南越地域と近代の戦争記憶 「野尻君彰功碑」(福井県鯖江市三六町)

南越地域と近代の戦争記憶
「野尻君彰功碑」(「三六史蹟公園」内、福井県鯖江市三六町)

大日本帝国陸軍歩兵第36連隊は、明治29年(1896年)9月25日、友安治延歩兵大佐が初代歩兵第36連隊長に輔せられ、明治29年(1896年)11月、歩兵第36連隊副官ならびに第一大隊将校相当官の補職や下士官の命課があり、同年12月1日入隊の新兵の受領があって第一大隊の編成が終わる。ただ、当時まだ新設の兵舎が竣工していなかったので、旧名古屋城二の丸にある歩兵第19連隊兵舎の一部を充当。明治30年(1897年)1月26日、名古屋市外東春日井郡守山に新築中であった歩兵第33連隊の兵舎に移転して、しばらく同居していたが、明治30年(1897年)8月20日、駐屯地移転のため守山を出発し、笹島駅より乗車、歩兵第36連隊の衛戍(駐屯)地と定められた福井県鯖江駅に下車し、ここで初めて福井県鯖江の歩兵第36連隊の新兵舎に移転。

歩兵第36連隊の兵営は、現在の福井県鯖江市三六町を中心とする一帯に定められ、敷地面積は約16ヘクタールであった。この連隊の用地確保に一役買ったのが、当時、福井県丹生郡立待村長の野尻録衛(ろくべい)氏(弘化元年(1844)1月17日生)。野尻録衛氏は、神明村長の山本七兵衛氏と協力し、広大な所有地を率先して献納した。特に、野尻録衛は私費で用地を買収し、2町8畝余の所有地を献納。これに感服して人々の土地献納や労力奉仕が続き、連隊用地が確保、整備された。野尻録衛氏の顕彰碑は、現在、三六史蹟公園(福井県鯖江市三六町)が史蹟碑の近くに建立されているが、もともとは、元兵営北裏門の北方約150メートルの森の中にあり、創設当時の野尻録衛氏の顕彰碑を後年移設している。

(写真下:「野尻君彰功碑」(福井県鯖江市三六町)、2023年5月13日午前訪問撮影)

(写真上:「野尻君彰功碑」ー「鯖江歩兵第36連隊史」より)

碑文解釈:<この碑文は三原連隊長が書かれたもので、それを文学博士もと福井大学教授山本命氏に依頼して、碑文の解釈をしてもらったもの ー「鯖江歩兵第36連隊史」より>

明治27・8年征清之役(日清戦争)の後、東洋の形成はいよいよ急となった。政府は大いに兵力を増強してこれに備えた。その数は日清之役当時の2倍に達した。歩兵第36連隊の兵営と練兵場を新たに福井県糺野の原に置く。この地は丹生、今立両郡に跨りその経営に必要な土地は極めて広大である。
丹生郡立待村の豪農野尻録衛君がこのことを聞いて「自分は亡くなった母親から兵農は国家の大本であると聞いている。微力ではあるけれども国家の為にこの仕事を助成しなければならない」と考え、まず先に所有地3町8畝17歩を献上し、初めて兵営を新設するという相談を始めた。ある人がひそかに兵営になる予定地を買収して巨利を得ようとしていた。陸軍建築部の人がいろいろ諭したがなかなか軍命に従わなかった。そうしているうちに歳月がのびのびになりいたずらに日数ばかりかかって工事を妨害するような事にもなった。こうしたころから付近の地価も益々あがっていった。野尻君はこの様子を見て、これは地方の不祥(不吉)であると考え、自分から走りまわって他の人々を勧誘し、つとめて地価を平均化して官の需要に応じるように説得した。だがこうした努力にもかかわらず一人の人がどうしても承諾しなかった。野尻君が歎いて言うのには「目先の利益にだけ走る者はどうして国家が大金を出してこの土地をすべて買い上げ、それをさらに軍の需要に生かそうとしているわけを知らないのだろうか」。この言葉を聞いて感服し、ふるって土地を献上する者が続出し、8町以上の土地を入手することができた。
それ以来兵舎の建築も半ばでき上ったので、愛知県の守山に駐屯していた軍隊が、この土地に移転してきた。実にこれ明治30年8月20日のことである。軍隊は来てもまだ練兵場は凹凸があって平坦でなく、その上、木の根がはびこってとても使用することができない。そこで軍隊の将校が兵隊を督励し、自から鋤をとって土地を平坦にしはじめた。野尻君はこれを黙って見ているに忍びず、同志を募り四隣の人たちを説得して助勢を求めた。県内の郡村からも多くの人が集って来た。それぞれ鋤や鍬を手に持ち日々数千人の人達が地均しに協力した。県知事も自からこの工事を視察し奨励をした。そこでたちまち木の根が取り除かれ不均斉な土地が平坦になり、間もなく兵営練兵場とも全部の工事が竣工した。これもとより陸軍建築部の経営が立派であったためでもあるが、野尻君の努力と功績もまことに偉大であったというべきである。
野尻君は同村野尻藤右衛門氏の三男である。若い時に実母の弟野尻録衛氏の養子となってその娘と結婚し、後に家を嗣いだ。君は慈善を好み、義侠を重んじる性質の人で早くから赤十字社の特別社員に列せられ、常に公益に力を尽くしてきた。選ばれて、村長となり、私財を投じて公益につくすことも再三であった。先に木杯、銀杯を賜わり、次いで金盃の賞を授けられた。
さきごろ、両郡の有志が集まって君の顕彰碑を建て、その功績を刻もうと相談して私にその文を依頼してきた。ああ、君のような人物は世間でも稀に見る人で、貧夫や懦夫(決断力のない人)をしてよく仕事に励ませ、志を立てるように努力させる人であると言うことができる。しばしば名誉の賞を賜わったのも当然のことである。その土地を献上するときの言行の如きは、まさに忠君愛国の至誠から発したものであって、若しそうでなかったら、どうしてこのような仕事をすることが出来ただろうか。
私が連隊長の職をうけてから、この偉大な業蹟のてん末を知り、君の善行を賞揚し、その義挙をたたえて後世の記念として残すのも又報告の一端であると考える。喜んでここにその梗概(あらまし)を書きとめた。
明治三十四年 仲夏
従五位勲三等功四級 三原重雄撰
正七位勲五等    近藤直一書

(写真上:「鯖江連隊史蹟碑」(福井県鯖江市三六町)、2023年5月13日午前訪問撮影)



(写真上:陸軍歩兵第36連隊跡営門と掲示板の写真。2023年5月13日午前訪問撮影。同日、三六祭挙行のの日で、営門に国旗掲揚されていた)

(写真上:三六史蹟公園内。2023年5月13日午前訪問撮影)

 

なお、この陸軍歩兵第36連隊跡営門や鯖江連隊史蹟碑がある三六史蹟公園より国道417号線を約250m南の三六公園(福井県鯖江市三六町1丁目)内に、「昭和11年(1936年)当時 鯖江歩兵第三十六連隊兵営図」が掲げられていて、兵営の広さや場所がわかる。
(写真上2枚:鯖江市三六公園内。2023年6月10日午前訪問撮影)

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