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首都圏における北陸ゆかりの地「鶴見線&浅野駅と”京浜工業地帯の父”浅野総一郎」(神奈川県横浜市鶴見区・川崎市川崎区)
首都圏における北陸ゆかりの地
「鶴見線&浅野駅と”京浜工業地帯の父”浅野総一郎」(神奈川県横浜市鶴見区・川崎市川崎区)
(写真上:「JR鶴見線案内図とJR路線図」JR鶴見駅(神奈川県横浜市鶴見区)<*2025年11月10日午後訪問撮影>
越中国射水郡藪田村(現・富山県氷見市薮田)出身で、「日本のセメント王」とも呼ばれ、一代で浅野財閥を築き明治・大正時代を代表する日本の大実業家となった浅野総一郎(嘉永元年(1848)~昭和5年(1930))は、「京浜工業地帯を創った男」「京浜工業地帯の父」とも呼ばれるように、数多くの偉業の仲でも、最も力を入れた事業の一つが東京湾の埋立事業で、埋立地に臨海の工業地帯を造成して、大型船が横付けできる港を造り、また鉄道ともつなぐ大規模事業を強力に推進する。渋沢栄一や安田善次郎の協力を得て、1912(明治45)年、鶴見川崎地先に150万坪の埋立計画の認可を神奈川県に出願し、翌1913年に着工。1928年、15年かけて完成させ、これにより京浜工業地帯の礎を築いている。
浅野総一郎は、明治29年(1896)から明治30年(1897)に、東京汽船の社長として7ヶ月に及ぶ欧米出張を行い、欧米の港湾を視察し、日本に大きな船が横付けできる港と、それに隣接する埋め立て地が必要と考え。帰国後、埋立築港事業を決意。最初は1899年(明治32年)、品川湾21万坪の埋立計画を東京府に出願するが却下され、1909年(明治42年)には、羽田沖から芝浦まで、幅300m、水深10mの運河を掘り、1万トンクラスの船舶が直接入れるようにし、掘削で発生する土砂を利用して、運河の沿岸を埋め立て、600万坪の工業団地を造成するという壮大な東京築港計画を東京府に出願。府知事や視聴は賛同したものの、市議会や神奈川県から反対意見が出て許可されず。ここであきらめずに、浅野総一郎は、金型から東京の海外を自ら5回も調査し、特に横浜港に隣接する鶴見川の河口から多摩川までの海岸は念入りに調査。明治41年(1908年)には150万坪の大規模な埋立事業を神奈川県に出願。埋立地に道路・鉄道を敷設して、東海道と既存の鉄道に接続して工業地帯を創り出すというもの。あまりに大きな事業のため、金融機関の確かな人の保証が無いと神奈川県は許可できないとなり、浅野総一郎は安田財閥総帥の安田善次郎を頼り、安田善次郎は自ら2人の港湾関連の技術者を連れ、川崎の沿岸の宿「根本」に3泊し調査した結果、埋立事業が十分に見込みのある仕事と判断し融資協力をする。明治45年(1912年)に浅野総一郎・安田善次郎・渋沢栄一らで鶴見埋立組合を結成し改めて埋立事業を出願。大正元年(1912年)秋に埋立地域の漁業権交渉が妥結し、大正2年(1913)1月、埋立許可が下りる。
大正2年(1913年)8月に埋立工事が始まり、大正3年(1914年)3月に、事業主体は、鶴見埋立組合は、浅野総一郎が社長を務め、筆頭株主は浅野財閥の鶴見埋築株式会社に移行。大正9年(1920年)に鶴見埋築は東京湾埋立に改称。完成埋立地の売却も進み、埋立地には大手企業の工場が建ち並び、浅野総一郎自身も数々の工場を設立。昭和2年(1927)6月には154万坪の埋立工事が全て完了。昭和3年(1928)6月に防波堤・錨地・橋梁などの付帯施設が完成し、浅野埋立は15年の工事を終えて完了する。埋立地には、浅野総一郎の名前から浅野町(川崎市川崎区浅野町)、安田財閥の安田善次郎の名前から安善町(横浜市鶴見区安善町)、浅野財閥勤務で後に日本鋼管の初代社長となる白石元治郎の名前から白石町(川崎市川崎区白石町)、渋沢財閥勤務で「日本の製紙王」と言われた大川平三郎の名前から大川町(川崎市川崎区大川町)、浅野総一郎の家紋の扇から扇町(川崎市川崎区扇町)と末広町(横浜市鶴見区末広町)などと名付けられた。小野町(横浜市鶴見区小野町)の名前の由来は、江戸時代末期から明治初期に書けて地元の名主である小野高義・鱗之助親子がこの一帯を埋め立てて新田開発を行い、小野新田と名付けられていたことによるとのこと。
鶴見地区埋め立て地への貨物輸送を行い埋立地の工場と東海道本線をつなげる為に、浅野財閥が設立。子会社として設立。、大正13年(1924年)2月に鉄道免許を申請し4月に免許を得て、1924年(大正13年)鶴見臨港鉄道を設立。大正14年(1925年)7月に鉄道工事を開始し貨物運輸、さらに旅客輸送も始めるが、この鶴見臨港鉄道が鶴見線の前身。浅野財閥系の鶴見臨港鉄道(不動産業・ビル管理業の東亜リアテックとして現存)で、初代社長は浅野総一郎。鶴見線は、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅と、神奈川県川崎市川崎区の扇町駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の7kmの鉄道路線(本線)で、他に神奈川県横浜市鶴見区の浅野駅から分岐して海芝浦駅までの支線(海芝浦支線)と横浜市鶴見区の安善駅から大川駅までの支線(大川支線)の2つの支線があるが、鶴見線の駅名にも、浅野駅、安善駅、大川駅、武蔵白石駅、扇町駅、鶴見小野駅などがあるが、浅野駅の所在地は、川崎市川崎区の浅野町ではなく、横浜市鶴見区末広町。
(写真下:JR鶴見線の「浅野駅」と浅野駅ホーム、鶴見線車両(神奈川県横浜市鶴見区)<*2025年11月10日午後訪問撮影>

(写真下:JR鶴見線の海芝浦支線「新芝浦駅」ホーム(神奈川県横浜市鶴見区)<*2025年11月10日午後訪問撮影>
(写真下:JR鶴見線の「新芝浦駅」ホーム(神奈川県横浜市鶴見区)から見る旭運河<*2025年11月10日午後訪問撮影>

(写真下:JR鶴見線「新芝浦駅」ホーム(神奈川県横浜市鶴見区)から見る旭運河対岸の安善町の貯油施設<*2025年11月10日午後訪問撮影>













