改革にその思想を反映させた。文久2年(1862)春嶽が幕末の先頭に立つ役職である政治総裁職に就任すると、そのブレーンとして国政に大きく関与した。文久3年(1863)福井藩を辞去し熊本に帰国。大政奉還後に新政府に招かれたが、明治2年(1869)京都で暗殺された。

また、梅田雲浜との交流については、安政元年(1854年)、梅田雲浜が福井からの帰途、粟田部の恵迪斎に、初代塾長に就任していた三寺三作を訪ねて1泊し、7月27日に帰京している。また、安政3年(1856年)2月には、粟田部の恵迪斎内の三寺三作宅に宿泊し、約1週間滞在。この梅田雲浜の訪問は、どてらをまとい竹皮笠をかぶり素足わらじのまま国事を憂いての密かな訪問。

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