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南越地域と郷土資料 第1回「鯖江歩兵第三十六連隊の創設」(神明ふるさと再発見実行委員会 編集発行)
南越地域と郷土資料 第1回「鯖江歩兵第三十六連隊の創設」(神明ふるさと再発見実行委員会 編集発行)
神明ふるさと再発見事業「鯖江歩兵第三十六連隊の創設」(編集発行 鯖江市神明公民館内 神明ふるさと再発見実行委員会、1997年3月発行)
鯖江市神明公民館(福井県鯖江市三六町1丁目4-12)に拠点を置いた「神明ふるさと再発見実行委員会」が、神明ふるさと再発見事業として、平成9年(1997年)が36連隊創設100周年を迎えるということで、平成8年(1996年)から、郷土の誇る鯖江歩兵第36連隊を対象に、まず連隊の創設時代を主眼として、その当時の苦労話や連隊の出現による地域の変化、商店街の出現などを中心に探究。本資料「鯖江歩兵第三十六連隊の創設」は、平成9年(1997年)3月に、神明ふるさと再発見実行委員会が編集・発行者として発行されたもの。
大日本帝国陸軍歩兵第36連隊は、明治29年(1896年)9月25日、友安治延歩兵大佐が初代歩兵第36連隊長に輔せられ、明治29年(1896年)12月1日入隊の新兵の受領があって第一大隊の編成が終わるが、当時まだ新設の兵舎が竣工していなかったので、旧名古屋城二の丸にある歩兵第19連隊兵舎の一部を充当。明治30年(1897年)1月26日、名古屋市外東春日井郡守山に新築中であった歩兵第33連隊の兵舎に移転して、しばらく同居していたが、明治30年(1897年)8月20日、駐屯地移転のため守山を出発し、笹島駅より乗車、歩兵第36連隊の衛戍(駐屯)地と定められた福井県鯖江駅に下車し、ここで初めて福井県鯖江の歩兵第36連隊の新兵舎に移転。鯖江連隊の兵舎完成と連隊の鯖江駐屯開始は、明治30年(1897年)8月となる。
歩兵第36連隊の兵営は、現在の福井県鯖江市三六町を中心とする一帯に定められ、敷地面積は約16ヘクタールで、連隊には1,500~2,000人の兵士が駐屯しており、兵営東側には連隊関係の建物、商店、飲食店、旅館が建てられ、兵営前商店街が形成されていった。大正13年(1924年)には福井鉄道が敷設され、「兵営駅」(現在の神明駅)ができると、駅前周辺にも商店街ができ、神明町(福井県鯖江市)の町並みが形成されていった。⇒本サイト「南越書屋」内の「陸軍歩兵第36連隊跡営門・鯖江連隊史蹟碑」(「三六史蹟公園」内、福井県鯖江市三六町)参照。
鯖江連隊を偲ぶ史蹟保存会は、昭和31年(1956年)地元及び福井県内有志の人々によって結成されたが、昭和49年(1974年)の史蹟保存会の総会で、終戦30周年(1975年)の記念事業として「連隊史の編さんと刊行」が議決され、昭和49年(1974年)8月からは編さん委員会が発足。資料収集及び執筆編さんが着手され、「鯖江歩兵第三十六連隊史」は、1976年(昭和51年)8月15日、編集・発行は鯖江歩兵第36連隊史編纂委員会、発行所は鯖江36連隊史蹟保存会(福井県鯖江市三六町4-12 鯖江市文化会館内)として発行されている。本資料は、「鯖江歩兵第三十六連隊史」も参考にしながらも、地元ならではの視点と調査で考察が加えられている。
本資料で特に特筆すべき調査と考察は、36連隊の新設は、地域の様相をどのように変えたのかという考察で、地元ならではの足と地縁を使った調査で、連隊の周辺に開店していた商店街の商店をまわって開店の時期・出店の動機・開店時の環境・その後の経営ぶりを調べたりして、(4)兵営創設に伴う商店街の出現に、詳しくまとめられている。業種・販売内容・商店名(商号)・開店年・出身地を網羅した調査票の一覧表も掲載されている。なかでも、”明治後期より昭和初期に至る商店分布図”という見開きページの地図は、水落・北出地区、片町・新藤地区の商店分布図が、一軒一軒、連隊の周辺の各商店街にずらりと並んだ商工業者については、業種の記載が微に入り地図に配されていて、現在地との比較をしながら当時の賑わいぶりを思い浮かべることができる。
兵営建築直後に開店した店も5軒あり、いずれも旅館業。日曜ごとに訪れる兵士の家族のために用意されたもので、岐阜県あたりから来る兵士の家族は、前日に一泊して日曜日の午後面会所で息子と時を過ごしたという。また、これらの家族のために土産物店や飲食店が徐々に増え、鯖江や福井に出かけられない兵士たちの憩いの場所ともなった。興味深いのは、各種の商店は早くから営業していたが、連隊前あたりは、そのほとんどが地元の神明以外の土地から来た者ばかりで、最も近くに住んでいる水落の住民がこうした新しい商売に取り組んで一旗挙げようとする様子が見られない。この現象は、兵営東裏門前から兵営前通りを横切り、兵営東裏門通りから水落三叉路に至る、三叉路を中心として商売を営んでいる住民にもみられることで、そのほとんどは北野(神明地区に南接する地区)から出てきて成功した者が多いとの事。
明治29年(1896年)北陸線の敦賀・福井間開通し鯖江駅も完成。北陸線鯖江駅と連隊が最初にもたらしたのは、水落下地籍の三叉路周辺の変化。明治30年(1897年)から大正の末期までは鯖江駅と連隊をつなぐ動脈となり、入隊・除隊・軍旗祭に集まる人々や年会に来た人々も歩いてこの道を往来したし、人力車や軍隊に納入する荷物を運ぶ荷車もこの道を通り、また水落三叉路は北陸道と西光寺に至る参詣道路の分岐点でもあり、休息の要所として商業的に発展する土地となったとのこと。しかし大正13年(1924年)福井鉄道が敷設され、同年、兵営駅(現在の神明駅)ができると事情は一変し、兵営駅周辺が賑わってくる。この連隊前の片町に句にも店が連なることになっていき、北野地区とは異なった他町村からの出身者による集まりで、出身地にちなむ商号も多く見られたとのこと。また商店だけでなく、他郷からの将校や下士官の住宅も連隊に近い地区に建設されていく。
また、なぜ、36連隊の場所が鯖江のそれも神明の地区が選ばれることになったのか、また連隊創設時代の軍隊生活はどのようであったかについても、36連隊創設時代の史料を蒐集したり、戦前長く鯖江歩兵第36連隊で活躍された方と直接話を伺ったりして、(2)鯖江の土地選定の理由、の章にまとめられている。連隊の設置については、当時、福井案と鯖江案の二通りがあったなか、地質・水質からの観点、練兵場の位置についての観点、将校・下士官の居住の観点、住民の協力の観点から、鯖江の神明地区が選定された条件に挙げられている。
鯖江の方は明治29年(1896年)に神明に連隊が来るという連絡が陸軍省から届くと、水落・糺・北野の各地では、区民の会合を開き、区の山林原野の売買を停止し、用地の確保に尽力。当時の神明村長山本七兵衛氏、立待村長野尻録衛氏らはこれに協力し、自ら土地を提供するとともに、練兵場ならびに射撃場、営舎に要する広大な土地の買収にあたり、こうした買収による用地確保のほか、野尻氏らによつ土地の一部の寄贈もあり、整地には地元ならびに関係地区民の勤労奉仕等もあって、早くに作業を完成させる。これらの点については、(3)兵営・練兵場・射撃場の造成、の章に詳しいが、本サイト「南越書屋」内の「野尻君彰功碑」(「三六史蹟公園」内、福井県鯖江市三六町)でも一部紹介している。
なお、本資料の冒頭の神明ふるさと再発見実行委員会委員長の師田一郎氏(鯖江市水落町)による挨拶文章からは、神明ふるさと再発見実行委員会では、三十六歌仙木額の展示を皮切りに、幸若舞の実演、平成6年(1994年)8月には、神明神社で神牛引雨乞神事を行い、その後1995年には、体操鯖江のルーツを探るをテーマとしてフォーラムを実施してきたとのこと。本資料巻末には、神明ふるさと再発見実行委員会15名の方の名簿も掲載されている(水落町1・2・4丁目在住6名、神明町1・2・5丁目在住3名、北野町2丁目在住1名、糺町在住1名、鳥羽町1丁目在住1名、丸山町2・3丁目在住2名、三六町1丁目在住1名)。
目次
(1)鯖江歩兵第36連隊の創設
(2)鯖江の土地選定の理由
(3)兵営・練兵場・射撃場の造成
(4)兵舎創設に伴う商店街の出現
(5)交通機関の発達と周囲の変化
(6)電力供給による地域の発展
連隊夜話