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北陸を舞台とする小説 第3回 「西郷の首」(伊東 潤 著)
北陸を舞台とする小説 第3回 「西郷の首」(伊東 潤 著)
「西郷の首」(伊東 潤 著、KADOKAWA 角川書店、2017年9月発行) <初出:「小説 野生時代」2016年3月号~11月号、2017年1月号>
<著者紹介> 伊東 潤(いとう じゅん>(本書発行時。本書著者紹介より)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『国を蹴った男』(講談社)で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』(光文社)で第4回山田風太郎章と第1回高校生直木賞を、『峠越え』(講談社)で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』(新潮社)で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を、『黒南風(くろはえ)の海 加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』(PHP研究所)で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『武田家滅亡』『天地雷同』(ともにKADOKAWA)、『走狗』(中央公論新社)、『城をひとつ』(新潮社)、『悪左府の女』(文藝春秋)などがある。
1877年の西南戦争で自刃した西郷隆盛の首を発見した、当時、官軍歩兵第7連隊(1875年金沢に創設)の中尉だった千田文次郎(1847年~1929年)と、1978年の大久保利通暗殺事件(紀尾井町事件)の首謀者として有名な石川県士族・島田一郎(1848年~1878年)という、実在の二人の元加賀藩士を中心に幕末から明治維新までの激動の時期を描いた歴史長編。千田文次郎と島田一郎は、年齢が1歳違いの足軽の身分同士の加賀藩士で竹馬の友。その二人が幕末動乱を経て明治維新の中で、千田文次郎は陸軍軍人として、島田一郎も陸軍軍人として出世もするが軍人を辞め反政府活動の道と異なる道に進み、それぞれ、薩摩藩の下級藩士出身で竹馬の友であった西郷隆盛(1828年~1877年)と大久保利通(1830年~1878年)の死に、竹馬の友であった元加賀藩藩士がそれぞれ関わることになるという歴史の面白さがある。加えて全編を通じて、幕末維新期の加賀藩(版籍奉還後は金沢藩)の数多くの実在の藩士が歴史ドラマに生き生きと登場してくるのもワクワクする。
本書のストーリーは、1864年4月、加賀12代藩主斉泰に代わり世子の慶寧が京都御所の警備で上洛(宿所は京都藩邸ではなく建仁寺)のため金沢を発つ時期からスタートする。その後、1864年6月の池田屋事件が起こり、長州藩と幕府のどちらにも与せず、両者の斡旋を目指すも失敗。禁門の変が勃発時には、長州に与して幕府を威嚇するのでもなく、幕府方に加わって長州を討つでもなく、「退京策」を採り、京都を離れる許可を得ないまま、加賀藩の飛び地であった近江国高島郡の今津・海津に病気の保養を理由に逗留するが、藩主斉泰は慶寧を無視して幕府の在京老中や会津藩に謝罪し、長州征討軍に加わる兵を贈るとともに、慶寧を金沢で謹慎蟄居を命じ加賀藩の尊攘派を一掃することになる。
この1864年の禁門の変の前後の政情や、それに対応する加賀藩の藩論の対立や対応ぶりがよく分る内容であるが、何より、加賀藩の尊攘派が禁門の変後に、数多く、切腹や永牢、流罪となり、この時期、同乗の弾圧が他藩でもあったものの、加賀藩の場合は、家老の本田政均(1838~1869)が頑なに厳罰を主張し尊攘派への厳しい大弾圧となった。中でも加賀藩士の福岡惣助(1831~1864年)の場合、死罪でも切腹でなく、生き胴という生きたまま胴を断たれるという不名誉で残酷な極刑が言い渡される。本書の第1章の前半部は、福岡惣助やその家族との千田文次郎や島田一郎の交わりが見事に描かれ、いきなり感涙にむせび、本書のストーリーに引き込まれてしまう。
その感動の余韻のままに、第1章の後半では、北陸の福井も大変縁の深い1864年の天狗党の乱の話に移行する。長州征討の増援部隊として、加賀藩士の馬廻頭の永原甚七郎孝知率いる975名の加賀藩兵が1864年11月初旬、加賀を出発し後詰として京都に駐屯している時に、11月29日、禁裏御守衛総督の一橋慶喜から、京に向って西上を続ける天狗党征討軍本営が設けられた近江国の大津に向かうよう指令を受け取る。12月6日になり天狗党が越前方面に向かったとの一報が入ったことで天狗党征討軍全軍が北方へ移動することになり、12月9日、諸隊に先駆け、加賀藩永原隊は敦賀に到着後、その先の葉原宿(現・福井県敦賀市)に加賀藩本陣を置き、その先の新保宿(現・福井県敦賀市)に本陣を構えた天狗党と向き合うことになる。天狗党に温情篤い加賀藩士の永原と天狗党の首領・武田耕雲斎や藤田小四郎との交渉やり取りのシーンも素晴らしく、永原率いる加賀藩と天狗党との交渉と信頼関係には感動するが、幕府の天狗党への仕打ちがあまりに冷酷で悲しすぎる。福岡惣助といい、永原甚七郎といい、魅力的な加賀藩士のドラマが凄い。
1865年4月、加賀藩世子・慶寧の謹慎が解かれるも、体調が悪く、1865年は幕府からの江戸出府の命に応えられず、幕府から薩長両藩へと時代の主導権が移り始めた慶応元年(1865年)という節目の年に、加賀藩は政局の中心から次第に外縁部へと押しやられていく。翌1866年2月28日に3年半ぶりの江戸に向け慶寧は出発し、4月には家督を継承。第2次長州征伐の失敗など、幕府の権威は失墜していく中で、加賀藩13代最後の藩主となった慶寧は、藩政刷新を試み、「三州(加賀・能登・越中)自立割拠」策の方針を打ち出し、果敢に富国強兵策推進に励む。この加賀藩の藩政刷新や富国強兵策の試みについては、本書の第2章のストーリーでいろいろと紹介されている。第2章では、高岡で生まれ翌年には父・高峰精一が加賀藩の洋学校「壮猶館」教授に登用されるに伴い金沢に移り住んだ、後年アドレナリンの父といわれアメリカで巨万の財を成した高峰譲吉(1854~1922)も少年として登場する。
1867年10月14日の大政奉還、12月9日の王政復古の大号令に続き、1868年正月に起きた鳥羽伏見の戦いで、加賀藩は幕府方として最初出陣したが、徳川方が敗れたことを知ると、一転して新政府の東征軍の先鋒となることを請願し徳川家と決別。北越戦争に新政府側の主力として参戦。「加賀藩北越戦史」を引用しながら北越戦争の激戦の様子が本書の第2章後半で描写されているが、加賀藩は、鳥羽伏見の戦いの時に徳川方の敗北が決定的となる最後の最後まで、薩長主力の新政府方に去就を明確にしなかったことで、戊辰戦争の中の北越戦争での出兵を命じられ、多数の戦死者を出し、物資の提供も膨大で多大な出費を強いられた。
本書第3章になると、1869年(明治2年)5月、函館五稜郭陥落で御一新が成り、6月には版籍奉還が実行され、「加賀藩」は「金沢藩」と名称が変更され、前田慶寧は知藩事に任命される。ただ、1869年8月、「明治忠臣蔵」と俗に言われた事件の端緒となる加賀藩改め金沢藩執政の本多政均暗殺事件が起こり、第3章のはじめで、大久保利通暗殺事件(紀尾井町事件)の島田一郎と並ぶ首謀者の金沢生まれ穴水育ちの元加賀藩士・長小次郎連豪がいよいよ登場してくる。1871年(明治4年)、廃藩置県により「金沢藩」は「金沢県」となるが、後半の第3章、第4章では、本書の主テーマとなる、元加賀藩士で陸軍軍人の道を歩む千田文次郎が関わる1877年の西南戦争と、元加賀藩士で陸軍を途中で除隊し政治活動に専念していく島田一郎が関わる1878年の大久保利通暗殺事件(紀尾井町事件)へと、ストーリーがクライマックスに向って展開していく。
ラストの第4章は、1875年(明治8年)、政治結社・忠告社(社長:杉村寛正、副社長:陸義猶)の結社式が行われたところからスタートする。この代表の二人、杉村寛正と陸義猶は、第1章の冒頭から加賀藩の有望で優秀な若き藩士として登場し、その後、自由民権運動に影響されつつ政治結社結成の方向を歩むが、島田一郎は実力行使路線を追求するようになり互いに袂を分かつが、杉村寛正は、末弟の杉村文一が暗殺実行犯の1人となったり、陸義猶は暴力的な強硬手段には反対であったが、島田一郎から依頼され、暗殺の趣意書である斬奸状を起草したりと、ともにそれぞれ島田一郎が主導する大久保利通暗殺事件に関係することになるのも加賀藩士同士の人間関係の面白いところだ。西南戦争と大久保利通暗殺事件がヤマだが、ラストの第4章で、大久保利通暗殺事件の実行犯計6名のうち、島田一郎と長連豪以外の4名となる杉本乙菊、脇田巧一、杉村文一の3人と、唯一の島根県士族である浅井寿篤、更に暗殺計画者の1人ながら実行に関われなかった松田克之が登場してきて、大久保利通暗殺計画に至る経緯や暗殺実行とその後の話が生々しく描写されていて非常に興奮する。
目 次
プロローグ
第1章 蓋世不抜(がいせいふばつ)
第2章 鉄心石腸(てつしんせきちょう)
第3章 気焔万丈(きえんばんじょう)
第4章 擲身報国(てきしんほうこく)
エピローグ
<関連テーマ>
・禁門の変と加賀藩の尊攘派
・加賀藩の近江国高島郡今津の飛び地
・天狗党と加賀藩永原隊
・幕末の加賀藩の藩政改革と富国強兵策
・加賀藩の鳥羽伏見の戦いと、北越戦争への出兵
・本多政均暗殺事件と「明治忠臣蔵」
・石川県の自由民権運動と、正義党及び政治結社「忠告社」
・大久保利通暗殺事件(紀尾井坂事件)と石川県士族<主なストーリー展開時代>
・1864年~1878年 ・1929年(千田文次郎登文83歳)
<主なストーリー展開場所>
・金沢(野田山、寺町、長町、笠舞、卯辰山)、金沢郊外・野々市
・越前国敦賀、新保宿(敦賀)・葉原宿(敦賀)
・京、近江国今津・海津、大津 ・江戸(改め 東京)
・越後高田、柏崎、長岡 ・名古屋 ・鹿児島
<主な登場人物>
・千田文次郎登文(せんだぶんじろうのりふみ、1847~1929)
・島田一郎朝勇(しまだいちろうともいさみ、1848~1878)
・福岡惣助(1831~1864年、家禄170石の与力身分。加賀藩の探索方)
・卯乃(福岡惣助の後妻で、一郎や文次郎と同じ足軽身分の家の出で幼馴染)
・勘一(福岡惣助の長男)
・杉村寛正(1844~1916年、加賀藩士。加賀藩御算用者の嫡男)
・陸義猶(くが・よしなお。1843~1916年、加賀藩士)
・前田斉泰(まえだ・なりやす、1811~1884。加賀藩第12代藩主)
・前田慶寧(まえだ・よしやす、1830~1874、加賀藩第13代藩主、加賀藩知事)
・本多政均(ほんだ・まさちか、1838~1869。加賀藩家老、本多播磨守家の5万石当主)
・長連恭(1842~1968、加賀藩年寄の1人、長大隅守家3万3千石の当主)
・松平大弐(1823~1864、加賀藩家老、慶寧の側用人)
・堀四郎左衛門(1819~1896、加賀藩尊攘派の中心的人物。能登の八ヶ先村に流刑)
・千秋順之助(藤篤、1815~1864。加賀藩士、前田慶寧の侍講、尊攘派)
・小川幸三(1836~1864、加賀の尊攘運動家。加賀の町医師の子から加賀藩士に登用)
・浅野屋佐平(1814~1865、加賀出身の尊攘運動家)
・澤田百三郎(文次郎の義姉事項
・ヨネ(千田文次郎の養母)
・糸(千田文次郎の義姉で百三郎の妻)
・金助(島田一郎の父、1869年死去)
・とき(島田一郎の継母)
・ひら(島田一郎の妻)
・治三郎(島田一郎の腹違いの弟)
・太郎(島田一郎の長男)
・宮崎栄五郎(小野派一刀流の達人、剣術指南役で文次郎の武芸の師匠)
・山森権太郎(加賀藩士、藩主斉泰側近の開国派)
・武田耕雲斎(1803~1865、天狗党の総大将)
・藤田小四郎(1842~1865、天狗党の輔翼(副将格)
・武田金次郎(1848~1895、武田耕雲斎の孫)
・田沼玄蕃頭(1819~1870、田沼意尊、幕府の若年寄)
・英林坊(美濃国出身の若い僧で、天狗党の使者)
・川路正之進利良(1834~1879、薩摩藩士、初代大警視)
・高峰譲吉(1854~1922)
・横山政和(1834~1893、加賀藩家老)
・小川仙之介(加賀藩士、北越戦争での加賀藩銃砲隊長)
・箕輪知太夫(加賀藩士、北越戦争での加賀藩銃砲隊長)
・前田直信(1841~1879。加賀八家筆頭前田土佐守家の第10代当主)
・岡野四郎(1846~1878、岡野外亀四郎、加賀藩士、本多政均暗殺事件の参謀役)
・土屋茂助(加賀藩士)
・管野輔吉(加賀藩士)
・長小次郎連豪(1856~1878)
・山辺沖太郎(加賀藩士、本多政均暗殺事件実行犯)
・井口義平(加賀藩士、本多政均暗殺事件実行犯)
・杉本乙菊(加賀藩平士の出。1849~1878)
・脇田巧一(加賀藩士平士の出。1849~1878)
・杉村文一(杉村寛正の末弟、1861~1878)
・浅井寿篤(1852~1878、島根県士族)
・松田克之(加賀藩平士の出、1855~1855)
・沢野一兵(石川県七等警部)
・津田正芳少佐(歩兵第7連隊長初代)
・竹下弥三郎中佐(歩兵第7連隊長2代目)
・平岡芋作中佐(歩兵第7連隊長3代目)
・北陸毎日新聞の記者
・江藤源作(江藤新平の弟)