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首都圏の中の北陸ゆかりの地「泉鏡花墓所」(雑司ヶ谷霊園:東京都豊島区南池袋4丁目)
- 2023/7/25
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首都圏の中の北陸ゆかりの地
「泉鏡花 墓所」雑司ヶ谷霊園1種1号13側33番(東京都豊島区南池袋4丁目13-11)
(写真上:泉鏡花墓所(東京都豊島区南池袋4丁目13-11 雑司ヶ谷霊園)<*2023年7月2日訪問撮影>
明治6年(1873年)11月4日、石川県金沢町下新町23番地(現・石川県金沢市尾張町2丁目)に生れ、後にに日本近代浪漫主義を代表する作家となった泉鏡花(本名、鏡太郎)は、1939年(昭和14年)9月7日午前2時45分、肺腫瘍のため、東京府東京市麹町区下六番町の自宅で逝去。享年満65歳。辞世の句は「露草や 赤のまんまも なつかしき」。同年9月9日、宮内省より幣帛下賜。同年9月10日正午出棺。芝の青松寺(曹洞宗 萬年山 青松寺<現・東京都港区愛宕2丁目>にて葬儀。
遺骨は雑司ヶ谷墓地に埋葬。戒名は佐藤春夫の撰による「幽玄院鏡花日彩居士」、笹川臨風書、墓石構成小村雪岱。墓石には「鏡花泉鏡太郎墓」と刻まれている。
墓の右側面には、祖父・庄助(明治7年(1874年)11月16日没)、祖母・きて(明治38年(1905年)2月20日没)、父・清次(明治27年(1894年)1月9日没)、母・鈴(明治15年(1882年)12月24日没)、弟・豊春(昭和8年(1933年)3月30日没)の名が刻まれ、同じ墓に入っている。尚、実弟の豊春は、作家の泉斜汀(明治13年(1880年)1月30日~昭和8年(1933年)3月30日)。墓の左側面には、促名泉鏡太郎と並んで、鏡太郎妻 俗名すゞ(昭和25年(1950年)1月20日没)の名が刻まれ、同じ墓に入っている。
(写真上2枚:泉鏡花の墓の両側面<*2023年7月2日訪問撮影>
(写真下:東京都立雑司ヶ谷霊園入口、霊園内、案内図 <*2023年7月2日訪問撮影>