南越地域の寺社「八坂神社」(福井県丹生郡越前町天王)

南越地域の寺社「八坂神社」(福井県丹生郡越前町天王20-1-1)

(写真下:八坂神社第一鳥居(福井県丹生郡越前町天王)<*2023年6月18日午前訪問撮影>

八坂神社 <神社第一鳥居の脇の説明版より>
社伝によると、約1800年前、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓出兵の帰途に天下安寧を祈願し、蛇谷山に祇園牛頭天王(ぎおんごずてんのう)を祀ったのが当社のはじまりという。祇園牛頭天王宮と称されていたが、神功皇后の御子応神天皇の御願所となり、応神寺とも呼ばれるようになった。以来、歴代天皇の尊崇あつく、神殿の造営並びに修理が繰り返されてきた。
室町時代には、塔頭(たっちゅう)として応神寺十四坊が成立した。その頃の氏子村は、天王・宝泉寺・栃川・乙坂・馬場・市・田中・在田・甑谷・坪谷・真栗・御油・清水山からなる田中の郷十三ヶ村であった。
慶長3年(1598)の検地の際には社地1町田5反が寄進され、江戸時代を通じて歴代の福井藩主より朱印を賜わっている。明和元年(1764)、三河国西尾藩の陣屋が天王に置かれ、松平和泉守の祈願所となり、祭礼には必ず代参が送られるなど篤く信仰された。
明治時代の神仏分離政策によって神仏習合の長い歴史に終止符を打ち、八坂神社と称され、現在にいたる。 平成30年(2018)3月 越前町商工観光課

なお、越前町の朝日地区の天王の地名は、天王は祇園天皇宮(牛頭天王宮ともいう、今の八坂神社を指す)を鎮座する土地であるので名づけられた。<*『朝日町史』(1976年)より>

(写真上:八坂神社第一鳥居脇の「泰澄の道のコース案内図と八坂神社古図(福井県丹生郡越前町天王)
<*2023年6月18日午前訪問撮影>

<ご祭神> <*八坂神社社務所パンフレットより>
素戔嗚尊(すさのおのみこと)・稲田比売命(いなだひめ)・応神天皇(おうじんてんのう)・伊弉冊尊(いざなぎのみこと)・菊理姫(きくりひめ)
<由緒> <*八坂神社社務所パンフレットより>
社伝によると、当社は今から約1800年前、神功皇后が三韓を征して還幸されたとき、この地の蛇谷山に祇園牛頭天王(ぎおんごずてんのう、素戔嗚尊)を祀り給うたことがはじまりとされています。はじめは祇園牛頭天王宮と称されましたが、神功皇后の御子応神天皇の御願所となり、応神寺(おうじんじ)とも呼ばれるようになりました。
以来、歴代天皇の尊崇あつく、神殿の造営並びに修理が繰り返されてきました。室町時代初めには、応神寺の塔頭(たっちゅう)として応神寺十四坊が成立しています。
その頃の氏子村は、この頃成立した田中の郷十三ヶ村(田中・清水山・馬場・市・乙坂・甑谷・坪谷・真栗・御油・在田・栃川・宝泉寺・天王)となっています。
応永34年(1427)には、田中の郷領主飛鳥井雅縁(あすかいまさより)公が7日間の参籠をして大般若経の転読をしたのは有名です。慶長3年(1598)の検地の際には豊臣秀吉公より社領の寄進を受けています。これはこの後、っ結城秀康公の寄進状、松平忠昌(ただまさ)公の朱印状により認められています。ついで明和元年(1764)には、三河の国西尾藩主松平氏の祈願所となり、神門の寄進・神饌料をうけるなど、それぞれの部門の特別な信仰をも受けています。
明治時代に入って神仏分離令が出され、長きにわたった神仏混淆に終止符が打たれ、しばらく阿麻伎美神社(あまぎみじんじゃ)、続いて八坂神社(やさかじんじゃ)と称されるようになりました。現在も近郷近在の総鎮守として尊崇されています。
昭和38年(1963)本殿造営の折、工事中内陣壇下(ないじんだんした)より多数の平安仏像群が発見され、そのうち五躯が国の重文に指定され、それが契機となって収蔵殿が新設されて、八坂神社関係の一切の文化財が収蔵されました。

(写真下:八坂神社の神門(福井県丹生郡越前町天王)<*2023年6月18日午前訪問撮影>

(写真下:八坂神社の本殿(福井県丹生郡越前町天王)<*2023年11月4日午後訪問撮影>

<文化財> <*八坂神社社務所パンフレットより>
●国指定重要文化財:〇木造阿弥陀如来坐像 1躯 〇木造釈迦如来坐像 1躯  〇木造阿弥陀如来坐像 1躯  〇木造菩薩形坐像 1躯  〇木造光背 1躯
●県指定有形文化財:〇木造11面女神像 1躯
●町指定民俗文化財:〇八坂神社神事願人坊踊り
<八坂神社独特の祭り> <*八坂神社社務所パンフレットより>
●祇園祭(ぎおんさい)7月14日:
疫病神とも言われるご祭神にちなんで、疫病その他の災いから免れるよう祈って齊行される祭りで、600年前室町時代からの伝統を持つ神事。おあたり番には御輿渡御や願人坊踊りが氏子中を巡幸する。
●獅子渡御(ししとぎょ)7月7日:
稲の生育特期に氏子中を巡幸して、虫害をはじめ人々を疫害から守る神事で、この祭りも室町時代からの伝統行事。猿田彦と獅子頭を中心に「ハーナヤ、オーシヤ」のかけ声と共に渡御する。
●水無月祓(みなづきはらい)7月30日:
夜8時社前の齊庭(ゆにわ)に囲いを設け、八台の神籠(ひもろぎ)にお供え物をして齊火(いみび)を焚く古式ゆかしい幽玄な祓いの神事で、素朴な巫女舞が奉納される。

(写真下:八坂神社の本殿(福井県丹生郡越前町天王)<*2023年11月4日午後訪問撮影>

八坂神社の文化財 <説明版より>
当社には、国指定重要文化財をはじめとする数多くの文化財が遺存する。平安時代後期に制作された木造 阿弥陀如来坐像2躯・木造 釈迦如来坐像1躯・木造 菩薩形坐像1躯(附 木造 光背1面)は、国指定重要文化財である。昭和30年代の本殿造営の際に内陣壇下より発見され、別当寺であった応神寺に伝わったものと考えられる。福井県指定文化財の木造 十一面女神坐像1躯は平安時代後期~鎌倉時代に比定され、境内末社の御塔神社に安置されていた。唐装をまとう女神像だが、十一面観音像と同じく頭上面をもち、神仏習合思想を背景に造立された。本像を牛頭天王の后である頗梨采女(はりさいじょ)の像とする説もある。このほか、内陣壇下より採桑老(さいそうろう)・陵王の舞楽面が発見されており、当社でもかつては舞楽の神事奉納が行われていたことを示す。また、嘉慶元年(1387)6月7日付の「天王社御幸供奉日記写」には、「一、十六日之白昼より舞三番、是は幸若役」とあり、14世紀後葉には幸若舞が成立し、八坂神社の祭礼において上演されたとみられている。 平成30年(2018)3月 越前町商工観光課

(写真下:八坂神社の収蔵殿(福井県丹生郡越前町天王)<*2023年6月18日午前訪問撮影> 特別な場合を除いて、収蔵殿は普段は非公開で立入禁止。

(写真下:八坂神社の収蔵殿福井県丹生郡越前町天王)<*2023年11月4日午後訪問撮影> 越前町観光協会主催の越前町の秘仏ツアーに参加。収蔵殿の特別公開。

重要文化財 <八坂神社の収蔵殿前の説明版より>
木造阿弥陀如来坐像1躯、木造阿弥陀如来坐像1躯、木造釈迦如来坐像1躯、木造菩薩形坐像1躯(附 木造 光背1面) 昭和48年(1973)年6月6日 文部大臣

福井県指定有形文化財 平成11年(1999)4月23日指定
木造 十一面女神坐像 鎌倉時代 1躯
八坂神社境内社の御塔神社に伝来した十一面女神坐像は、像高62.8cm、頭部は十一面観音菩薩、身体は神像という神仏習合の姿に彫出されている。頭体幹部はヒノキの一木造で内刳りはない。

越前町指定無形文化財 平成4年(1992)3月5日指定
八坂神社の神事
かつて祇園牛頭天王宮と称した当社に伝わる神事で、旧暦6月に行われてきた。
1.獅子渡御祭 7月7日
「おししさま」とも称され、獅子頭と鼻長(猿田彦)の面が、七郷用水を中心とした越前町内外の氏子村13集落を巡行する。
2.祇園祭 7月14日
疫病を払う祭神にちなんだ祭礼で、子ども達による願人坊(がんにんぼう)踊りも奉納される。6年に一度、おわたり番の年には神輿渡御が行われる。
3.水無月大祓 7月30日
「みなづき」とも称される行事で、境内に設けられた齊庭(ゆにわ)に齊火(いみび)が焚かれ巫女舞が奉納される。 越前町教育委員会

ご祭神スサノヲノミコト(祇園牛頭天王)とは <*八坂神社社務所パンフレットより>
平安時代のはじめ頃、全国的に疫病が流行して多くの人々が死に絶え、これを、政治的に失脚して処罰された人の怨みによる祟りであると考え、この怨霊を退散せしめることが出来るのは、スサノヲノミコトのような偉大な神様に頼るほかないと、祇園社にまつられているこの神様に祈った。これが祇園祭のはじまりで、貞観11年(869)のこと。このようにスサノヲノミコトは、疫病その他の邪悪をはらいのけてくれる唯一の神様として崇められた。八坂神社の祇園祭や獅子渡御が疫病や虫害の多い夏季に執行されるゆえん。
また、祇園の神であるスサノヲノミコトは、印度の釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神である牛頭天王ともされてきた。それ故に印度の密教や陰陽道の信仰とも混じりあって神仏習合の形で祇園信仰が広まったようだ。「祇園の神」といえば、わが国固有の神道と、印度に成立した仏教と、中国の道教等の習合化によって生み出された国際的な神様。このことで、7月30日に斉行される水無月神事の中国的な要素も、重要文化財である平安仏像群の実在もうなづける。

八坂神社 <*『朝日町史』(1976年)より>
■鎮座地
福井県丹生郡朝日町天王第18号字宮前24番地
■祭神
素戔嗚尊を祭り、稲田比売命と応神天皇を配祀し更に伊弉冊尊、菊理姫神を合祀する。
■由緒
神功皇后三韓を征して還り給うた時、天下安全の為に此の地の蛇谷山に神祠を創建して祇園牛頭天王(素戔嗚尊の別称)を祭られたのを創祀とすると伝えている。爾後祇園天王宮と称し、又後、応神天皇の御祈願所ともなったので応神寺と号せられた。仁賢天皇の御代社殿を造営された時から、天智天皇、光仁天皇、嵯峨天皇、花山院、美福門院の御代、御造営或は御修理を加えさせられた。其の後、嘉応元年(1169)、小松内大臣平重盛が修繕し、文治元年(1185)源頼朝及び佐々木六角氏頼等が造営修理を加えられている。田中郷の領主飛鳥井中納言雅縁卿が応永34年(1427)2月29日に当社に詣で17ヶ日間参籠し、その際大般若経を転読させた事が北越紀行に記されている。当時応神寺の末寺として弘蔵坊、金剛院、圓蔵坊、宝撞院、圓禅坊あり。更に永享7年(1435)大勝院を建造し、あわせてこれを応神寺の七坊と称している。時を経て福蓮寺、実相寺、天仁寺、宝泉寺、宝蔵寺、光顕寺、福萬寺が建立され14を数える末寺を擁する事となった。
慶長3年(1598)豊臣秀吉公の検地の際に、先規に任せ社地1町並びに田5段を寄進せられた。後は、丹羽五郎左ェ門長秀より禁制状を、又福井藩主秀康公より社領を寄進され、松平家累代朱印状を寄せられた。明和元年(1764)三河国西尾藩主松平和泉守乗祐が領地を当国に受けた時陣営を当所に置き、当社を祈願所とし、祭礼にはかならず代参を参向させ、又社殿の修築等を行った。又安永5年(1776)には神門を寄進されている。
本社は古来、天王、宝泉寺、栃川、乙坂、馬場、市、田中、在田、甑谷、坪谷、真栗、御油、清水山の13区の総社であったが、後、清水山、馬場がはずれ、現在(1976年の『朝日町史』発行時)は11区の総社となっている。明治2年(1869)神仏判然の令により阿麻伎美神社と称し、続いて八坂神社と改称し、明治8年(1875)12月10日郷社に列せられ、明治41年(1908)4月26日福井県告示第87号を以て神饌幣帛料供進神社に指定せられ、指定郷社となった。

■境内と建造物
境内は1899坪あり。建造物としては本殿、幣殿、拝殿、神輿殿、神門、手水舎、両部鳥居(木像)、花崗石鳥居あり。その他に境内末社として、八幡神社(誉田別尊)・御塔神社(安倍晴明公)・白山神社(伊邪奈美命)・愛宕神社(阿多護大神)・市姫神社(市杵島姫命)・天満神社(菅原道真公)・薬師神社(少彦名命)・辻神社(猿田彦命)・神明神社(天照大神)の9社がある。この境内末社は、もと蛇谷山嶺谷に散在鎮座されていたのを、応安7年(1375)境内に移転された。尚飛地として天王第26号長屋19番地に100坪の境内があり、そこにはお旅所(お仮屋)がある。明治43年(1910)4月25日天王川左岸の山腹にあった雨夜神社をこの境内に移転し、同日稲荷神社を雨夜神社に合併した。
■本殿、幣殿の造営
昭和36年(1961)9月の第二室戸台風の被害で境内木が多数倒折木したのを機に、かねてから懸案中だった本殿を造営する事に決した。昭和38年(1963)10月竣工し昭和39年(1964)11月8日上棟祭を執り行った。
■神社所蔵木像彫刻
昭和38年(1963)6月社殿造営の時、旧本殿の内陣を取り毀したる際、内陣床下より多数の仏体等の木像彫刻が秘蔵されているのを発見し、直ちに京都美術院国宝修理所の手によって仮復元し、これを拝殿の両側に安置する。尚発見された木造彫刻の目録は次のとおり。
〇阿弥陀如来坐像(その一)1躯 〇阿弥陀如来坐像(その二)1躯 〇釈迦如来坐像 1躯 〇菩薩形(大日如来)坐像 1躯 〇木造光背 1面 〇増長天 立像 1躯 〇持国天 立像 1躯 〇地蔵菩薩 立像 1躯 〇不動明王 立像 1躯 〇小神(仏)像 立像 13躯 〇狛犬 1対 〇仮面 陵王面 1面 〇仮面 鼻高面 1面 〇仮面 父 尉面 1面 〇仁王天衣、仏像、光背等の残缺 〇獅子頭 2頭
この中で阿弥陀如来坐像(その一)と釈迦如来坐像の2躯は昭和40年(1965)5月18日、福井県文化財に指定され、更に昭和48年(1973)6月6日にこの2座の外、阿弥陀如来坐像(その二)1躯、菩薩形(大日如来)坐像1躯の計4躯が文化庁より重要文化財として指定された。この4躯は順次国宝修理所によって修復される事となった。これらの仏像は、いずれも半丈六の坐像でその表現、材質、技法も異なり製作年次も平安後期の11世紀から12世紀に亘るもので、この地で製作されたものと考えられる。恐らく別院の金剛院をはじめ多くの寺院の本尊と推定されるもので各寺院が廃絶するに伴い本社に安置されたものと見られる。尚内陣床下に秘蔵された理由については、その記録も伝承もないので定かでない。

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