北陸関連の図録・資料文献・報告書 第19回 「梨の花 故地文学散歩」(編集発行: 中野重治研究会)

北陸関連の図録・資料文献・報告書  第19回 「梨の花 故地文学散歩」(編集発行: 中野重治研究会)


「梨の花 故地文学散歩」(編集発行:中野重治研究会、1986年10月発行)

本書「梨の花 故地文学散歩」は、編集発行が中野重治研究会の手による手作りの10頁程度の小さな冊子で、1986年に非売品として発行。福井県出身で日本近代文学を代表する作家である中野重治(1902年~1979年)は、明治35年(1902年)福井県坂井郡高椋村一本田(現・福井県坂井市丸岡町一本田)に生まれた文学者で、東京帝国大学へ進学後、昭和初期にプロレタリア文学の新時代を担うも、治安維持法違反で検挙され転向するが、その後も言論統制の厳しい社会情勢の中でも書き続けることを決意し、「村の家」などの転向5部作を執筆。戦後は社会批評を展開するとともに、故郷の暮らしをふる里の言葉を用いて描いた自伝的小説「梨の花」などの名作を執筆。小説「甲乙丙丁」で1969年度野間文学賞を、さらに、小説、詩、評論など多年にわたる文学上の業績で1978年1月、1977年度朝日賞を受賞するが、1979年(昭和54年)8月24日、胆嚢癌により東京女子医大病院で死去(享年77歳)。

1980年(昭和55年)に、福井県坂井郡丸岡町(現・坂井市)の一本田の中野重治の生家跡地が、丸岡町に遺族より寄贈され、その2年後、1982年には、中野重治の蔵書1万3千冊余が丸岡町に寄贈され、翌1983年5月に、中野重治文庫記念丸岡町民図書館として開館。地元丸岡町での中野文学の研究や顕彰の機運が盛り上がりを見せ、地元丸岡町の中野重治の研究家・中林隆信(1911年~1987年、坂井郡高椋村長崎生まれで、元高校の英語教師)氏が呼びかけをして、事務局を中野重治記念文庫丸岡町民図書館内に置いて1984年3月に12人の会員で結成されたのが「中野重治研究会」。その後、1995年10月に、活動母体は「中野重治・丸岡の会」として生まれ変わるが、中野重治研究会会報は、第1号(1985年3月)~第11号(1995年)まで刊行。この中野重治研究会の初期の活動の一つとして、中野重治の小学校の同窓生や近所の人たちから貴重な証言を得ることになる、中野重治の少年時代を語るという座談会を企画したり、「梨の花」の作品の土地散策ということで案内パンフレットを作ったりと、地元ならではの活動を行っている。中野重治研究会については、小冊子の本書では紹介がないが、「中野重治と私たち -「中野重治研究と講演の会」記録集 ー」(中野重治研究会 編、武蔵野書房、1989年11月発行)の中に収められている、渡辺喜一郎 氏による「研究会活動報告 ー 福井・中野重治研究会 ー」に初期の活動の様子が述べられている。

小冊子の本書のタイトルが「梨の花 故地文学散歩」となっているが、この点については、巻頭に、「”文学散歩”の意義」と題して、”良平が一升徳利をさげて高瀬屋へ通った道は、今、国道に分断されている。当時の高椋小学校はその跡かたもとどめていない。戦後福井震災も加わって『梨の花』の世界は大きく変容してしまった。そして、その当時を知り語れる人たちも少なくなってきている。私たちは、第1回の「重治をしのぶ会」が催されるのを機に、『梨の花』ゆかりの地図をつくることを企画し、当時の重治の家、一本田の集落、丸岡の町並みを復元し、現在の地図に重ね合わせることを試みた。”と、編集発行の中野重治研究会の意図について綴られ、作品『梨の花』紹介に続いている。ちなみに、良平とは、主人公の少年・高田良平。中野重治の小説「梨の花」は、1957年1月から1958年12月完結で、雑誌「新潮」に連載され、単行本「梨の花」が新潮社より1959年5月に刊行。1960年1月には「梨の花」により第11回読売文学賞を受賞。中野重治が小学校から中学校に入学する頃までの少年時代を書いた自伝的長篇小説で、時代は、中野重治が第三高椋尋常小学校(卒業時には高椋西尋常小学校に改称)に入学した1908年(明治41年)から、福井城内にあった福井県立中学に入学した1914年(大正3年)にかけての丸岡一本田とその近郊を舞台に、当時の農村の生活と風物を生き生きと浮かびあがらせながら、その中で感受性豊かな少年が成長してゆく姿を描いた作品。

作品の中の丸岡町内 のことを書いた文章がいくつか、岩波文庫から抜粋され、小説に登場する当時の場所が、現在の地図とも比べることが出来る<梨の花 故地> 文学散歩案内図(其の一)で確認することができる。「梨の花」は、小学1年生の主人公・良平が祖父の使いで、丸岡町内の酒屋の高瀬屋で酒を買って、福井県坂井郡高椋村一本田(現・福井県坂井市丸岡町一本田)の自宅まで歩いて帰るシーンで始まるが、まさに、この道程の描写が、この<梨の花 故地> 文学散歩案内図(其の一)で確認でき、「梨の花」の冒頭に登場する、丸岡町の新町通りの高瀬屋をはじめ、呉服屋の松岡屋、菓子屋の田中屋、こんにゃく屋(魚屋)を通り、淨応寺(現・坂井市丸岡町本町1丁目)から西里(現・坂井市丸岡町西里丸岡)を経て、自宅に帰るルートを辿ることができる。良平少年の自宅があり中野重治自身の生家があった丸岡の一本田(作品では、「二本田」という村の名前になっているが)付近のことを書いた文章も、いくつか岩波文庫から抜粋され、 もう一つ別の地図となる、<梨の花 故地> 文学散歩案内図(其の二)で確認できる。この<梨の花 故地> 文学散歩案内図(其の二)では、良平少年のある一本田(小説では二本田)の村の中の地図や、隣の一本田中(小説では中村)の村の中の地図だけでなく、良平少年の当時の小学校(入学時は第三高椋尋常小学校で卒業時に高椋西尋常小学校と改称)への通学路も示されている。

手書きの<中野家屋敷図>では、中野重治生家の間取りも屋敷図に示されているが、現在の中野重治生家跡に建てられた重治碑や鈴子詩碑は、ともすると、案内板もないので見落としがちであるが、それらの位置も確認できる。この<中野家屋敷図>には、註が3点付されている。それによると、(1)東北部の欅は現在もあるもの。西北部の2本は戦時中、献木(切り倒されただけで終戦となり、その欅で重治は臼と杵を作らせ自ら餅をついた)し、現在はその切株が残っている。(2)岩波文庫版「梨の花」(P.137)に、奥の部屋の間取りが書いてあるが、実際には二部屋であった。(3)現在の邸跡の井戸ポンプは地震後、鈴子が北の方へずらして掘ったもの、とのこと。この小冊子の表紙写真は、中野重治逝去の翌年、生家跡地が丸岡町に寄贈され、同年に建てられた重治碑と「梨の花の故地」とだけ刻まれた石標の写真。表紙裏には、説明が一切付いていないが、1941年(昭和16年)頃、中野重治生家の屋敷前(南側)での家族の集合写真が掲載。これは、「文学アルバム 中野重治」(中野重治研究会 編、能登印刷・出版部、1989年6月発行)P13にも掲載されている写真で、中野重治、父・藤作、母とら、妹・鈴子、妹・美代子、妻・原泉、長女・卯女、姪・谷口清美が写っている。

この小冊子には、地図では、もう一枚、『梨の花』地図 ー大正3年(1914年)当時 ーが附されていて、東は丸岡町のまちの中心エリアから、西は国鉄の丸岡駅までで、高椋村、丸岡町だけでなく、東十郷村まで示され、丸岡町と一本田だけでなく、その周囲の地域の位置関係も分かる。この地図では、一本田→笹和田→舟寄→若宮→上新庄(北陸本線丸岡駅)→福井という、中野重治の福井中学への通学路も確認できるし、当時の小学校(入学時は第三高椋尋常小学校で卒業時に高椋西尋常小学校と改称)の場所も確認できる。北陸道(「往還道」)の今福あたりで、この地図上では現在は民家になっていると記されている。

”『梨の花』の故地といっても、地元に住んでいても、はっきりと知っている者は少ない。丸岡町が企画した故地巡りを機会に当時の地図を再現してみようということになった。当初、簡単に考えていたが、いざ制作の段階に入ると、小説に出てくる家はどこだったか、昔の道路はどうなっていたのか・・と難しい問題も出てきた。生家跡の再現図になると諸説ふんぷん。自ら実測したり、古老にいちいち確かめながら作り上げた。尚不備な点もあろうが、この小さな冊子が、故地巡りとともに小説『梨の花』をよりよく理解するうえで、参考になれば・・と思っている”と、編集後記に、編集発行の中野重治研究会が綴っているが、この中野重治研究会は、その後、1989年6月に、「文学アルバム 中野重治」という貴重な書籍を編集し、能登印刷・出版部より刊行している。この小冊子の編集委員として、中野重治研究会のメンバー、大崎栄太、中林隆信、関 章人、牧野正次、武藤信雄、和田 稔、渡辺喜一郎、渡辺数巳8名の名前が列挙(アイウエオ順)されていて、中野重治研究会の中心人物、中林隆信の名前も見える。中林隆信 氏は、この小冊子発行の翌年(1987年)に逝去。

”文学散歩”の意義
作品『梨の花』紹介
作品の中の丸岡町内 <岩波文庫から抜すい>
<梨の花 故地> 文学散歩案内図(其の一)
作品の中の一本田付近 <岩波文庫から抜すい>
<梨の花 故地> 文学散歩案内図(其の二)
<中野家屋敷図>
『梨の花』地図 ー大正3年当時 ー
<作品の中に出てくる言葉>
編集後記

<作品の中に出てくる言葉>
じょっさま:淨応寺(じょうおうじ)の俗称
おしんぶっつあん:お新発意(しんぼっち)様のこと。出家して間もない者の意味で寺の息子を指す。
火イたかず:物事があって家じゅうを招くこと。招かれる家は、昼も夜も煮たきをしないことからきている。
いあんじん:異安心と書き、信仰上の異なった心。小説の中では良平の祖父母らがお手継ぎの寺とは別に「木田のお寺」を信仰している。
こおしょっ様:お手継ぎの寺のこと
めえろしゅ:女郎衆の意味で女の人のこと。男衆(おとこしゅ)に対する言葉。
かしらぶん(頭分):村の大地主のこと。
メッチャク:顔に出来る「あばた」のこと。「いも」ともいう。
にかごめし:ニカゴはヤマイモのツルにつく実のようなもので、これを炊き込んだご飯のこと。ほかに「いもめし」「大根葉めし」、麦を炊き込んだ「ぶつめし」などが出てくる。
ざいごのもん:在郷の者、田舎者のこと。
にか:籾殻(もみがら)のこと。にかは当時、囲炉裏の煮炊き用に使っていた。
べんこもの:弁口者の意味で口先の達者な人のこと。
じゃけら臭い:無邪気で子供っぽいこと。

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