北陸ゆかりの作家・文学 第1回 「新訂・雁の寺(全)」(水上 勉 著)

「新訂・雁の寺(全)」(水上 勉 著、文藝春秋、1975年9月発行) 

新訂のことば 水上 勉 
本作品の初版は、昭和36年(1961年)9月に、文藝春秋社から刊行されたもので、その後、同社が文庫に入れる際に、大はばな手入れを行なって、旧版は絶版したものだが、文庫が出来あがってみると、さらに訂正すべき箇所が出てきたので、あらためて、また改訂をなして、刊行するものである。すなわち、本版が決定版になる。十数年も前の作品を、しかも、筋書きのわかっている物語を、大はばに改訂するのさえはばかられるのに、再どの手入れは、読者に対しても申しない行為だと思う。しかし、作者は、どうしても、これだけの手入れをしなければ刊行する気になれなかった。ご寛恕を乞う次第である。人によっては、旧作は一切手入れせず、初版のままで愛着する場合もあろうが、「雁の寺」は私には、かけがえのない作品でもあり、また、私の人生にとっても、もっとも思い出をともなう少年時代の実在の人々をモデルとして扱っている。筋書きかかわりはないが、ことばづかいの杜撰な点が気に入らなかったために、慎重をかさねて加筆訂正を試み、そのしあがりを、少しでも悔いないようにしたかっただけのことである。このようなわがままを聞き入れて下さった文藝春秋社に対し、厚くお礼を申しのべる。また初版の時は、わざわざ装釘の労をとっていただいた佐佐木茂索氏の、なつかしい題字kら、今回は別れねばならなかったことも淋しい思いだが、致し方のないことになった。かさねて氏の霊に礼を申しあげる次第である。

1919年3月、福井県大飯郡本郷村岡田(現・おおい町)に生まれた水上勉(1919年~2004年)は、9歳の時に故郷を離れ、少年時代に京都の禅寺の徒弟を経験し。京都の花園中学校を卒業すると還俗。働きながら立命館大学文学部に通うも中途退学して上京。様々な職業を経験し、1944年郷里に疎開して大飯郡青郷国民学校高野分校に代用教員として赴任し、約1年半勤めるも、終戦後、水上勉は代用教員を辞めて上京。1948年、私小説『フライパンの歌』がベストセラーとなるが、生活は苦しく様々な職業を転々とし、1959年、『霧と影』が社会派推理小説として脚光を浴び本格的な作家活動に入る。更に水俣湾の公害に衝撃を受け取材しミステリー小説「不知火海沿岸」を発表。同作に加筆した『海の牙』を刊行し、1961年探偵作家クラブ賞を受賞。1961年には「雁の寺」で直木賞を受賞し、作家としての地位を不動のものとする。

小説「雁の寺」は、昭和36年(1961年)3月に「別冊文藝春秋」に掲載され、単行本「雁の寺」の初版は、同年9月に文藝春秋社から刊行。同年、第45回直木賞を受賞。水上勉「雁の寺」原作とする、1962年公開の若尾文子主演映画「雁の寺」(川島雄三監督)を始め、テレビドラマや舞台化もされ広く知られる作品。ただ、直木賞受賞作品の小説を始め、映画・ドラマ化された作品の原作は、文字通り「雁の寺」で、一般に良く知られるのは、この1961年発表の部分。上述の本書の帯に記されている通り、その後、「雁の寺」に加え「雁の村」「雁の森」「雁の死」と続編が書かれ、最終的に4部構成の連作小説として完結していることは、それほど知られていないかもしれない。1975年9月刊行の「新訂  雁の寺(全)」は4部完結編。

「第1部 雁の寺」のストーリー展開時代は、昭和8年(1933年)秋から翌年11月。ストーリー展開場所は、若狭(福井県大飯郡本郷村底倉部落)の寺大工の子供・捨吉が故郷を離れ10歳で小僧として入った京都の衣笠山麓の禅寺・孤峯庵とその近辺。物語は、慈念と呼ばれる13歳の禅寺の小僧の主人公が得度したばかりの時に、禅寺の58歳の和尚・北見慈海が、京都画壇に名を馳せた岸本南獄が病で亡くなるに際し、南嶽が囲っていた32歳の愛人・桐原里子を託されて、内妻として京都の衣笠山麓の禅寺に密かに囲うことから始まる。序盤から非常に官能的な小説でもありながら、「第1部 雁の寺」の終盤は、一気に完全犯罪のサスペンス小説としての色合いが一気に高まってくる。

「雁の寺」が官能的な小説になっているのは、「第1部 雁の寺」に准主役のように登場する32歳の桐原里子の描かれ方が大きい。桐原里子は、最初は、画家の岸本南嶽が京都の上京区の出町の花屋の2階に囲っていた女性で、13歳の時、五条坂の料理屋に奉公し、その後、木屋町の小料理屋につとめていたのを、岸本南嶽がひっこぬいて晩年いりびたりになった相手。小柄で、ぼちゃっとしており、胴のくびれた男好きのするタイプでかなり美貌で、岸本南獄が死に際に、里子のことを頼んだ相手の禅寺の住職・北見慈海との間で繰り広げられる禅寺内での2人の愛欲まみれの関係だけでなく、孤独で哀しい生い立ちの慈念に次第に同情を覚えた桐原里子と小僧の慈念との関係も目が離せない。尚、桐原里子の父は、八条坊城のむぎわら膏薬の卸売業者として、むぎわら膏薬について詳しく述べられる箇所があるが、水上勉氏自身が、むぎわら膏薬の西村才天堂の行商に従事していたこともある。

主人公の慈念は、体は小さいが、頭が大きく額がとび出てて、後ろに突き出ている後頭部、ひっこんだ奥眼という身体的特徴が至るところで強調されるが、その一方で、成績は良く、田舎の若狭でも、酒井藩の藩主から奨学金をもらったこともある少年。見た目の暗い陰気さがある慈念の出生や小さい頃の話が、「第一部 雁の寺」で、捨吉少年を京都の孤峯庵に連れてきた同郷の福井県大飯郡本郷村底倉部落の西安寺の住職・木田黙堂から少し語られるが、第二部「雁の村」以降の続編で、その詳しい様子が明らかにされていく。大飯郡本郷村底倉部落の西のはしの乞食谷にある阿弥陀堂に捨てられていたから、捨吉と名付けられたが、毎年秋になると村に餅もらいにくる半盲目の乞食女性・お菊が産み落とした子供という哀しい出生。水上勉氏は「私の人生観」で、以下のように記しているが、これが「雁の寺」のモチーフになっている。

”私は福井県若狭本郷駅から1時間半ほど歩いた地獄谷と呼ばれる村で生まれた。父は寺大工で京都や越前に寺やお宮の普請に出かけて、めったに家には帰らなかった。だから、少年時代の私には、5人の兄弟が母親と貧しい生活をしていたという記憶しかない。当時は若狭のたんぼは湿田が多く、母は胸のあたりまで泥につかって働いていた。私が9つのとき突然戻ってきた父が、京都の相国寺という寺の小坊主に私を出そうときめていた。貧しさゆえで、私を迎えにきたのは、ウチワのような顔をしたお坊さんだった。私が汽車に乗るとき、母は何ともいえぬ顔をしてペコッとおじぎをした。それは、「勉、かんにんのう」という卑屈なおじぎだった。これが47歳の今日も、私の胸に残っている母の姿です。(中略)
12歳のとき、相国寺派の社務職として得度式もしてもらったのに、私はこの寺を逃げだした。原因は寺のイチジクをだまってたべたことです。折檻され、3日間泣きに泣いて、夜中にぬけ出した。この寺のふすまに雁の絵が描いてあった。子が口をあけて空からエサを持ってきた親雁を待ち受けている。幼い私もまた心の、ちちがほしかったのです。”

続編の「第2部 雁の寺」は、「第1部 雁の寺」のラストで、京都の孤峯庵を去り行方が分からなくなっていた慈念が17歳となり、故郷の福井県大飯郡本郷村底倉部落に帰り、実家にも立ち寄るが、部落の菩提寺の西安寺の小僧として1年数か月、故郷の村で過ごす話。この「第2部  雁の村」では、水上勉氏が幼少過ごした村の暮らしや民俗の様子が伺える。「女子(おなご)は縄ないと菰(まこも)つくりや。男はみんなごろごろしとる。いっぺん、夜さりに覗いてみるか」と、友人から、村の習慣の夜這いを覗きに行くことを誘われたり、捨吉の育ての母の仕事の一つの「あるき」という村小使いのことや村人たちの麻糸をとる作業、佐分利川に沿うた部落を流す若狭比丘尼たち、村の本盆やウラ盆の様子、阿弥陀堂の前での「阿弥陀の舞」や2月15日の涅槃の日に朝4時起きして子供たちが村の家々の戸を叩いて歩く行事「釈迦釈迦」などと、非常に興味深い。この「第2部 雁の寺」は、捨吉の育ての母親が生活に苦労しながらも、育ての子の成長ぶりを喜ぶ母親としての慈愛に非常に感動する。この第2部のラストシーンも、阿弥陀堂の阿弥陀如来が印象的。

京都の禅寺や若狭本郷の村が本書のストーリーの展開場所としては非常に大きなポジションを占めてはいるが、他にも、福井県がストーリー展開上で、いろいろと登場している。「第3部 雁の森」は、京都の宇多野の禅寺・奇崇院が主舞台だが、主人公の堀之内慈念は、その前に4か月世話になった福井県大飯郡青郷村音海の禅寺・海音寺で小僧として過ごす。また、たくさんの小僧を育てることに情熱を持っていた京都の宇多野の禅寺・奇崇院の住職・堂森越雲は、福井県南条郡王子保村の出身。堂森越雲の後妻の旧姓・福谷喜代子も同じ王子保の出身。「福谷の多いところで、村の半分は、みんな福谷姓です。」と、喜代子が越雲と話す場面があるが、事実なのか確かめたいところ。「第3部 雁の森」の話の終盤で、主人公の慈念に対し、重大なことを発言するのが、奇崇院住職・堂森越雲の弟子の福井県三方郡十村(とむら)の竜宝庵の住職。この十村は現在は三方上中郡若狭町の中部に位置。

そして終結章の「第4部 雁の死」は、福井県三方郡十村の竜宝庵の住職・矢野宗文の不用意な発言がきっかけで、舞台は、裏比良の滋賀県高島郡坊村に移り、哀しいラストを迎える。「第4部 雁の死」では、福井県大飯郡本郷村底倉部落出身の寺大工で、堀之内慈念の育ての親と思われた堀之内角蔵が、全面に登場してきて、各地を渡り歩く寺大工の様子も伺えるが、この章では「越前瓦」の話題も少し触れられている。全編を通じて、禅宗や禅寺の世界や、禅寺での修行生活などの描写は微に入り詳しいが、「雁」は、第一部の禅寺に描かれた雁の絵をはじめ、印象的なシーンで雁のことが象徴的に表現されている。本書の冒頭部分で、画家の岸本南嶽が、京都の孤峯庵の庫裏の杉戸から本堂に至る廊下、それから、下間、内陣、上間と、四枚襖のどれにも雁(がん)を描いていて、「わしが死んだら、ここは雁の寺や、洛西に一つ名所がふえる」と、自慢して語るセリフがあるが、「雁の寺」という名作の文学作品も見事と思う。

目 次
第1部 雁の寺
第2部 雁の村
第3部 雁の森
第4部 雁の死

<主なストーリー展開時代>
■「第1部 雁の寺」・昭和8年(1933年)10月から昭和9年(1934年)11月
■「第2部 雁の村」・昭和12年(1937年)8月から翌年10月末と推定(1年3ヶ月)
(*若狭本郷に慈念が帰って来たのが、昭和12年8月初と記載)
(*1年3ヶ月、慈念が若狭本郷に滞在したが、村から失踪したのは昭和12年10月29日夜と記載)
■「第3部 雁の森」・秋末~翌5月末
(*若狭青郷から京都の奇崇院に来たのが昭和14年秋と昭和12年秋と混同)
(*奇崇院の住職・堂森越雲が亡くなったのが昭和13年5月と記載)
■「第4部 雁の死」:昭和13年(1938年)10月~11月
(*全体的に続編から年代に混乱が見られるが、第4部から昭和13年秋と記載。ただ慈念の年齢が19歳であることからは、昭和14年と推定できるが)
<主なストーリー展開場所>
■「第1部 雁の寺」
・京都(衣笠山麓・丸太町東洞院・千本今出川・下立売御前通)
■「第2部 雁の村」・若狭(大飯郡本郷村底倉部落)
■「第3部 雁の森」・京都(宇多野)・若狭(福井県大飯郡青郷村音海)
■「第4部 雁の死」:裏比良の滋賀県高島郡坊村字明王

<主な登場人物>
「第1部 雁の寺」
・慈念(衣笠山麓の孤峯庵の13歳の小僧。捨吉という名で若狭の寺大工の子)
・桐原里子(北見慈海の内妻で、以前は岸本南嶽が囲っていた32歳女性)
・北見慈海(衣笠山麓にある燈全寺派別格地の孤峯庵の58歳住職)
・岸本南獄(京都画壇に名をはせた、丸太町東洞院の角に住む)
・岸本秀子(岸本南嶽の妻で、南獄より5歳若い八坂下の東新地の「豊川」の元芸妓)
・笹井南窓(岸本家の兄弟子)
・蓮沼良典(紫野大徳寺にある慈念が通う中学の教師)
・木田黙堂(福井県大飯郡本郷村底倉部落にある西安寺の44歳の住職。役場の書記も兼務)
・伊三郎(桐原里子の父。八条坊城のむぎわら膏薬卸売業者)
・梨枝(桐原里子の実母。里子が6歳の時にコレラで亡くなる)
・たつ(桐原里子の継母)
・久間平吉(孤峯庵の檀家で工業薬品卸業。京都市上京区今出川千本近くの家)
・久間平太郎(久間平吉の亡き父で3年前に亡くなる)
・久間平三郎(久間平吉の兄で、元塗装職人)
・助三・喜七(久間平三郎の田舎の福知山の山奥から平三郎の葬儀で京都に来た叔父)
・熊太郎(丹波で炭焼きをしている久間平吉の次の弟)と幸太(久間平吉の次の弟)
・菊川金物店(今出川通りと千本通り交差点近く)の30年輩のお上
・宇田雪州(孤峯庵の法類の下立売御前通り近くの源光寺住職)
・徳全(源光寺の小僧)
・猪之吉(塗装職人で久間平三郎の従弟)、作造、伝三郎(久間家関係)
・竹峯和尚(孤峯庵の法類・瑞光院住職)
・海翁和尚(孤峯庵の法類・妙法寺住職)
・小寺照庵(孤峯庵の法類代表・明智院住職)
・寺崎義応(春光院住職で万年山燈全寺派宗務所長)
・奇峨窟杉本独石老師(燈全寺派管長)
■「第2部 雁の村」
・堀之内慈念(捨吉と呼ばれていた福井県大飯郡本郷村底倉部落乞食谷出身の17歳の少年僧)
・”おかん”(福井県大飯郡本郷村底倉部落乞食谷の捨吉の実家に住む母親)
・木田黙堂(福井県大飯郡本郷村底倉部落にある西安寺の住職。役場の書記も兼務)
・たつ枝(木田黙堂の妻)
・辰之助(底倉部落の山のはなにある木樵の伊之助の16歳の子)
・宇田竺道(美濃の臨済の正眼僧堂の元副司で、鞍馬の正覚寺の弟子)
・六右衛門(区長)

・区長の家の次男
・甚吉(底倉部落の村人)
・若狭本郷駅のある本郷村の医者
・おえん(”おかん”の家の隣の万吉の21歳の長女で、滋賀県の官吏に嫁ぐ)

・万吉のやせた60過ぎの爺
・きみ子(慈念の義弟の定治の上に生れて3つのときハシカで死んだ女の子)
・徹治(”おかん”の長男で、山の木馬ひきに出て谷に落ちて死亡)
・慈念の盲目の祖母
・堀之内角蔵(越前に普請で出かけている寺大工)
・勘治・助治・咲治(若狭本郷を離れた角蔵の子たち)
・松治と定治(若狭本郷に住む慈念の小学生の義弟)
・お菊(若狭比丘尼の一人で半盲目の美貌の女性)
「第3部 雁の森」
・堀之内慈念(宗念)(若狭の音海から京都の奇崇院に入った18歳の小僧。僧名を宗念と改名)
・竜村宗海(福井県大飯郡青郷村音海の海音寺の住職で、堂森越雲の最古参の弟子)
・堂森越雲(京都の宇多野の奇崇院の72歳住職)
・福谷喜代子(堂森越雲の後妻で、故横井英太郎の妻)
・横井英太郎(京都の御池寺町近くの株屋)

・文子と悦子(喜代子の先夫との御室小学5年と小学3年の子供)
・宗温(奇崇院の29歳の侍者。近江の今津の旅館に捨てられ、塩津の寺の和尚が連れてくる)
・宗順(奇崇院の27歳の侍者)
・宗典(奇崇院の26歳の侍者)

・宗育(奇崇院の24歳の侍者)
・宗光(播磨から来た奇崇院の21歳の色白で細面の顔をした侍者)
・宗峯(奇崇院の花園中学4年の17歳の侍者)
・宗英(奇崇院の花園中学3年の16歳の侍者で、慈念と同じ部屋)

・勇司(奇崇院の御室の小学5年生の侍者で、美濃のマッチ石の出る池田出身で慈念と同じ部屋)
・保次(奇崇院の小学校に通う侍者)
・等(奇崇院の小学校に通う侍者)
・祐吉(奇崇院の小学3年の侍者)
・刈谷宗喜(加賀の片山津出身で美濃の虎渓の僧堂から胸を患って奇崇院に帰った21歳の侍者)
・宗庸(岐阜県の伊深の僧堂から胸を患って奇崇院に帰っていた18歳の侍者)
・蓮沼良典(般若林から花園中学に転任した国語教員)

・玉木助太郎(岐阜県の多治見警察の警部補)
・多治見在の頼母木村の百姓と娘
・田野川(宇多野の南町にいる眼鏡をかけた50年輩の医者)
・佐藤宗泰(静岡県田方郡多喜村の瑞泉院の住職)
・吉沢宗司(石川県鳳至郡輪島町の東海寺の住職)
・谷 宗誉(新潟県岩船郡村上町の見性庵の住職)
・林田宗応(秋田県仙北郡大曲町の林光寺の住職)
・松宮宗節(富山県高岡市外の西方寺の住職)
・足田宗禅(兵庫県東条郡新野木村の安足寺の住職で、堂森越雲の最古参の弟子)
・尾内宗空(和歌山県東牟婁郡敷屋村の三光寺の住職)
・三木宗道(京都府綴喜郡木屋の大安寺の住職)
・戸川宗謙(京都市加佐郡神崎村の臨山寺の住職)
・鮎川宗逸(京都市建仁寺僧堂に修行中の雲水)
・来島宗通(岐阜県加茂郡虎渓僧堂に修行中の雲水)
・矢野宗文(福井県三方郡十村の竜宝庵の住職)
・大谷宗碩(京都市相国寺僧堂に修行中の雲水)
・堀之内角蔵(堀之内慈念の育ての親で、福井県大飯郡本郷村底倉部落出身の寺大工)
・お菊(福井県大飯郡本郷村底倉部落の堂に来ていた女性)
・久川太宗(嵯峨天徳寺派管長)
・宇田竺道(万年山燈全寺派管長)
■「第4部 雁の死」

・堀之内慈念(宗念、19歳。京都・宇多野の奇崇院徒弟で、裏比良の観智院に入堂)
・堀之内角蔵(福井県大飯郡本郷村底倉部落出身の寺大工)
・湖海峻道(裏比良の臨済宗の古刹・観智院の62歳住職、建仁僧堂で佐分利順応と同期)
・小原祐吉郎(観智院の三重の塔の修復工事の寺大工の棟梁で京都の大徳寺町に住む)
・梶本伝吉(観智院の三重の塔の修復工事差配の50歳近い寺大工)
・赤松集英(観智院の知客寮の古株の雲水)
・古田大宗(観智院の知客寮の古株の雲水で赤松集英の同僚)
・昭田黙徹(観智院の隠事寮の隠事)
・田山育文(広島市にある燈全寺派末寺から来た観智院の首座職の僧)
・佐分利順応(京都市上京区烏丸上立売東入ルの万年山燈全寺派宗務総長)
・音吉(若狭の底倉部落から裏比良の見習大工)
・亀右衛門(仲間の若狭から来ている大工)
・お菊(以前は餅もらいの乞食女の半盲目の比良の普請の飯場の飯炊きの女性)
・笹沢伊助(坊村の鶏飼い)
・繁子(笹沢伊助の妻)
・朽木村にある巡査部長派出所からの係官

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