北陸の文学資料館「金沢市西茶屋資料館と島田清次郎」(石川県金沢市野町2丁目)

北陸の文学資料館「金沢市西茶屋資料館と島田清次郎」(石川県金沢市野町2丁目)

(写真下:「西茶屋資料館」外観(石川県金沢市野町2丁目)、2025年11月3日午前訪問撮影)

(写真下:「にし茶屋街」(石川県金沢市野町2丁目)、2025年11月3日午前訪問撮影)*西茶屋資料館は右側前方の建物

(写真下:「にし茶屋街」説明板(石川県金沢市野町2丁目)、2025年11月3日午前訪問撮影)

にし茶屋街
藩政期、金沢城下への入口にあたる北国街道の犀川・浅野川両大橋界隈には、お茶屋が建ち並んでいました。文政3年(1820)になり、正式に加賀藩の許しを得て、この「にし」の茶屋街が浅野川外の「ひがし」と共に開かれ、にぎわいを見せていました。にし茶屋街は、明治13年(1880)の大火により一帯を焼失していますが、通りに面して一階に揃いの出格子を設け、座敷を備える背の高い二階を吹放しの縁側とする、藩政期以来のお茶屋の伝統的な町並みが大火以降も踏襲されて現在まで残っています。今も夕暮れ時には芸妓衆が行き交い、どこからともなく笛や三弦の音が聞こえる風情あふれる茶屋町です。

(写真下:「西茶屋資料館」1階入口(石川県金沢市野町2丁目)、2025年11月3日午前訪問撮影)

(写真下:「西茶屋資料館」1階の「島田清次郎の世界」入口(石川県金沢市野町2丁目)、2025年11月3日午前訪問撮影)

(写真下:「西茶屋資料館」1階の「島田清次郎の世界」内(石川県金沢市野町2丁目)、2025年11月3日午前訪問撮影)

島田清次郎
明治32年(1899)2・26~昭和5年(1930)4・29  小説家。石川県白山市(旧 美川町)出身。
生家は「北前」の回漕業を営んでいたが、父の死後は貧しさをきわめ、小学校入学を前に西の廓で吉米楼(よしよねろう)(当館の前身)を営んでいた祖父を頼って出てくる。金沢商業本科中退。この頃ドフトエフスキーに触れて文学に感激。友人たちと同人誌を始める。
大正8年6月、生田長江の紹介により『地上』(大正8年~11年)第1部が出版された。第1次世界大戦後の大正デモクラシー勃興を背景に、あたかも彗星のごとく現われ、全国青年子女の熱狂的支持を得るに至る。しかし、弱冠20歳という若さで文壇の寵児となったことは、かえって彼を傲慢な男に変えてしまい、さらにまた思わぬ女性スキャンダルから、その人気は急速に失墜。追いつめられた彼は精神に異常をきたし、31歳という若さで死を迎えるまでの5年9ヶ月もの間、病院生活を強制された。しかしその病気については、正気を取り戻したとの説もあり謎が多い。ただ『地上』書かれたこの日本を変えたいとする大きな野望は、最後まで彼のうちにあったことが、その残された手紙によって明らかにされている。

島田清次郎(しまだ・せいじろう)(1899年~1930年)は、1899年(明治32年)2月26日、石川県石川郡美川町(現・白山市)に、回漕業を営む父常吉(1871年~1901年)、母みつの長男(一人っ子)として生まれる。母みつの実家(西野家)は、石川県笠間村字小川(現・石川県白山市小川町)の庄屋格の豪農の出。清次郎が2歳になる前の1901年1月30日に、父・常吉を海難事故で亡くし(享年29歳)、母親みつは、幼い清次郎を連れて実家へ帰ったが、1904年(明治37年)3月、5歳の清次郎を連れて、母方の祖父・西野八郎が金沢の西廓で営む貸座敷「吉米楼」の2階の一室に移り住む。幼いころから清次郎は秀才の誉れ高く、金沢の野町尋常小学校を首席で卒業し、石川県立金沢第二中学校に進学。母方の祖父が米相場で失敗し、母子の生活も窮迫したこともあり、清次郎が13歳の1912年(明治45年)、金沢の中学を1年で中退し、篤志家の援助で、東京・白金の明治学院普通部2年に転入。

母親みつも、この篤志家の世話で上京し、その紹介で浅草の鼻緒職人のもとへ再婚。しかし、清次郎は、篤志家の実業家と衝突し1年半後に一人で金沢に戻り、既に祖父の店は没落していたので、叔父の世話で元の県立金沢第二中学に復学するも、経済的負担に耐えられなくなり一刻も早く清次郎を自立させようとする叔父の勧めで1年で中学を退学し、県立金沢商業学校に転校。商業学校での勉強には身が入らず、停学や落第、退学となる。16歳の1915年(大正4年)以降、職を転々としながら原稿を書く生活を続け、一旦は文学をやるからには東京に出なければと考え、上京後、浅草の母の再婚先に頼ることになるが、書き上げた作品がどこにも相手にされず、焦燥し絶望した清次郎は自殺を図り、この事件の為に母は夫と別れ、清次郎と共に、大正5年(1916年)春、母子2人で金沢に戻ることになる。この清次郎17歳の1916年(大正5年)から18歳の1917年(大正6年)にかけては特に母子の生活は特に極貧で、金沢の町外れの貧民窟の鶏小屋を改造した借家で、母は針仕事で生活を支えた。

こうした悲惨な生活の中、清次郎は、1918年(大正7年)19歳で『地上』を執筆。石川県七尾町の鹿島郡訳書書紀補や、京都での中外日報社員を経て、1919年(大正8年)上京し、同年、処女長篇『地上』を新潮社から出版。20歳で小説家デビューし、空前の大ベストセラーとなり、一躍文学青年たちのカリスマとなり、時代の寵児となる。が、その傲慢不遜な言動が文壇で疎まれるようになり、一方では、1923年(大正12年)4月、海軍少将の令嬢を婦女誘拐・監禁凌辱・強盗のかどで告訴された「島清事件」スキャンダルを起こし一般的な人気も急落。放浪の果てに1924年(大正13年)7月30日、午前2時半、東京・巣鴨の路上を人力車で通行中、不審人物として警察に連行され、精神鑑定の結果、早発性痴呆(統合失調症)と診断され、翌31日、巣鴨の巣鴨の私立精神病院「保養院」に入院。1930年(昭和5年)4月29日、入院のまま、肺結核により死亡(享年31歳)。翌1932年(昭和7年)1月15日には、一人息子の清次郎を生涯愛し続けた母みつが死亡(享年56歳)。

この島田清次郎の歿後66年にあたる平成8年(1996年)4月29日に、金沢市野町2丁目の「にし茶屋街」の一角に、島田清次郎の資料展示コーナーを設けた金沢市西茶屋資料館が開館。1階には島田清次郎に関する貴重な資料などを展示、2階では漆塗りの装飾品など、当時の雰囲気が感じられる豪華なお茶屋の様子が再現されている。島田清次郎の母親みつは、回漕業を営む夫・常吉(1871年~1901年)を1901年1月末に海難事故で亡くした後、石川県石川郡美川町(現・白山市)を離れ、幼い清次郎を連れて石川県笠間村字小川(現・石川県白山市小川町)の実家へ帰ったが、1904年(明治37年)3月、5歳の清次郎を連れて、母方の祖父・西野八郎が金沢の西廓で営む貸座敷「吉米楼」の2階の一室に移り住み、母・みつは芸者たちの着物の針仕事などをして生計を立てる。この「吉米楼」の跡地に、当時の建物が再現されて、西茶屋資料館として公開されている。

島田清次郎の母方の実家・西野家は石川県笠間村字小川(現・石川県白山市小川町)で加賀藩時代には十村を務め、名字帯刀まで許された豪農の家柄で、島田清次郎の母方の祖父・西野八郎は村の有力者で、たびたび村の用事で石川県松任町にある郡役所に出向くことがあり、松任町の米吉という芸者と馴染みになり、家族親類縁者の反対を押し切り、田畑や屋敷を売り払い妻子を捨てて、金沢で米吉と貸座敷を始める。米吉の名前を逆さまにして「米楼」と名付けられた貸座敷は、最初は苦労するもやがて繁盛する店に成長する。島田清次郎は、幼いころから清次郎は秀才の誉れ高く、西茶屋街近くの金沢の野町尋常小学校を首席で卒業し、石川県立金沢第二中学校に進学するが、母方の祖父・西野八郎が米相場で失敗し、米楼は没落。島田清次郎の母子の生活も窮迫したこともあり、島田清次郎が13歳の1912年(明治45年)、金沢の中学を1年で中退し、篤志家の援助で、東京・白金の明治学院普通部2年に転入していく。

(写真下:「島田清次郎文学碑」(石川県白山市平加町)、2025年3月27日午前訪問撮影)

(写真下:「西茶屋資料館」2階(石川県金沢市野町2丁目)、2025年11月3日午前訪問撮影)

芸妓たちによって受け継がれてきた西茶屋街の風情

踊りはもちろんのこと、三味線、太鼓、笛など、芸妓たちによって長く受け継がれてきたお座敷芸が、にし茶屋街の風情を華やかに彩っています。かつての芸妓たちは、10歳の頃から一人前の芸妓を夢見て稽古に励んでいたといいます。彼女たちは「たあぼ」と呼ばれ、置屋の使い走りなどをしながら、行儀作法などを仕込まれていきました。当館隣りの旧検番(現西料亭事務所)は、往時からの稽古場であり、今でも、芸妓たちの熱のこもった稽古の様子を戸外に響かせています。大正から戦前にかけて、検番の一室には仮の教室が設けられていました。近くの小学校からやってくる先生の授業があり、義務教育を受けなければならない「たあぼ」たちは、夕方そこに集まったということです。そんな「たあぼ」たちも、正月のお座敷では客の前で踊りを披露することがありました。未熟ながらも、一生懸命に踊る姿は可愛らしくもあり、高額な祝儀を出す客もいたといいます。こうして華やかな芸の文化を支えてきた芸妓たちはまた、金沢弁のやさしい響きを受け継ぐ語部でもありました。今ではもう忘れ去られた言葉も、茶屋の芸妓たちによって生き生きと語られています。芸の深さばかりでなく、このようなさり気ない風情こそが、茶屋街の魅力をいっそう深めていると言えるでしょう。

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