北陸を舞台とする小説 第8回 「若狭恋唄殺人事件」(木谷恭介 著)


「若狭恋唄殺人事件」(木谷恭介 著、廣済堂出版、1998年4月発行) <書下ろし>

<著者紹介>木谷恭介(こたに きょうすけ> (本書発行時、本書著者紹介より)
昭和2年(1927)、大阪生まれ。私立甲陽学院卒。週刊誌のライター、放送作家などを経て、昭和52年(1977)、小説クラブ新人賞受賞を契機に作家活動に入る。著書に「富良野ラベンダーの丘殺人事件」「京都紅葉伝説殺人事件」「みちのく滝桜殺人事件」「鎌倉釈迦堂殺人事件」「四国宇和島殺人事件」「函館恋唄殺人事件」など多数ある。(*追記:2012年逝去)

旅情ミステリー作家として数多くの作品を発表してきた、推理作家・木谷恭介氏(1927年~2012年)による若狭小浜を物語の中心とした長編旅情ミステリー。推理作家・木谷恭介氏は、1977年、50歳で作家生活に入り、1983年から旅情ミステリーに専念し、数多くの作品を量産し、警察庁広域捜査官の宮之原昌幸警部が事件解決に挑む宮之原警部シリーズが特に広く人気を博していたが、本書でも、宮之原警部が、ヒロインととともに謎を解明し事件解決に挑む。また本書は宮之原警部シリーズの中の「恋唄シリーズ」ではあるが、これは、1997年10月刊行『函館恋唄殺人事件』に続く半年後の恋唄シリーズ第2弾(恋唄シリーズ第3弾は「木曽恋唄殺人事件」(1998年6月刊行)。

宮之原警部シリーズの他作品に、基本、作品ごとにヒロインが異なるも、異例としてヒロインとして数作品に登場していた、東京の通信販売カタログ雑誌の29歳編集長・椎名紗智が本作品もヒロインとして登場。その椎名紗智が、3月2日に東京方面から米原・敦賀経由の鉄道で初めて福井県小浜市を訪れる場面から物語はスタートする。椎名紗智の小浜入りは、福井県小浜市西津地区の在住で、小浜の伝統産業である若狭塗の卸問屋の一人娘で間もなく25歳となる保坂奈美枝から、保坂奈美枝の誕生日パーティと、大蔵省エリート官僚で小浜税務署長を務めていた保坂奈美枝の婚約者・高城俊樹が3月末で東京の本省に転勤する送別会を兼ねて、仲の良い友達が集まるので、その機会に椎名紗智に婚約者を紹介したく、3月2日、小浜に来てほしいと連絡があったため。保坂奈美枝が東京の大学にいたころ、約2年間、椎名紗智が編集長として働くカタログ雑誌のバイトスタッフだったという関係。

保坂奈美枝と婚約者・高城俊樹との婚約披露のようなパーティが3月2日夜、小浜市の海沿いにあるホテルで終わった翌朝、奈良の東大寺二月堂の裏手の東大寺の塔頭が立ち並ぶエリアで、道路上で白いドレス風のワンピースを着たまま全身びしょ濡れの若い女性の溺死体が発見される。その被害者は、昨夜のパーティとその後の2次会が終わった後、小浜の自宅の前から消えて帰宅していなかった保坂奈美枝と判明。小浜で姿を消した保坂奈美枝を犯人が殺すのにどうして奈良でなければならなかったのか?また、その奈良も、なぜ東大寺の二月堂の裏手付近だったのか?更に、被害者はなぜ、全身に水を浴び、びしょ濡れの溺死体で発見されたのか?犯人は若狭小浜と奈良が「水」で結ばれていることを暗示したかったのか?と思わせる。

椎名沙智は警察庁の広域捜査官・宮之原警部に事件解明を依頼。被害者をめぐる嫉妬やエリート官僚をとりまく様々な思惑が明らかになっていくが、第2、第3の殺人が続き、宮之原警部が、巧妙に仕組まれた罠と犯意を解き明かしていく。最初の殺人事件の犯人が暗示したかった、若狭小浜と奈良が「水」で結ばれていることについては、まさに保坂奈美枝が小浜から消えた3月2日が、毎年、福井県小浜市神宮寺で行われる若狭のお水送りの日。3月12日に奈良の東大寺二月堂で行われる「お水取り」(修二会の「お香水」汲み)に先がけて行われるもので、奈良と若狭が昔から深い関係にあったことを物語る歴史的な行事。その「お香水」は、若狭鵜の瀬から10日間かけて奈良東大寺二月堂「若狭井」に届くといわれているが、この由来となった若狭の遠敷明神の話は非常に面白い。

最初の殺人事件被害者の婚約者が、大蔵省の若きエリート官僚で20代後半で小浜税務署長という設定で、エリート官僚をめぐるキャリアパスや周囲の環境や問題などの話題も多いが、最初の被害者となる保坂奈美枝は小浜市西津の若狭塗の卸問屋の一人娘という設定で、保坂奈美枝を取り巻く人物たちとして地元小浜の人達が登場する。父親は若狭塗の職人で高校時代は常に保坂奈美枝とはライバル関係にあった同級生で今は京都在住で銀行勤務の寺下美咲、小浜市甲ヶ崎の農協勤務で高校時代の同級生・野崎七海、若狭湾に面して立っている小浜きっての老舗旅館オーナーの息子・池永好信、又従兄弟で奈良の平城大学の助手をしている古代史に強い恩地亮太、高校の2年先輩で、敦賀で1、2の高級クラブのホステス・吉田優香などが絡んでくる。尚、吉田優香が歌う曲「カスバの女」は、哀愁漂う歌詞とメロディの名曲。

旅情ミステリーだけあって、やはり、まずは福井県小浜市内の各地が紹介される。神宮寺(小浜市神宮寺)、遠敷川、鵜之瀬(小浜市下根来)、萬徳寺(小浜市金屋)、羽賀寺(小浜市羽賀)、小浜城址、北川と南川、小浜市西津地区、綱女明神、江戸時代の廻船問屋古河屋の別荘だった建物の旧千石荘(小浜市北塩屋)、西津漁港、内外海半島、エンゼルライン、蘇洞門など、小浜市内の各地各所の名前が次々と挙げられる。、小浜以外では、奈良市内の各地も紹介が詳しいが、平城京のあった、いにしえの奈良の都のエリア、都が京都に移ったあとの東大寺や興福寺の門前町としての”奈良町”、明治以降、”奈良町”の外側に女子高等師範学校がつくられ、今度は学校の関係者の住む新興の町が出来ていったという、奈良の町の成り立ちなども紹介されているが、奈良市内の開化天皇春日率川坂上稜(奈良市油坂町)をきっかけに、宮之原警部の古代史談義が繰り広げられる。

続いて、福井県敦賀市在住で敦賀で1,2の交流クラブのホステスの吉田優香への取り調べで敦賀市を、宮之原警部と椎名沙智が敦賀市を訪ねた折、気比神宮に寄り、ここでも宮之原警部の古代史談義が繰り広げられる。伊奢沙別命(イザサワケノミコト)(笥飯大神)、角鹿(つぬが)、ツヌガアラシト、神功皇后、応神天皇、応神王朝、渡来人集団の話などに触れている。小浜市田烏(たからす)地区で新たな殺人事件が発生したことこともあって、敦賀市から小浜市にかけての海岸線ルートも辿っているが、この小浜市田烏地区では、その中の谷及(たんぎょう)や釣姫(つりひめ)という小さな集落のことまで言及されている。

小浜と京都間は、鉄道では大きく遠回りせざるを得ないが、大変近く車での行き来が早く便利。一つのルートは、小浜から東南方向に向かい、遠敷、上中町を経由する国道303号ルートがあり、滋賀県に入り、朽木谷を通り、途中、途中越えトンネル(滋賀県大津市伊香立途中町)を抜け滋賀県から京都府に入り京都の大原に至る国道367号線ルートという”鯖の道”。もう一つのルートは、国道162号線で小浜から西南に向かい、福井県・京都府の境にある堀越トンネルを抜け京都府の京北町を通って京都の街に入るルート。本書での登場人物の一人の寺下美咲も、京都の宇多野(京都市右京区)に住んでいるため、小浜からは、この国道162号線ルートの利用が便利。

尚、本書のストーリー展開時代については、具体的な年と明記は無いが、1998年2月からのことと分る。冒頭に、”ここ数年、大蔵省は袋叩きにあっている。汚職や接待疑惑が明るみにでて、大蔵大臣が辞任したのは、ついひと月ほどんまえのこと”とあり、これは1998年1月28日、大蔵省接待汚職事件を受け、当時の三塚博(1927~2004)大蔵大臣が辞任したことを指しているはず。本書書き出しは、ヒロインの椎名紗智が東京から小浜に向かうのに、米原で特急「加越3号」に乗り換え、木之本をつうかしたころから雪が降りだすシーンから始まっているが、特急「加越」は、北陸本線の米原駅~金沢駅・富山駅間を、1975年3月10日から2003年10月1日までの期間、運行した特急列車の愛称。

その大蔵省も、中央省庁改編・金融行政の分離で、2001年(平成13年)1月6日をもって解体し、その後は財務省に改称された。また、本書でも、動燃の名前や幹部が作品に登場してくるが、通称・略称が「動燃」と呼ばれた動力炉・核燃料開発事業団は、1967年に原子燃料公社を母体に発足した特殊法人で、高速増殖炉および新型転換炉の開発を専門とする事業団で、1998年(平成10年)10月1日に核燃料サイクル開発機構として改組された後、2005年(平成17年)10月には日本原子力研究所と統合され、独立行政法人・日本原子力研究開発機構に再編されている。動燃の高速増殖炉「もんじゅ」は敦賀市白木にあり(1991年5月18日運転開始、2016年12月21日廃炉)、動燃の新型転換炉「ふげん」は敦賀市明神町にあったが(1978年3月20日運転開始、2003年3月29日運転終了)、フィクションの本作品では、動燃のふげん発電所の所長が登場している。

木谷恭介氏の宮之原警部シリーズの旅情ミステリーファンにとっては、1998年4月刊行の本書「若狭恋唄殺人事件」で登場するヒロインの椎名紗智は、木谷恭介氏の木谷恭介氏の宮之原警部シリーズでは、「萩・西長門殺人事件」(初版1990年)、「尾道殺人事件」(初版1991年)、「京都柚子の里殺人事件」(初版1994年)に登場し、「阿寒湖わらべ唄殺人事件」(初版1996年)で登場する民俗学研究の大学教授・椎名桑一郎が椎名紗智の父親という設定で登場してくる。木谷恭介氏の宮之原警部シリーズで宮之原警部と関係が深いレギュラー的な存在の女性、小清水峡子や平瀬玻奈子については、本作品については、これまでの宮之原警部との関係などについては説明があるも、本人たちはストーリー展開上では直接は登場してこない。

目 次
第1章 若狭・お水送りの寺
第2章 奈良・殺されていた奈美江
第3章 京都・ライバルだった女
第4章 木津・記録されていたナンバー
第5章 敦賀・渡来した人たちの跡
第6章 若狭ふたたび・第三の殺人

<主なストーリー展開時代>
・1998年2月~3月
<主なストーリー展開場所>

・福井県小浜市 ・奈良県奈良市 ・京都府京都市 ・福井県敦賀市

<主な登場人物>
・椎名紗智(カタログ雑誌の編集長で29歳)
・宮之原昌幸警部(警察庁の広域捜査官。47歳)
・保坂奈美枝(小浜の若狭塗の卸問屋の25歳の一人娘)
・高城俊樹(大蔵省のエリート官僚で、28歳の小浜税務署長)
・恩地亮太(保坂奈美枝の又従兄弟で奈良の平城大学の助手。奈良市八軒町在住)
・吉田優香(保坂奈美枝の高校の2年先輩で、敦賀で1、2の高級クラブのホステス)
・寺下美咲(京都在住で京都の銀行勤務、保坂奈美枝の高校時代の同級生で父親は若狭塗の職人)
・野崎七海(小浜市甲ヶ崎の農協勤務で25歳)
・池永好信(若狭湾に面して立っている小浜きっての老舗旅館、ホテル九重の32歳の営業部長)
・池永千恵子(小浜きっての老舗旅館ホテル九重の女将でc池永好信の母)
・川辺一真(近畿財務局金融検査課職員で寺下美咲の30歳の婚約者)
・森久保光浩(ホテル九重の板場で働く35歳の男)
・保坂奈美枝の母
・高城俊樹の学友たち
・奈良県警本部の通信指令室係官
・東大寺二月堂の裏手の龍宝院の修行僧
・祭睦五郎(奈良県警の警部補)
・鳴尾(小浜税務署の総務課長で50代半ばの男性)
・日比谷通りに面したビルのラウンジのレジの女性
・小浜市西津の本屋の40歳前後のお内儀さん
・絹谷若葉子(日本最大の自動車メーカーの東洋自動車の絹谷会長の孫娘)
・海老沢(動燃のふげん発電所の所長)
・塚越(大阪国税局の局長で高城俊樹の先輩)
・吉田優香の妹(小浜市内の若狭高校近くの建売住宅在住)
・小清水峡子(香港総領事館の書記官で29歳、前任は警察庁の官房の秘書官)
・平瀬玻奈子(京都の三条小橋の近くで小さなバーを経営。34歳)

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