北陸の歴史人物関連 「九転十起の像(浅野総一郎翁像)(1848年~1930年)」(富山県氷見市薮田)

北陸の歴史人物関連 「九転十起の像(浅野総一郎翁像)(1848年~1930年)」(富山県氷見市薮田)

<写真下:「九転十起の像」(富山県氷見市薮田)(*2025年5月16日午後訪問撮影)


<写真下:「九転十起の像」建立説明碑文(富山県氷見市薮田)(*2025年5月16日午後訪問撮影)

九転十起の像(浅野総一郎翁像) 
この像は、事業を起こしては失敗・挫折を繰り返しながらも人生の夢と希望に向かって邁進し、一代で財閥を築きあげセメント王や京浜工業地帯の父と呼ばれている浅野総一郎翁の像です。
人は、生を受け七転八起の人生を送りますが、事業にはその時節によって良し悪しが必ずめぐってきます。そうした中において、いかなる時も努力と勤勉を惜しまずに頑張れば、必ず道が開けることを我々に身をもって教えてくれた浅野翁です。
翁は、幾多の失敗と挫折を繰り返し若い頃には何かと面倒を見てもらっていた村の肝いり役 山崎善次郎氏から七転八起で足りなければ、九回転んで十回起きれば良いと教えられ、懸命な努力をし成功を掴みました。このことから、本像を「九転の像」と命名しました。
長い人生の歩みの中で、行き詰まったり失敗しても、必ず立ち上がる勇気を持って努力すれば必ず道が開けるという九転十起の像を心静かに拝見していただき、すべての人々の人生が豊かになるよう願うものです。

浅野総一郎 座右の銘「度胸・努力・勤勉」
九転十起の像建立発起人(氷見市長・氷見商工会議所会頭・氷見市農業協同組合長・氷見漁業協同組合長・氷見市観光協会長・薮田自治会長)
平成20年7月20日 建立
九転十起の像(浅野総一郎翁像)建立会 代表世話人・世話人・事務局

浅野総一郎(嘉永元年(1848)~昭和5年(1930))は、越中国射水郡藪田村(現・富山県氷見市薮田)で、医師淺野泰順の長男として生まれる(幼名は泰治郎)。16歳年上の姉・お富に婿を迎え跡継ぎにすることが浅野総一郎が生まれる前から決まっていて、1853年(嘉永6年)、6歳で母リセの妹で叔母のトヨの家の氷見の町医者・宮崎南禎に養子に出されたものの15歳のときに離縁。実家に戻り、その後、慶応2年(1866)、射水郡大野村の豪農の庄屋・鎌仲惣右衛門の一人娘ヤスの婿養子となり、産物会社など、いくつもの事業を始めるも、いずれの事業も失敗し鎌仲家と離縁。一旦は実家に再び戻るが、多くの借金を抱え、1871年(明治4年)、23歳のときに逃げるようにして上京。東京では砂糖冷水売りから始め、竹皮商、薪炭商、石炭商等を経て、横浜瓦斯局が廃棄するコークス、コールタールの払下げを受け、コークスは燃料として、またコールタールはコレラの流行で不足していた消毒用の石灰酸として売り込むことに成功。また、石炭取引先の抄紙会社の渋沢栄一の知遇を得、その助力により、1883(明治16)年、官営の深川セメント工場を借り受け(翌年払下げ)、浅野工場(浅野セメントの前身)を設立。渋沢や同じ越中出身の安田善次郎などの協力を得て、経営は順調に進み、良質なセメントを大量に生産。

総一郎は、この他、主要事業として磐城炭坑(1883(明治16)年創立)と東洋汽船(1896(明治29)年創立)も経営するとともに、様々な事業の設立に出資し、役員として経営に関与。その中で、最も力を入れた事業が東京湾の埋立事業で、埋立地に臨海の工業地帯を造成して、大型船が横付けできる港を造り、また鉄道ともつなぐ大規模事業を強力に推進。ここでも渋沢や安田の協力を得、1912(明治45)年、鶴見川崎地先に150万坪の埋立計画の認可を神奈川県に出願し、15年かけて完成させ、これにより京浜工業地帯の礎を築く。一代で浅野財閥を築いた明治・大正時代を代表する日本の大実業家となり、「京浜工業地帯を創った男」、「日本のセメント王」などと呼ばれる。享年83歳。

浅野総一郎生誕160年記念として、浅野総一郎生誕の地の薮田(富山県氷見市薮田)の薮田コミュニティセンター横の薮田児童公園内に、「九転十起の像(浅野総一郎翁像)」が、平成20年(2008年)7月20日に建立。銅像の回りには、浅野総一郎の年譜や関係事業について詳細に記されている。「九転十起の像(浅野総一郎翁像)建立会」の事務局は、浅野総一郎の支援者だった山崎善次郎の玄孫で氷見市薮田在住、1946年生まれの山崎健(やまざき・たけし) 氏。 尚、浅野総一郎の銅像については、1924年(大正13年)に、浅野財閥が浅野綜合中学校(神奈川県横浜市神奈川区子安台の現・浅野学園)キャンパスの銅像山に建立した巨大な銅像があり、1924年5月18日が銅像の除幕式。戦時中に供出されたが、戦後の1958年(昭和33年)に復元された。再建銅像の除幕式は、1958年11月23日。一方、生誕地の薮田には、1924年(大正13年)11月17日に、薮田小学校(1996年に廃校)校庭に、浅野総一郎の胸像が建てられ、除幕式が行われたが、戦時中に供出され現存せず。

<写真下:「九転十起の像」(富山県氷見市薮田)(*2025年5月16日午後訪問撮影)

<写真下:「九転十起の像」浅野総一郎年譜(富山県氷見市薮田)(*2025年5月16日訪問撮影)

浅野総一郎年譜
・嘉永元年(1848)3月10日:
富山県氷見郡薮田村に医師・浅野泰順の長男として生まれる。幼名泰治郎。後に総一郎と改名。
・嘉永6年(1853)(6歳)
富山県氷見郡氷見町の医師・宮崎南禎の養子となる。
・文久元年(1861)(14歳)
考えるところあって養家より離縁し浅野に復帰する。
・文久2年(1862)(15歳)
母親を説得し資本を出させ編機を始める。
・文久3年(1863)(16歳)
醤油醸造を営む。
・元治元年(1864)(17歳)
稲扱仕入れのため氷見針を行商しながら陸路を単身京都へ赴く。
・慶応2年(1866)(19歳)
2月、近村の大野村豪農・鎌仲惣右衛門長女の婿養子となり、泰治郎を惣一郎と改名。
・慶応3年(1867)(20歳)
産物会社を創設し業務担当者となる。柏崎と新潟に事務所を設け、裏日本一帯に産物を商い、その名ようやく顕れる。
・明治元年(1868)(21歳)
積極行動に因を発し、産物会社破綻。鎌仲家より離縁となる。
・明治3年(1870)(23歳)
実家の薮田村近郷各村へ農業の副業として蓆機を宣伝。氷見町に浅野商店の看板を掲げ産物会社の再挙を計る。
・明治4年(1871)(24歳)
能州の有名な金貸お熊より無担保にて金3百両を借入。5月5日夜 事業に失敗して故郷を脱走。同月19日初めて東京に入る。夏、万世橋際および御茶ノ水の路傍にて冷水を売る。秋、横浜の醤油および味噌商・小倉屋に奉公。冬 独立して横浜で竹の皮商を始める。
・明治5年(1872)(25歳)
栃木県人鈴木長右衛門の二女サクと結婚。
・明治6年(1873)(26歳)
横浜住吉町に大塚屋・大熊良三の仮名に隠れて薪炭商を営み、石炭販売を兼業する。
・明治7年(1874)(27歳)
石炭商専業となる。7月 強盗に襲われる。
・明治8年(1875)(28歳)
2月、近火に類焼し無一文となる。横浜寿町に再挙を図る。
・明治9年(1876)(29歳)
横浜瓦斯局よりコークスの払下げを受け奇利を博する。
・明治10年(1877)(30歳)
西南戦争のため全国の汽船は御用船に徴発され、九州・横浜間の輸送が杜絶したために石炭の価格は暴騰し一挙に巨利を収める。
・明治12年(1879)(32歳)
横浜の市中63ヵ所に公衆便所を建設する。
・明治16年(1883)(36歳)
4月、渋沢栄一らの助力を得て深川のセメント工場の払下げを受ける。品川弥太郎、榎本武揚らの後援を得て益田孝、渋沢喜作と協力し共同運輸会社を創立する。磐城炭礦社を創立する。
・明治18年(1885)(38歳)
10月、共同運輸を岩崎汽船部に合併し、日本郵船会社となる。
・明治20年(1887)(40歳)
2月、大日本人造肥料会社の創立に参与する。3月、大倉喜八郎、渋沢栄一と図り東京製綱会社を創立する。
・明治21年(1888)(41歳)
渋沢栄一と共に平・上野間の鉄道布設を企てる。札幌麦酒会社の創立に参与する。
・明治23年(1890)(43歳)
6月、帝国ホテルの創立に参与する。
・明治26年(1893)(46歳)
12月、磐城炭礦社を株式組織とし磐城炭礦株式会社と改称する。
・明治29年(1896)(49歳)
7月、東洋汽船会社を創立し、新船注文のため渡米。
・明治37年(1904)(57歳)
日露戦争開戦のため東洋汽船の所有船3隻、御用船に徴発される。鶴見海岸埋立計画の認可申請を神奈川県庁に提出する。
・明治40年(1907)(60歳)
安田善次郎と協り、東京湾築港を計画し、東京府へ認可を申請する。
・明治41年(1908)(61歳)
鶴見海岸150万坪の埋立計画を企てる。
・大正元年(1912)(65歳)
8月、沖電気会社の設立成る。
・大正2年(1913)(66歳)
鶴見埋立組合成り、2月、工事に着手する。同月、セメント工場を株式組織に改め、浅野セメント会社と改称する。
・大正5年(1916)(69歳)
4月、浅野造船所を創設する。5月、日本昼夜銀行を創立する。
・大正7年(1918)(71歳)
4月、浅野物産を創立する。5月、日本昼夜銀行を浅野昼夜銀行と改称する。同月、日本鋳造会社を創立する。
・大正8年(1919)(72歳)
10月、水電界の有力者と協り、各水電会社の送電統一を計ろうとの大抱負をもって、東京電力会社設立の計画を企てる。
・大正9年(1920)(73歳)
1月、宿願の浅野綜合中学校を創立する。
・大正11年(1922)(75歳)
8月、浅野昼夜銀行を安田家に譲渡する。浅野セメント会社の拡張工事を行う。
・大正12年(1923)(76歳)
関東大震災救護金百万円を公共に寄付する。
・大正13年(1924)(77歳)
5月、約25万人の寄付金により浅野綜合中学校校庭の一角に、身長1丈6尺(4.8m)・台座20尺(6m)の寿像成り、除幕式を挙行する。11月、郷里の薮田小学校入口に寿像成り、除幕式を挙行する。
・昭和5年(1930)(83歳)
高齢をものともせず、約3カ月の欧米視察の旅を終えて8月帰朝。横浜埠頭の歓迎の群衆ににこやかに帽子を振った翁の、この秋の長逝を誰が予想しえたか。11月9日長逝。

(この年譜は、浅野総一郎翁の喜寿を祝して嗣子・浅野泰治郎および良三の両氏が著した『浅野総一郎』<初版発行大正12年6月8日>並びに『日本セメント70年史』に基づいて作成したものの写であります)

<写真下:「九転十起の像」浅野総一郎年譜(富山県氷見市薮田)(*2025年5月16日訪問撮影)>

浅野総一郎翁関係事業 (昭和33年12月調)
セメント事業
浅野セメント株式会社 明治16年4月創立(日本セメント株式会社に改名)
東亜セメント株式会社 明治40年1月創立(浅野セメント株式会社に併合)
浅野スレート株式会社 大正4年2月創立
第一セメント株式会社(旧浅野セメント株式会社 川崎工場)
会津礦業株式会社 大正9年6月創立
日本石膏株式会社 明治45年3月創立(会津鉱業株式会社に併合)
日本カーリット株式会社 大正9年7月創立
旭コンクリート工業株式会
社 大正12年11月創立
大阪石綿工業株式会社 大正14年8月創立(浅野スレート株式会社に併合)
日本ヒューム管株式会社 大正14年10月創立
製鉄造船事業
浅野合資会社製鉄所 大正6年9月創立(現在 日本鋼管株式会社 鶴見製鉄所)
日本銑鉄株式会社 大正6年9月創立(旧 小倉製鋼株式会社に併合)
株式会社大島製鋼所 大正6年11月創立(日曹製鋼株式会社に併合)
中央製鉄株式会社 大正6年11月創立(解散)
小倉製鋼株式会社 大正7年12月創立(住友金属工業株式会社に併合)
日本鋳造株式会社 大正9年9月創立
東京シャリング株式会社 大正15年9月創立(現在東都製鋼株式会社及び東京シャリング株式会社)
株式会社浅野造船所 大正5年4月創立(現在 日本鋼管株式会社鶴見造船所)
株式会社浅野造船所船渠部 大正12年4月創立(現在 日本鋼管株式会社浅野船渠)
海運陸運事業
東洋汽船株式会社 明治29年6月創立
日之出汽船株式会社 大正元年11月創立
国際汽船株式会社 大正8年7月創立(大阪商船株式会社に併合)
関東運輸株式会社 大正9年7月創立
青梅電気鉄道株式会社 明治26年12月創立(国有鉄道に譲渡)
小倉鉄道株式会社 明治40年6月創立(国有鉄道に譲渡)
南武鉄道株式会社 大正10年3月創立(国有鉄道に譲渡)
鶴見臨港鉄道株式会社 大正13年7月創立(国有鉄道に譲渡)
留萌鉄道株式会社 大正13年7月創立(国有鉄道に譲渡)
三岐鉄道株式会社 昭和3年9月創立
埋築地所事業
鶴見埋築株式会社 大正3年3月創立(東京湾埋立株式会社に併合 更に 東亜港湾工業株式会社に改名)
京浜運河株式会社 大正6年9月創立(旧東京湾埋立株式会社に併合)
台湾地所建物株式会社 明治43年6月創立(解散)
石油事業
宝田石油株式会社 明治35年6月創立(旧日本石油株式会社に併合)
南北石油株式会社 明治38年創立(旧宝田石油株式会社に併合)
東亜石油株式会社 明治39年8月創立(旧南北石油株式会社に併合)
鑛山事業
磐城炭礦株式会社 明治16年創立(現在 常磐炭礦株式会社)
茨城採炭株式会社 明治34年9月創立(旧磐城炭礦株式会社に併合)
石狩石炭株式会社 明治39年4月創立(北海道炭礦汽船株式会社に譲渡)
大日本鑛業株式会社 大正4年11月創立
日支炭礦汽船株式会社 大正6年10月創立(解散)
朝鮮鉄山株式会社 大正6年10月創立(解散)
浅野雨龍炭礦株式会社 昭和4年9月創立(古河鉱業株式会社に譲渡)
貿易事業
浅野物産株式会社 大正7年4月創立
電気事業
沖電気株式会社 大正元年8月創立
庄川水力電気株式会社 大正8年9月創立(関西電力株式会社に譲渡)
関東水力電気株式会社 大正8年10月創立(東京電力株式会社に譲渡)
文化事業
浅野綜合中学校 大正9年1月創立(浅野学園に改名)
銀行事業
株式会社日本昼夜銀行 大正5年5月創立(旧安田銀行に併合)
其他の事業
東京瓦斯株式会社 明治18年10月創立
大日本人造肥料株式会社 明治20年2月創立(日産化学工業株式会社に改名)
東京製綱株式会社 明治20年3月創立
札幌麦酒株式会社 明治21年創立(日本麦酒株式会社に改名)
株式会社帝国ホテル 明治23年6月創立
浅野石材工業株式会社 明治38年9月創立(解散)
神奈川コークス株式会社 大正8年4月創立(東京瓦斯株式会社に併合)
鶴見木工株式会社 大正9年8月創立(解散)
伏木板紙株式会社 大正12年9月創立(中越パルプ株式会社に併合)

この事業一覧は横浜市の学校法人浅野学園敷地内にある浅野総一郎翁銅像脇に表示してあるものを写したものです。

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