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北陸関連の図録・資料文献・報告書 第1回 特別展「幕末動乱と富山藩」図録(富山市郷土博物館 編集・発行)
北陸関連の図録・資料文献・報告書 第1回 特別展「幕末動乱と富山藩」図録(富山市郷土博物館 編集・発行)
特別展「幕末動乱と富山藩」図録(富山市郷土博物館 編集・発行、2018年9月発行)
富山市郷土博物館特別展「幕末動乱と富山藩」
会期:平成30年(2018年)9月15日(土)~11月11日(日)
会場:富山市郷土博物館(富山市本丸1-62)
本書は、富山市郷土博物館特別展「幕末動乱と富山藩」の図録で、残された資料から幕末動乱期の知られざる富山藩の動静を紹介するというもの。江戸時代、加賀藩の支藩として1639年に成立した富山藩(藩主:前田家、藩庁は現・富山市の富山城。越中富山藩の初代藩主は加賀前田家3代・加賀藩第2代藩主の前田利常の次男であった前田利次で富山前田家の祖)は、1871年7月の廃藩置県まで存続(最後の藩主は第13代・前田利同(1856~1921。藩主就任は1859年)
本展は、40点の展示資料をもとに構成されているが、その取り上げている時代は、富山藩(1639年~1871年)の歴史の中で、ペリー来航の嘉永6年(1853)から、明治2年(1869年)6月の版籍奉還を経て明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県の時期。この間の富山藩の動静については、展示構成に従い、時系列的に、「プロローグ 内憂外患」「第1章 家老暗殺と西洋式軍制」「第2章 京都警衛と上野警衛」「第3章 戊辰戦争へ」「エピローグ 明治の大変革の中で」と、5つのパートについて、本展の企画および図録の編集を担当した富山市郷土博物館学芸員の浦畑奈津子氏が、本図録の冒頭で、個々の展示資料を引用しながら、総論解説してくれているのは、全体の流れを理解する上で有難い。
幕末の動乱期、安政4年(1857)には、江戸派(12代藩主・前田利声、江戸詰家老・富田兵部)と富山派(先々代藩主・前田利保)の対立激化から、富田兵部の切腹と多くの藩士処分となる富田兵部一件など、お家騒動に端を発して本藩である加賀藩の介入を招いたのみならず、元治元年(1864)には藩士・島田勝摩による家老・山田嘉膳の暗殺事件が起きるなど、内部の対立を抱えて先行きが不透明な情勢にあった。また、安政6年(1859)4月には富山湾の四方(よかた)沖に異国船(ロシア軍艦)が出没しており、外国の脅威は他人事ではなくなっていた。船はその後、伏木へ移動し、小舟を下ろし、湊川(現在の小矢部川河口)の辺りの深さを調べて去っていく。この後、富山藩では異国船来航時の対応の準備や、四方台場の設置などの対策が進められることになる。
そして、慶応4年(1868)1月、鳥羽伏見の戦いによって戊辰戦争が勃発、これを機に本藩の加賀藩が新政府側についてからは支藩の富山藩もそれに従い、出兵した越後では熾烈な戦いを繰り広げ、さらには南会津や庄内にまで転戦することになる。興味深いのは、鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争が勃発すると、当初、加賀本藩は旧幕府軍支援のため藩兵を京都に向かわせるが、京都詰藩士からの情報により、徳川方が朝敵となったことを知った加賀藩は、方針を変更し出兵を取りやめ新政府支持を決定。小松まで進軍していた加賀藩の塀は金沢へと引き返すことになる。富山藩も加賀本藩の出兵に合わせて藩兵も出していた富山藩も加賀藩に従うことになる(富山藩兵1隊は越前まで進軍していたため、任務を京都の警衛に切り替えて京都に進んだという「前田則邦記録」も展示)
40点の展示資料は、いずれも興味深いが、特に、文書だけでなく、ビジュアル資料は、分かりやすいし興味をひく。中でもインパクトが強く目を見張るのは、展示資料No.5の「越富奇談島山物語絵巻」(富山市郷土博物館所蔵)。元治元年(1864)7月1日、富山城三之丸で起った家老暗殺事件、「山田嘉膳一件」の顛末を描いた3巻からなる絵巻物で、暗殺の場面だけでなく、家老排斥を狙う経緯から暗殺後の経過、その後の結末までの場面が描かれている。この図録の表紙デザインの左上にも、その一部場面が配されている。
ちなみに、この図録の表紙デザインには、他にも、展示資料から左右上下に置かれている。左下は、展示資料No.3 「伏木浦異船渡来一件」からで、安政6年(1859)4月に富山湾に異国船が現れた時の奉行所に報告された資料をまとめた加賀藩側の記録で異国船の見取り図。右上は、展示資料No.20「戊辰役富山藩士出陣之図」の下部部分で、慶応4年(1868)閏4月14日に、富山藩兵が越後に向けて千石町教練所から出陣した時の様子。右下は、展示資料No.36「奥越出兵図屏風」から採られている。
展示資料に関する詳細データだけでなく主要参考文献記載や、47頁目に収録された「富山藩隊 北越・会津・荘内方面出兵MAP(慶応4年閏4月~明治2年1月)も貴重。他にも、数多くの幕末動乱期の富山藩に関連するテーマに言及している図録で、前田利保(10代藩主)の豪華な千歳御殿、本草学の研究、富山藩薬品会、家臣団筆頭の3家(富田、近藤、村)の権勢、富田兵部一件、江戸派と富山派の対立、加賀本藩と富山支藩の関係、富山湾四方沖へのロシア軍艦来航、四方台場の設置、西洋式軍制の導入、山田嘉膳の改革、山田嘉膳暗殺事件、神通川の布瀬川原や牛島川原での砲術訓練、大久保野での大砲演習、富山藩の京都御所警衛と藩兵を率いての上洛、富山藩京都屋敷、富山藩の上野寛永寺の警衛、鳥羽伏見の戦いでの加賀藩・富山藩の対応、慶応4年1月11日の朝廷からの諸大名に対する上洛命令への富山藩対応、朝廷よりの北越出兵命令、奥羽越列藩同盟軍との戦闘、長岡近郊の福島村における戦闘(森田三郎等の戦死)、森田日記、などと、興味が尽きない。
目次
目次・凡例
ごあいさつ
総論 浦畑奈津子「幕末動乱と富山藩」
関係年表
プロローグ 内憂外患
第1章 家老暗殺と西洋軍制
第2章 京都警衛と上野警衛
コラム 富山藩京都屋敷の位置について
第3章 戊辰戦争へ
エピローグ 明治の大変革の中で
資料解説
資料一覧
主要参考文献
謝辞