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ふくい日曜エッセー「時の風」第2回 「ふくい男の立ち姿」(2020年3月1日 福井新聞掲載)
ふくい日曜エッセー「時の風」(2020年3月1日 福井新聞 掲載)
第2回 「ふくい男の立ち姿」 沈着で高潔な佐久間艦長
3年後の2023年春、北陸新幹線の県内延伸開業に向け、建設工事が着実に進み、約20kmの長さとなる北陸新幹線の新北陸トンネルは、今春、間もなく貫通予定とのこと。今から58年前の1962年には、北陸本線での北陸トンネル開通と置県80周年を記念して、当時、福井県の新民謡として「イッチョライ節(福井音頭)」が、作詞・西沢爽氏、作曲・古賀政男氏によってできあがった。福井の人なら聞き慣れている「イッチョライ」は、「一張羅」の方言で一番上等という意味で、この歌は島倉千代子氏と守屋浩氏によるデュエットでレコード化もされた。
イッチョライ節の歌い出しは「ハー 北陸トンネルネ イッチョライ 燕がくぐるョソレくぐるョ 福井みたさにイッチョライ」と始まり、1957年に着工され1961年に貫通、翌1962年より営業開始の当時日本最長(13・87km)であった北陸トンネルの名がいきなり登場する。このイッチョライ節には、北陸トンネル以外にも、東尋坊、芦原いで湯、勝山左義長、九頭龍、大野、永平寺、武生菊人形、三方五湖、若狭がれい、敦賀、蘇洞門と、福井に関するコトバがたくさん散りばめられており、楽しく賑やかだ。
この歌の「可愛いむすめは絹の肌」という詞にも惹かれるが、2番に出てくる「福井おとこのイッチョライ 福井おとこの立ち姿」という歌詞も素晴らしい。この「ふくい男の立ち姿」という詞に、私はいつもある郷土の偉人を思い浮かべる。1879年(明治12年)福井県三方郡北前川村(現・若狭町)に生まれた海軍軍人の佐久間艇長だ。佐久間勉(さくま・つとむ)氏は、1910年(明治43年)広島湾における演習に第六号潜水艇の艇長として参加し、山口県新湊沖で半潜航訓練中、艇が故障し沈没、部下13人とともに殉職。享年30歳という若さでの悲劇だった。
この悲痛な事故に関しては、艇長の冷静沈着な判断でなしうる限りの手段を講じ命果てるまで職分に徹し、われ先にと出口に殺到することもなく全艇員がその持ち場についたまま絶命していたことが、人々を大変驚かせた。その上、潜水艇が沈下し刻々と苦しくなっていく呼吸の中、佐久間艇長が死の直前に書いた遺書がその後発見され、その遺書に見られる沈着冷静さや部下への思いやりの気持ちが、日本のみならず世界中の感動を呼んだ。夏目漱石もこの遺書を名文と激賞しエッセイ『文藝とヒロイック』を書き、与謝野晶子も「海底の 水の明りにしたためし 永き別れの ますら男の文」など追悼歌を十余首も詠んでいる。
人は危急の状況に陥った時、慌てふためき自分だけを守ろうとあがき醜態を晒してしまいがちだが、佐久間艇長の立ち姿は余りにも美しく感動的だ。無責任、傲慢、我儘放埓、陰湿などと、人や社会が自らを律することができず醜悪な様相が目立ちがちな昨今においては、力でもなく富でもなく「美しく在る事、美しく立つ事」の輝きがより眩しいものになっているのではなかろうか? 佐久間艇長のような人が福井から生まれたということを誇りに思うとともに、また佐久間艇長のような人を良く知ることは、自らの姿勢を見つめ正そうとし、人や社会に対するシラケや諦めの気持ちを脱して希望や信頼を持とうと思えるのではなかろうか。
ふくい男、ふくい女だけでなく、福井という地域も、その立ち姿が「イッチョライ」と歌われるような「美しく」在る地域であり、“福井みたさにイッチョライ”と、他県、他国の人たちから言われるようになりものだ。
尚、佐久間艇長の遺書の中で弟と長女に宛てた箇所(妻は先に亡くなる)は、「・・・高潔ノ精神ト清廉ノ行トヲ以テ自ラ任ジ、人生ノ義務ヲ全フスベシ。自営自活ハ独立男子ノ本文ナリ、女子ノ本文ナリ、寸毛モ卑劣ノ依頼心ヲ起ス勿レ。」
■佐久間 勉 (海軍軍人)(1879-1910)