南越地域の伝承・伝説「滝川一益の最期と狐塚(福井県越前市不老町)・霊泉寺(福井県越前市池泉町)」]

南越地域の伝承・伝説
「滝川一益の最期と狐塚(福井県越前市不老町)・霊泉寺(福井県越前市池泉町)」

(写真下:霊泉寺(福井県越前市池泉町)にある石碑<*2023年7月22日午後訪問撮影>

『老人雑話』という古書の一説に、”信長の時は天下の政道4人の手にあり、柴田、秀吉、滝川、丹羽也。左近(滝川)、武勇は無双の名ありて、たびたび関八州を引受けて合戦す、関八州の者は滝川の名を聞きても、おそれし程なりし。末に至りて散々の体也” <織田信長の時代は,国家の政権は4人の手に握られていた。柴田勝家、羽柴秀吉、滝川一益、そして丹羽長秀であった。その中でも一益は、武勇は二人とないほどすぐれていた。関東地方において、たびたび合戦をして武名をとどろかせたので、関東の人々は、滝川という名を聞いただけでも、おそれおののいた。しかしながら、彼の晩年は、はなはだしく悪い有様であった>

近江甲賀郡の出身とも言われ、出自が忍者説もあるが、織田信長に仕えるまでの前半生は謎ながら、織田信長の臣として仕えてからは、一益の出世は早く、数々の目覚ましい活躍をし早くに出世を果たし織田信長に重用され織田信長四天王の雄となり、本能寺の変前は、武田勝頼も討ち取り関東管領にも任じられ輝かしかった滝川一益(かずます、1525年~1586(天正14年)9月9日)だが、天正10年(1582年)本能寺の変以降、その運命は一変しその晩年は不遇で、清州会議にも間に合わず柴田勝家に与するも最後は羽柴秀吉に降伏。羽柴秀吉から、天正11年(1583年)8月、堪忍料として越前国大野郡に5千石を与えられて閑居させられるが、小牧・長久手の戦いでの対応で、秀吉の怒りを買い、出家して京都妙心寺に入り入庵と号し、また3千石の隠居料で越前大野に蟄居させられ、天正14年(1586年)9月9日、そこで僧体のまま死去とされる。

が、晩年の最期についてははっきりせず。越前今立の不老(現・福井県越前市不老町)で殺され、近くの味真野郷池泉(現・福井県越前市池泉町)の霊泉寺(れいせんじ)に葬られたとも伝わる。ちなみに、『織田信長家臣人名事典』(吉川弘文館)には、「天正14年(1586)9月9日、越前五分一にて没。62歳であった(寛永伝・勢州軍記)」とあり、また『日本人名事典』(平凡社)には、「更に越前に寓居し、五分一邑に漂死した。」とある、さらに、『戦国人名事典』(新人物往来社)には、「一益は三千石を与えられたが、越前大野に引退し、天正14年(1586)9月9日没。62歳」とある。

『味間野名跡誌』には、池泉町の霊泉寺について、”禅宗なり。池泉村にあり。滝川一益兄弟の墓あり。鎧甲、今に寺中に残り。瀧川、ひととせ大瀧権現堂の七堂伽藍を焼き、忽ち両眼失て、不老村狐塚にて大瀧の郷民に殺され、骸を此寺に納めしといへり。『本朝三国志』には、五分市にて終ると書せり。”とあるが、瀧川一益兄弟の墓も鎧甲も、霊泉寺には残っておらず、いつ無くなったかも不明。また『越前国今立郡誌』には、”狐塚 今立村不老区の稲荷神社の辺にあり。瀧川一益大瀧に攻め来りて、児権現の七堂伽藍を焼き亡くせるより、忽ち冥罰を被り両眼明を失ひ、後流浪して再び此地に来たりけるを、郷民曩日(以前)の恨を霽さん(心がはれる)とて、此処にて一益を打ち殺せりと云ふ。”

天正3年(1575年)、織田信長は、10万5千の大軍で越前一向一揆討伐に進攻。織田軍は丹羽長秀、滝川一益、蜂谷頼高であり、8月16日から越前府中に入り一揆勢を討伐。前年の天正2年(1574年)4月、奥越一揆軍の将・杉浦玄任らは、神仏混合の平泉寺を壊滅させ末寺の味真野郷五箇荘の大滝寺を支配下に入れていたが、翌天正3年(1575年)8月、織田軍の滝川一益は、大滝寺を西と南の小山邑の鳥越坂からとで挟撃し、堂宇を悉く焼き打ちした。瀧川一益が晩年、失明、出家して京都の寺から両国の越前大野への帰途、越前今立の大滝へ立ち寄った時、かつて一揆の時の仕打ちを恨む村民(大滝寺衆僧)に追われ、近隣の不老(おいず)地区の狐塚で斬殺され、近隣の池泉の霊泉寺に葬られたと伝わる。

滝川一益は、大滝権現(現・大瀧神社)を死守する僧兵の抵抗を、兵を分けて大滝山の南方味真野から山の尾根づたいに鳥越に至り背後から挟撃したと言われ、その戦勝を神に謝して自分の鐙一具を、権現山、手植えの松の根元に納めたと伝え、それは後、嘉永年間(1848~1853年)に至って発掘され、大滝神社宝物庫にある、一益の家紋に付いた鉄製鐙がそれであり宝物として保管されている。大瀧児権現の正面本堂は僧兵の守りが固く、五分市に住んでいた紅屋という豪族が南小山からの鳥越峠の間道を滝川一益に教え、紅屋はその功によって篤く賞せられ、家はますます富み栄えたが、その後、しららくして一家が絶滅。これを稚児権現のたたりと歌えたという伝承もある。

(写真下:大瀧神社(福井県越前市大滝町)<*2023年7月20日午後訪問撮影>
*紙祖神 岡太神社・大瀧神社の案内板には、天正3年(1575)に織田信長配下の滝川一益によって全山灰燼に帰したが、直後に府中3人衆(前田利家・佐々成政・不破光治)によって「大瀧神郷神座」が安堵され再興された」と記されている。


不老の地区では、”滝川一益は両眼の目を失って出家し、京都妙心寺に入り修行した。時に大滝寺48坊・七堂伽藍を焼き払った神仏への謝罪をするべく盲目の身で弟を伴ない大滝寺にお参りしたのち帰路、についた滝川一益を大滝郷民が追ってきて斬殺した。この辺りは狐塚と呼ばれた地で不老村字16号狐塚一番地に所在している。”と伝える。不老の村人は、因果はともあれ滝川一益を哀れに思い狐塚より50m南東の通称片山通り山添の竹藪の中に滝川一益の分骨を弔い墓がたててあったが、終戦後の混乱期で関心も薄く道路の拡張造成で、その後、その跡形もないとのこと。不老地区(福井県越前市不老町)には、狐塚の伝承は残るも、狐塚の場所を特定したり、その伝承を伝えるような標も現存していない。

また、文安年間(1444年~1449年)に越前国の守護だった斯波義俊が開いた曹洞宗の霊泉寺(れいせんじ、福井県越前市池泉町)の境内に、滝川一益を偲ぶ歌碑があるが、これは、滝川一益の子孫にあたるといわれる広島県土生町に住む泉繁子女史が、霊泉寺を詣で滝川一益を偲んで、「滝川一益  もののふの ゆかり尋ねて 虫の音の 越路にきたり うたた偲ぶも」と詠んだもので、その歌が大きな自然石に深く刻まれている石碑がある。不老の里の伝説・歴史・風土を入れた「不老音頭」の6節は、”ああ一益の 悲しきさいご 狐塚とは だれかがゆうた 今は 今は文化の 今は文化の 園となる”。

(写真下:不老(おいず)地区の狐塚の辺りと思われるが特定できず(福井県越前市不老町)<*2023年7月22日午後訪問撮影> 前方の道が大瀧神社に至る道で、その反対側の道が池泉町に至る

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