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北陸ゆかりの作家による作品 第3回 「地上 ー 地に潜むもの」(島田 清次郎 著、季節社)
- 2025/5/25
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北陸ゆかりの作家による作品 第3回 「地上 ー 地に潜むもの」(島田 清次郎 著、季節社)
「地上 ー 地に潜むもの」(島田 清次郎 著、季節社、1995年9月発行)
島田 清次郎(しまだ・せいじろう)*1899年~1930年)<本書著者紹介>
1899年(明治32年)石川県金沢に近い美川に生れる。金沢で育ち、県立第二中学校中退。1918年(大正7年)『地上』を執筆(19歳)。1919年(大正8年)『地上』を新潮社から出版。大きな反響を呼び、一躍時代の寵児となる(20歳)。1922年(大正11年)4月~10月までアメリカ、ヨーロッパを旅行。1924年(大正13年)精神分裂病で入院(25歳)。1930年(昭和5年)入院のまま、肺結核により死亡(31歳)。
本書著者の島田清次郎(しまだ・せいじろう)(1899年~1930年)は、1899年(明治32年)2月26日、石川県石川郡美川町(現・白山市)に、回漕業を営む父常吉(1871年~1901年)、母みつの長男(一人っ子)として生まれる。母みつの実家(西野家)は、石川県笠間村字小川(現・石川県白山市小川町)の庄屋格の豪農の出。清次郎が2歳になる前の1901年1月に、父・常吉を海難事故で亡くし(享年29歳)、母親みつは、幼い清次郎を連れて実家へ帰ったが、1904年(明治37年)、5歳の清次郎を連れて、母方の祖父・西野八郎が金沢の西廓で営む貸座敷「吉米楼」の2階の一室に移り住む。幼いころから清次郎は秀才の誉れ高く、金沢の野町尋常小学校を首席で卒業し、石川県立金沢第二中学校に進学。祖父が米相場で失敗し、母子の生活も窮迫したこともあり、清次郎が13歳の1912年(明治45年)、金沢の中学を1年で中退し、篤志家の援助で、東京・白金の明治学院普通部2年に転入。
母親みつも、この篤志家の世話で上京し、その紹介で浅草の鼻緒職人のもとへ再婚。しかし、清次郎は、篤志家の実業家と衝突し1年半後に一人で金沢に戻り、既に祖父の店は没落していたので、叔父の世話で元の県立金沢第二中学に復学するも、経済的負担に耐えられなくなり一刻も早く清次郎を自立させようとする叔父の勧めで1年で中学を退学し、県立金沢商業学校に転校。商業学校での勉強には身が入らず、停学や落第、退学となる。16歳の1915年(大正4年)以降、職を転々としながら原稿を書く生活を続け、一旦は文学をやるからには東京に出なければと考え、上京後、浅草の母の再婚先に頼ることになるが、書き上げた作品がどこにも相手にされず、焦燥し絶望した清次郎は自殺を図り、この事件の為に母は夫と別れ、清次郎と共に、大正5年(1916年)春、母子2人で金沢に戻ることになる。この清次郎17歳の1916年(大正5年)から18歳の1917年(大正6年)にかけては特に母子の生活は特に極貧で、金沢の町外れの貧民窟の鶏小屋を改造した借家で、母は針仕事で生活を支えた。
こうした悲惨な生活の中、清次郎は、1918年(大正7年)19歳で『地上』を執筆。石川県七尾町の鹿島郡訳書書紀補や、京都での中外日報社員を経て、1919年(大正8年)上京し、同年、処女長篇『地上』を新潮社から出版。20歳で小説家デビューし、空前の大ベストセラーとなり、一躍文学青年たちのカリスマとなり、時代の寵児となる。が、その傲慢不遜な言動が文壇で疎まれるようになり、一方では、1923年(大正12年)4月、海軍少将の令嬢を婦女誘拐・監禁凌辱・強盗のかどで告訴された「島清事件」スキャンダルを起こし一般的な人気も急落。放浪の果てに1924年(大正13年)7月末、25歳で精神分裂病で東京・巣鴨の私立精神病院に入院し、1930年(昭和5年)入院のまま、肺結核により死亡(享年31歳)。
島田清次郎の生涯については、1962年の第47回直木賞受賞作となった『天才と狂人の間 ー島田清次郎の生涯』(杉森久英 著、河出書房、1962年)や、『島田清次郎 ー誰にも愛されなかった男』(風野春樹 著、本の評論社、2013年)などに詳しい。この本書は、まさにこの島田清次郎の処女長篇にして、いきなり大ベストセラーとなった1919年(大正8年)発行の『地上』初版をもとにし、新字・新かなに改め、1995年9月に季節社より出版された復刊本。作品「地上」や島田清次郎の生涯については、大映映画「地上」(1957年)をはじめ、ラジオ・テレビドラマ化、演劇公演、コミックスなどの展開や、関連の論文・記事も少なくなく、これまで注目を浴び多くの人を惹きつけてきた。
本書巻末の解説の冒頭に、”この本は、貧しく学歴もないまったく無名の20歳の青年の作品である。金沢市の廓街の娼家に育った多感多才な青年が、大正7年、母子2人だけの追いつめられた貧しい生活の中で、ただみずからの才能だけを信じてひたむきに書き綴った作品、ー青春の感傷と憧憬、熱情と野心と反逆、貧しきものの苦悩と悲しみ、そして地上の人間界の不正と堕落と横暴に対する、いまだ地に潜む若き意思の痛憤に満ちた闘いの宣言 ・・・今までの日本の近代文学にない雄大で覇気に満ちた文学を築くべく、自らの内から湧き出でて止まぬ若い生命の熱と意志、理想と精神の全てを注ぎ込んだ500枚の原稿 ー これこそ『地上』にほかならない。”との文章が綴られているが、まさに、この言葉通りの気魄と野心に満ちた世に問う長編であり、多くの人々の魂をゆさぶる傑作作品。
ストーリーは、著者・島田清次郎をモデルとした青年・大河平一郎が主人公で、金沢の旧制中学3年から、旧制中学4年を修業し卒業を待たずに、東京の私立の学校・M学院に転校する約2年余りの15歳から17歳までの時期の物語で、時代的には明治末期から大正初の時代。主人公・大河平一郎は、母一人子一人の他人の家の二階借りをしている貧乏家庭の子。金沢の大きな商人の一人息子で金沢でも有力な貿易商で町中での人望家であった父・大河俊太郎が主人公の平一郎が3歳の時亡くなり、その後、母のお光は、大河平一郎が12歳の時まで、一人息子の平一郎と、9年ほど、金沢の亡き夫の2階建ての広い家に暮らしてきたが、生計も苦しくなり家を売って、金沢の遊郭近くの芸娼妓紹介業の家の二階を借り、裁縫の仕事をして母一人子一人の生活をしていた。大河平一郎が12歳の年の5月に移り住み、その年の10月に、金沢の遊郭・春風楼の名妓となり、大河平一郎と母お光の運命にも大きく関わる輪島出身の冬子と母子は親しくなる。
全10章から成る本小説の物語の第1章は、大河平一郎が中学3年時の5月の話で、中学同学年の屋敷町に住む美少年の深井と親友になるところから始まる。深井と幼馴染で隣家に住み、大河平一郎と同じ小学を卒業し高等女学校に通っていた吉倉和歌子に、以前から片思いをしていて、深井を通してラブレターを和歌子に渡し、嬉しい返信を受け取る。第2章では、その翌6月の話で、冬子の紹介で、お光が遊郭・春風楼に住込みの裁縫師となり、中学3年の大河平一郎も廓の娼家の片隅で母と暮らすことになる。第2章から第3章、第4章と、同年の6月中旬から8月中旬の期間の話では、遊郭・春風楼で働く様々な境遇の女性たちの姿が詳細に描かれている。尚、第3章では、明治45年(1912)7月30日の明治天皇崩御の出来事に触れているが、作品では1911年7月としている。前半部の終章ともいえる第4章は、冬子が、金沢に来た東京の大実業家の妻子ある天野栄介に身請けされ、進んで東京に旅立っていく。この時、偶然、お光は天野栄介と出くわし、お光の生涯に秘められてある「埋もれたる過去」から生じた憎しみの感情が蘇り、二人の間には、どんな深い因縁があったのか、非常に気になるところで第4章が終わっている。
その気になる謎あかしとして、第5章は、一旦、「第5章 ー 埋もれたる過去 -」と題し、大河平一郎の母おみつの実家の過去の話となり、時代が遡る。大河平一郎の母の実家は、小説の創作では、金沢の市街から5里ばかり隔った平野の果ての海近い村の石川県大川村(仮名)に数百年にわたる庄屋の名家の北野家。江戸時代は大川村の庄屋で後に清酒醸造事業で成功し明治5年(1872)に死去したお光の祖父・北野伝右衛門以後の北野家の複雑込み入った家系・親族の話が繰り広げられる。中でも、お光が20歳の明治25年(1892)7月に起こった出来事が衝撃的で、本書物語の後半部にも関わってくる内容。この第5章で、大河平一郎の母・お光の若い時の話だけでなく、大河平一郎の父・大河俊太郎、お光の祖父の後妻でお光の生母・お信や、お光の養母・お里、大河俊太郎と親友で自殺し北野家を滅ぼしたお光の兄・容一郎、お光の双子の姉・綾子、更には、新進の青年思想家であった若い頃の天野栄介が登場する。創作の石川県大川村(仮名)の北野家は、島田清次郎の母みつの実家である、石川県笠間村字小川(現・石川県白山市小川町)の西野家を想起させる。
第6章からは時系列的に戻り、第6章は、大河平一郎が金沢の旧制中学3年時の9月から、翌年の中学4年の10月までの話。この間、大河平一郎は初恋の女性・吉倉和歌子と順調に交際を深めていたが、大河平一郎が旧制中学4年の10月、大河平一郎が吉倉和歌子に宛てた手紙が、大河平一郎が通う中学の教師に見つけられ、大きな問題に騒がれて、停学処分を受けてしまい、そのことが原因で、吉倉和歌子の義母により、和歌子との連絡も取れなくなってしまう。この中学の教師の理不尽な言動に抗する大河平一郎のやり取りも多くの読者の共感を得るかと思う。第7章は、大河平一郎が旧制中学4年の11月から翌2月までの期間の話で、吉倉和歌子との事で落ち込んだ大河平一郎は、親友の深井の誘いで、文学青年たちのグループとの交わりを深めていく。第8章では、大河平一郎が旧制中学4年の3月の話で、吉倉和歌子から待望の手紙の連絡があるが、その内容は、義母の叱責を昨秋以来受け、義母の言葉に従い、10歳年上の洋画家に嫁ぐことになったという悲しい内容。そして、東京で天野栄介の妾としての生活を送っている冬子が、天野栄介とともに金沢を訪れ、大河平一郎の生活ぶりを知り、天野栄介の世話で東京の学校に転入しないかと母お光に提案し、大河平一郎はその提案を受け、東京に旅立つ。
こうして、金沢の旧制中学を4年で中退し、4月初めに一人上京。天野栄介のかくれ女として、東京の上松町(*日本橋久松町を想定した仮名の町名か?)の天野栄介の別宅に、まず立ち寄る。冬子の存在も、東京・高輪の本宅に住む天野栄介の妻子は知らず、また大河平一郎の世話についての紹介は、冬子ではなく、同郷の金沢出身の男性からということにし、書生として、大河平一郎は、東京・高輪の天野栄介の本邸に書生として住み、そこから、キリスト教主義のM学院普通部5年に編入し通学することになる。M学院は、島田清次郎が通った東京・白金の明治学院がモデルのはずだが、学校の雰囲気については、若くて自由な教師たちがいて、好意的に描かれているが、学校での世界の基督教界の第一人者のアメリカ人の講話に対し疑義を呈するシーンも面白い。物語的には、母親だけが知っている過去の因縁が繋がり始めたことが、どうなっていくのかハラハラするが、季節社からの以前の復刊本の帯の文章にあるように、”青春のあこがれと痛み、野心と叛逆を若々しく唄いあげるとともに、地上の人間界の生態を透徹した社会批判の目で描いた”弱冠19歳の文才にただただ驚くばかり。
尚、巻末の解説には、島田清次郎の『地上』シリーズとも呼ぶべき6点の作品群についての補足紹介もあり、第二部以降の作品の評価は非常に低いが、①『地上 ー第一部・地に潜むもの』、②『地上 ー第二部・地に叛くもの』(大正9年1月発表)、③『地上 ー第三部・静かなる暴風』(大正10年1月発表)、④『地上 ー第四部・燃ゆる大地(前編)』(大正11年1月発表)、⑤『改元 ー第一部・我れ世に勝てり』(大正12年2月発表)、⑥『改元 ー第二部・新しき太陽』(大正12年10月、原稿が新潮社から出版拒否され、島田清次郎発病後の大正13年12月に『我れ世に敗れたり』と出版社によって非内容的な表題に改められて出版)の内容に触れている。「地上・第二部」は、やはり島田清次郎をモデルとした赤倉清造という青年が主人公で、「地上・第一部」以前に書かれた作品「死を超ゆる」を母体とし、「地上・第一部」とは独立した物語となっているが、東京の実業家の世話を蹴ったのちの島田清次郎自身の体験を題材に描き、ついに金沢の貧民窟での貧しい生活と創作活動の行き詰まりとに疲れ絶望した主人公の物語。「地上・第三部」は、再び大河平一郎が主人公で、「地上・第一部」の直接の続きの物語。その後の三作は、野島民造という思想界に彗星の如く現れた英雄的人物が主人公の物語。
第1章~第10章(各章にタイトルは無し)
但し、第5章のみ、「第5章 ー埋もれたる過去ー 」と表記される。
<主なストーリー展開時代>
・1911年(明治44年)5月~1913年(大正2年)7月、或いは1912年5月~1914年7月
・1892年(明治25年)7月 <「第5章 ー埋もれたる過去ー 」の主たる時代。お光が20歳の時>
<主なストーリー展開場所>
・金沢 ・東京(日本橋・日比谷・高輪・白金)
・石川県大川村(仮名)(金沢の市街から5里ばかり隔った平野の果ての海近い村)<第5章>
<主な登場人物>
・大河平一郎
・お光(大河平一郎の母)
・吉倉和歌子(大河平一郎と小学の同級で初恋の女性で、深井の隣家に住む)
・深井(大河平一郎と中学同級の美少年で昔の屋敷町の家)
・中村太兵衛(50歳過ぎの芸娼妓紹介業)
・中村太兵衛の妻(お光より3,4歳若い元芸妓で、最初は一人で芸娼妓紹介の仕事を営む女性)
・冬子(春風楼の23歳の名妓で、お光を慕う輪島出身の女性)
・天野栄介(50歳に近い日本有数の大実業家で東京在住)
・お幸(冬子より2歳年下の春風楼の芸妓で東京生まれ)
・時子(20歳の春風楼の芸妓で、小さい時から廓の働き手として生活)
・茂子(春風楼の陰鬱な芸妓で、冬子が割に好意を持つ)
・米子(春風楼の14歳の芸妓で、父が分からない芸妓の子として廓で育つ)
・市子(春風楼の13歳の芸妓で、父が分からない芸妓の子として廓で育つ)
・菊龍(春風楼の18歳の芸妓で、幼いころから春風楼で養われる)
・富江(春風楼の18歳の芸妓で、幼いころから春風楼で養われる)
・鶴子(春風楼の30歳近い公娼。村の機械工場の女工、街の莨専売局の女工を経て、23歳で娼婦)
・小妻(春風楼の25歳にもならない娼婦で、金沢の街で生れ、中流な薬房の娘)
・吉倉和歌子の継母
・春風楼(金沢の遊郭)の楼主
・富(とみ、46,7歳の春風楼の女将)
・大河平一郎が通う金沢の中学の体操の教師
・大河平一郎が通う金沢の中学の校長(古い帝大出の文学士で倫理の時間を受け持つ)
・K(大河平一郎が通う金沢の中学4年の担任で国語教師、42,3歳で土地の生まれで同志社に学び元小説家志望)
・尾沢重太(機関雑誌「底潮」発行の文学青年グループのリーダーで、越中高岡生まれの25歳の新聞記者)
・静子(尾沢重太の恋人で、東京の基督教の女学校の専修科を出て、金沢の大きな銀行の事務員)
・宮岡(機関雑誌「底潮」発行の文学青年グループで、中流以上の家庭の子弟で高等学校の学生)
・永井(尾沢の文学仲間で、商業学校出の大きい呉服店の番頭)
・愛子(永井の恋人)
・山崎(尾沢の文学仲間で、熊本出身の27歳の帝大理科卒業で、新聞社の客員)
・小西(尾沢の文学仲間で、金沢市街で唯一の万年筆の問屋の主人で35,6歳の無妻の男性)
・瀬村(尾沢の文学仲間で、25歳の工業学校の助教諭)
・天野綾子(天野栄介の妻)
・天野乙彦(天野栄介の子で、大河平一郎より1歳年上の慶應義塾高等学部学生)
・奥山(42,3歳の金沢生まれ)
・長田(大河平一郎や深井と同じ中学の学生で、二度も落第した、体の巨大な、柔道初段)
・冬子を中村太兵衛に芸妓として売る人相の卑しい40男
・吉倉和歌子の父(朝鮮の公使館でも勤務した元外交官)
・お幸の母親(元は東京柳橋の名妓で後援者の政治家死亡後、金沢に移り住み藤間流の踊りの師匠として生活)
・三郎(お幸が18歳の時の恋仲で、街一の呉服屋の息子で高等学校の学生)
・三郎の家の呉服屋の番頭
・薬房の娘だった小妻が16歳の頃、恋仲となった紙問屋の息子
・春風楼の小間使いの婆さん(44,5歳の女性)
・吉っちゃん(菊龍の馴染み客で、西洋雑貨店の番頭)
・丹羽(富江の馴染み客で、会社員)
・川村(県庁の土木課の課長で40歳前後の男性)
・県庁の土木課一同の連中
・奴、桃太郎、ひよ子(春風楼以外の他の廓の芸妓3人)
・金沢の古龍亭の女中
・古龍亭の若い女将
・鼻が高く大きく赤いために「天狗」と世間から言われている金沢市長
・金沢の素封家で鉱山主で、実業家のある男爵
・石川県会議長
・原田(大河平一郎が通う金沢の中学の5年の野球の主将)
・越村(大河平一郎の中学4年時の首席学生)
・竹中(大河平一郎の中学4年時の2番の学生)
・綿谷(大河平一郎の中学4年時の3番の学生)
・津沢(大河平一郎の中学4年時の4番の学生)
・M(大河平一郎が通う金沢の中学の英語の教師)
・大河平一郎が通う金沢の中学の教頭
・金沢のカフェの給仕女
・太助(天野栄介の会社の元小使で、天野栄介の東京・下松町の別邸に住込で家事の世話)
・お芳(太助の妻で、天野栄介の高輪の本邸の元女中で、別邸に住込で家事の世話)
・玉(天野栄介の別邸と東京の冬子の隠れ家の17,8歳の女中で、太助とお芳の一人娘)
・粂(天野栄介の高輪の本邸の16,7歳の女中)
・お雪(天野栄介の高輪の本邸の女中)
・お年(天野栄介の高輪の本邸の30過ぎの女中頭)
・田中(M学院の学校の幹事で、聖書を教える。天野栄介の以前からの知人)
・O氏(M学院の数学の教師)
・M氏(M学院の西洋史の教師)
・E氏(M学院の英語の教師で、京都の同志社を出たばかり)
・K氏(M学院の学校の幹事で、漢文を教える。元熊本の士族)
・M学院の習字の教師(自分一人で基督教主義の小学校を経営している柔和な老人)
・F氏(M学院の教師で、フランスへ青年時代に洋行していた古い洋画家)
・A氏(世界の基督教界の第一人者のアメリカ人)
・K氏(M学院の教会の長老で英語科の主任)
<第5章 ー 埋れたる過去 ー>での主な登場人物
・北野伝右衛門(お光の祖父で、江戸時代は大川村の庄屋。後に清酒醸造事業家で明治5年(1872)死去)
・北野容太郎(伝右衛門の先妻の子で、一人息子)
・北野伝右衛門の先妻(同じ大川村の青木という百姓の娘で、北野容太郎の母)
・お信(北野伝右衛門の先妻の末の妹で、北野伝右衛門の後妻。双子の女児出産後に死亡)
・お里(北野容太郎の妻。北野伝右衛門の先妻の兄の青木家の二女)
・北野容一郎(お光の兄で、北野容太郎の嫡子で生母はお里でなく、お信)
・綾子(北野容太郎とお信の間の子で、女の双子の姉)
・お光(北野容太郎とお信の間の子で、女の双子の妹)
・大河俊太郎(金沢の大きい商人の一人息子で、北野容一郎の唯一の親友)
・天野一郎(「洪水」という月刊雑誌を発行する30歳前の青年思想家)
・大川村の隣村の小学校の先生や生徒たち
・太一(大川村の貧しい小作人が村の娘を無理やり関係をつけて生まれた男児)
・Y氏(金沢の学術上の青年結社「自由社」の元創設者。1890年国民議会の第一回議員に選出)