ふくい日曜エッセー「時の風」第4回 「越路のたむけ(峠)」(2020年7月5日 福井新聞掲載)

ふくい日曜エッセー「時の風」(2020年7月5日 福井新聞 掲載)
第4回 「越路のたむけ(峠)」 「南越文化圏」の展開期待

新元号「令和」の典拠から総数4,516首を収めた我が国最古の歌集である万葉集への注目が昨年来、再度高まっているが、福井出身の幕末の歌人、橘 曙覧を「趣味を自然に求め、手段を写実に取った歌は前に万葉、後に橘曙覧あるのみ」と絶賛し世に知らしめた明治期の俳人・歌人の正岡子規は、「万葉集は歌集の王なり」と万葉集を推奨している。

身分を超えた様々な人の歌で編まれている万葉集には、越前若狭の民衆の歌は採り上げられていないものの、福井県関係の歌は、84首といわれ、敦賀の五幡・田結、三方の海、丹生の山辺、叔羅川(現・日野川)などのことを詠んだ歌があり、県内各地に、歌にちなんだ万葉歌碑が建てられているが、福井県関係の歌で圧倒的に有名なのは、奈良時代中期の天平期に、越前国の味真野地区(越前市)に流罪となったといわれる夫の中臣朝臣宅守(なかとみのあそんやかもり)と、京でその帰りを待つ妻の狭野茅上娘(さののちがみのおとめ)との間で交わされた63首に及ぶ相聞歌だ。万葉集の中でも恋の激しさと数の多さで異彩を放っていて、万葉ロマンあふれる風光明媚な万葉の里、越前市味真野地区で万葉文化に浸ることができる。

二人の63首に及ぶ相聞歌の中で、狭野茅上娘が別れを悲しんだ歌の後に続き、中臣宅守が越前への流罪の旅の途中で歌った歌として、“かしこみと のらずありしを み越路の たむけに立ちて 妹が名のりつ”がある。「罪を受けて流されていく道中だから恐れ多いと、恋しい妻の名も口に出さずにここまで我慢してきたが、いよいよ越の国に入る道の峠に立ってこれからは越の国だと思うと、もう耐えられなくなって妻の名を大声で叫んでしまった」という妻を思う感情を歌ったものだ。

万葉集の歌は、自然を率直に表現し人の生きる喜び、悲しみ、苦しみを高らかにうたい、今もって現代の我々の心に響いてくるものが多い。新元号「令和」の考案者で、国文学者で万葉集研究第一人者の中西進氏が以前、万葉集には、「原始の力」「心の原点」「ポストモダン」があると3つの言葉で統括し、閉塞した時代を開いていくものが万葉集にはあると語られていたが、全く同感だ。

中臣宅守の上述の歌で歌われている「越路の峠」とは、近江から越前に入る国境にある愛発山(あらちやま)の峠と言われ、山中にあったとされる三関の一つである愛発関の所在地は確定されていないが、愛発山は西近江路の敦賀側の最南端の村となる敦賀市山中から北方疋田あたりまでの山塊を総称したものとされている。

ただ、南から越国に入る「越路の峠」といえば、山中峠、木ノ芽峠、さらに栃ノ木峠が想起されるのではなかろうか。敦賀市と南越前町にまたがる福井県嶺北と嶺南を分ける峠の一つの山中峠は、古代に敦賀津から元比田を通り山中峠を越え大桐(旧鹿蒜村)・新道・南今庄を通り今庄を経て越前国府(武生)へ至る鹿蒜(かひる)街道が通っていて、南越前町の今庄宿と都をつないだ最古の街道の越路の峠だ。万葉集の大伴家持の歌にも鹿蒜の地名が読み込まれている。この通称「万葉の道」を街道沿いの地元の住民の方々が20年以上保存整備に努められいて、今庄宿とともに今後ますます注目が集まるはずだ。その後、平安時代初期の830年には福井県嶺北と嶺南を分ける峠の一つの木ノ芽峠を越える古道も開かれ明治初期まで千年以上にわたり、近畿から北陸へ入る関門として要所となった。さらに南越前町と滋賀県をまたぐ栃ノ木峠も、越路に入る峠道として利用されてきた。

来年春決定予定の北陸新幹線(仮称・南越駅)の新駅名はさておき、越国の最南端、越前南部の「南越」が、北陸新幹線の始発駅ともなる敦賀から、越路のたむけ(峠)を越えたら、ドキドキわくわく期待されるような、風土に根差した地域文化圏が展開されるようにありたいものだ。峠を越えて行き来する楽しみと、峠を越えて広がる世界の出現が楽しみということを忘れたくはない。

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