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北陸ゆかりの人物評伝 第6回 「島田清次郎 誰にも愛されなかった男」(風野 春樹 著)
北陸ゆかりの人物評伝 第6回 「島田清次郎 誰にも愛されなかった男」(風野 春樹 著)

「島田清次郎 誰にも愛されなかった男」(風野 春樹 著、本の雑誌社、2013年8月発行)
<著者略歴>風野 春樹(かざの・はるき><本書著者紹介より、*本書発刊当時>
精神科医、書評家、SF愛好家。1969年神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業。現在、東京武蔵野病院リハビリテーション部長。専門は精神病理学、病跡学。「本の雑誌」で「サイコドクターの日曜日」、「こころの科学」で「精神科ヵら世界を眺めて」連載中。
島田清次郎 しまだ・せいじろう <*本書裏表紙より>
1899年(明治32年)石川県生まれ。20歳で小説家デビュー。処女長篇『地上』(新潮社)が空前の大ベストセラーに。一躍文学青年たちのカリスマとなり、『地上』は全4部作で50万部を売り上げた。だがその傲岸不遜な言動が文壇で疎まれるようになり、一方ではスキャンダルを起こし一般的な人気も急落、原稿が出版されることはなくなった。放浪の果てに早発性痴呆(現在の統合失調症)と診断され25歳で精神病院に収容、入院中に肺結核のため死去した。享年31歳。
本書は、文字通り、島田清次郎(しまだ・せいじろう)(1899年~1930年)についての評伝で、現役精神科医による2013年8月発表の著作。島田清次郎は、20歳で1919年(大正8年)6月に新潮社から刊行された処女長編小説『地上 第1部 地に潜むもの』によってデビユーし、空前の大ベストセラーとなり、いちやく文壇の流行児となり文学青年たちのカリスマとなりながら、その傲岸不遜な言動が文壇で疎まれるようになり、一方ではスキャンダルを起こし一般的な人気も急落し、原稿が出版されることはなくなり、わずか数年で没落し、放浪の果てに早発性痴呆(現在の統合失調症)と診断され、25歳で東京の巣鴨町庚申塚にある私立精神病院「保養院」に収容され、入院中に肺結核のため享年31歳で死去した人物。島田清次郎については、石川県七尾市生まれ、金沢市育ちの伝記文学の第一人者・杉森久英(1912年~1997年)による発表された「天才と狂人の間」(単行本「天才と狂人の間」(杉森 久英 著)は、1962年1月、河出書房新社より刊行)が著名で、世間から忘れ去られていた作家・島田清次郎の死後約30年の時代に、自分を天才と信じこんだ石川県石川郡美川町(現・白山市)生まれ、金沢市育ちの島田清次郎(1899年~1930年)の狂気にも似た生涯を克明に描いた伝記小説で、昭和37年(1962)上半期の第47回直木賞受賞作。
文学研究者ではない現役の精神科医の著者が、なぜ島田清次郎という忘れられた作家の本を書こうと思ったのか?という、気になる点については、本書「あとがき」で説明が加えられている。それによれば、著者が島田清次郎を知ったのは、森田信吾の伝記マンガ「栄光なき天才たち」(「週刊ヤングジャンプ」連載)で島田清次郎の生涯も取りあげられていて、学生時代に読んだ島田清次郎の物語が、ひときわ強烈な印象を残す一篇だったとのこと。20歳のデビュー作でベストセラー作家の地位に昇りつめるが、女性スキャンダルにより一気に転落、精神病院の患者となり、31歳で早すぎる死を迎えるという、破滅型の振れ幅の大きい人生を送った島田清次郎が、いったいどういう人間だったのかに興味を持ちはじめ、杉森久英の伝記小説「天才と狂人の間 島田清次郎の生涯」を読むが、本書著者が一番知りたかった精神病院入院後のことについては、ほんのわずかしか触れられていなく、まるで入院で島田清次郎の人生がすべて終ったかのような書き方が不思議だったと述べている。確かに、1899年2月16日~1930年4月29日という31年2ヶ月強という非常に短い生涯の中で、東京・巣鴨の精神病院の入院後、一度も退院することなく病院で病死をする5年9ヶ月の精神病院生活期間(1924年7月31日~1930年4月29日)は長いが、その期間にも関心を持ち、精神病院に入院する前の事も含め、自らいろいろと調べ、島田清次郎の生涯をたどり直すことができるのは、精神医学を学び、数多くの統合失調症患者とも接してこられた著者ならではのことであろう。
島田清次郎は、1899年(明治32年)2月26日、石川県石川郡美川町(現・白山市)に、回漕業を営む父常吉(1871年~1901年)、母みつの長男(一人っ子)として生まれる。母みつの実家(西野家)は、石川県笠間村字小川(現・石川県白山市小川町)の庄屋格の豪農の出。清次郎が2歳になる前の1901年1月に、父・常吉を海難事故で亡くし(享年29歳)、母親みつは、幼い清次郎を連れて実家へ帰ったが、1904年(明治37年)、5歳の清次郎を連れて、母方の祖父・西野八郎が金沢の西廓で営む貸座敷「吉米楼」の2階の一室に移り住む。幼いころから清次郎は秀才の誉れ高く、金沢の野町尋常小学校を首席で卒業し、石川県立金沢第二中学校に進学。祖父が米相場で失敗し、母子の生活も窮迫したこともあり、清次郎が13歳の1912年(明治45年)、金沢の中学を1年で中退し、篤志家の援助で、東京・白金の明治学院普通部2年に転入。
母親みつも、この篤志家の世話で上京し、その紹介で浅草の鼻緒職人のもとへ再婚。しかし、清次郎は、篤志家の実業家と衝突し1年半後に一人で金沢に戻り、既に祖父の店は没落していたので、叔父の世話で元の県立金沢第二中学に復学するも、経済的負担に耐えられなくなり一刻も早く清次郎を自立させようとする叔父の勧めで1年で中学を退学し、県立金沢商業学校に転校。商業学校での勉強には身が入らず、停学や落第、退学となる。16歳の1915年(大正4年)以降、職を転々としながら原稿を書く生活を続け、一旦は文学をやるからには東京に出なければと考え、上京後、浅草の母の再婚先に頼ることになるが、書き上げた作品がどこにも相手にされず、焦燥し絶望した清次郎は自殺を図り、この事件の為に母は夫と別れ、清次郎と共に、大正5年(1916年)春、母子2人で金沢に戻ることになる。この清次郎17歳の1916年(大正5年)から18歳の1917年(大正6年)にかけては特に母子の生活は特に極貧で、金沢の町外れの貧民窟の鶏小屋を改造した借家で、母は針仕事で生活を支えた。
こうした悲惨な生活の中、清次郎は、1918年(大正7年)19歳で『地上』を執筆。石川県七尾町の鹿島郡訳書書紀補や、京都での中外日報社員を経て、1919年(大正8年)上京し、同年、処女長篇『地上』を新潮社から出版。20歳で小説家デビューし、空前の大ベストセラーとなり、一躍文学青年たちのカリスマとなり、時代の寵児となる。が、その傲慢不遜な言動が文壇で疎まれるようになり、一方では、1923年(大正12年)4月、海軍少将の令嬢を婦女誘拐・監禁凌辱・強盗のかどで告訴された「島清事件」スキャンダルを起こし一般的な人気も急落。放浪の果てに1924年(大正13年)7月末、25歳で精神分裂病で東京・巣鴨の私立精神病院に入院し、1930年(昭和5年)入院のまま、肺結核により死亡(享年31歳)という、短いながらも波瀾に満ちた島田清次郎の生涯を、本書の主たる構成内容は、「第1章 作家になるまで」「第2章 新人作家として」「第3章 絶頂期」「第4章 世界へ」「第5章 スキャンダル」「第6章 流浪の日々」「第7章 精神病院から」と、島田清次郎の生涯を、時系列にたどり直す形になっている。
杉森久英の伝記小説「天才と狂人の間 島田清次郎の生涯」と明確に異なるのは、本書では「第7章 精神病院から」の章が設けられ、東京・巣鴨の精神病院の入院後、一度も退院することなく病院で病死をする5年9ヶ月の精神病院生活期間(1924年7月31日~1930年4月29日)を丹念に調べていること。精神病院に入院して、そこで島田清次郎の人生が終わりで、そのまま狂死してしまったというわけでは決して無かったということを丁寧に調べ上げ、認識を改めることができる。精神症状の悪化により創作意欲は失われ、とても創作活動はできずに精神病院入院後は、作家としては既に死んだも同然だったかと思われがちだが、1982年7月に、金沢市在住の島田清次郎の従兄である西野芳顕宅で、精神病院内で書かれた未発表の草稿25編が見つかり、その草稿の一部の内容も本書で紹介されているが、精神病院内でも創作を続けていただけでなく、その文章表現も、島田清次郎らしさを見出すことができ、病院側は全くこれらの創作活動に気づいていなかったらしい。本書は巻末の参考文献の紹介掲載が非常に充実しているのも有り難いが、郷土北陸の文学研究者の小林輝冶(1933年~2015年、福井市出身、北陸大学名誉教授、元徳田秋声記念館館長)氏が、草稿発見直後から注目し研究発表されていたことも分かる。
本書は、島田清次郎の生い立ちから「作家になるまで」、という生涯をたどり直す最初の第1章から始まる前の導入部に、”「天才と狂人」の呪縛”と題した序章が配され、著者自身の島田清次郎への関心・視点について、思いが綴られている。島田清次郎のデビュー前に書かれた「自分への説法」と題された長い詩が掲載され、清次郎の残した作品の中でも、著者がもっとも好きな詩の一つと言い、将来への野心と不安の間で揺れながらも、自分自身を冷静に見つめなおそうと必死になっている等身大の青年がここにいる、と述べる。確かに、この「自分への説法」という長い詩は、とても若々しいし共感できる。著者は、ここから、”島田清次郎は、本当に天才だったのだろか。そして本当に狂う人だったのだろうか。。そろそろ、「天才と狂人」という言葉の呪縛から、清次郎を解放してあげてもいいのではないだろうか。”と続ける。そして、「終章 島田清次郎は本当に狂人だったのか」と題した終章で、その疑問に著者なりの答えを示してくれている。”時代を超越した特異な才能を天才と呼ぶとすれば、島田清次郎は天才ではなく、あくまで時代の寵児だった。しかし、その頃の清次郎が「狂人」であったのかというと、これは疑問で、粗暴な行動と誇大的な言動により、文壇は彼に「狂人」の烙印を押したが、精神医学的な意味では、前半生の清次郎はあくまで特異な性格の範疇で、あえて診断をつけるなら、現在の診断分類で言えば自己愛性パーソナリティ障害ということができるだろう”と言う。屈曲点が「あるのは、1923年末頃のことで、「妄想知覚」が進み統合失調症を発症し進行していたのは間違いないが、精神病院入院中に書かれた作品からも分かるように、清次郎の精神全体が妄想に支配されてしまうことはなく、清次郎は最後まで再起を信じ、退院の日を待ち続けていて、清次郎は、確かに一時は「狂人」と呼ばれても仕方ない精神状態にあったが、決して狂死したわけではなかったと、誤解されていたであろう清次郎の最後の数年間のイメージを塗り変えてくれている。
島田清次郎については、どうしても、その傲岸不遜ぶりな言動に加え、内縁の妻・小林豊、母みつなどへの家庭内暴力の事が気にはなってしまうが、本書では、1923年(大正12年)4月に起った海軍少将の令嬢を婦女誘拐・監禁凌辱・強盗のかどで告訴された「島清事件」の「第5章 スキャンダル」の章の終盤で、著者は、”もうひとつ注意しておかなければならないのは、清次郎が常習的なDV加害者だったとしても、それは精神病だということを意味しない”と、冷静に指摘している。”DV加害者は、ほとんどの場合精神病ではない。それは修正困難な行動特性ではあっても、精神病というわけではないのだ。清次郎を「狂人」と呼ぶ場合、絶頂期の誇大妄想と舟木事件などにみられる暴力行為、そして「早発性痴呆」(現在の統合失調症)と診断されて入院したことすべてをひっくるめてのことが多い。しかし、傲慢で特権意識を持ったDV加害者と、「早発性痴呆」という診断の間には、天と地ほどの開きがある。統合失調症でも暴力はあるが、それは主に被害妄想によるもので、DV加害者の暴力とは大きく異なっている。文壇は清次郎に狂気のレッテルを貼ったが、少なくともこの時点において、清次郎を早発性痴呆と診断する根拠はない。”と、文章が続くが、現役精神科医の著者ならではの力説ぶりに感心する。
本書と、杉森久英の「天才と狂人の間 島田清次郎の生涯」との違いで、更に特徴的なのは、杉森久英の著書は、伝記小説であり、物語・ストーリー性が高いのに対し、本書は、非常に詳細に関連事項なども調べ上げていて、非常に資料性が高い。杉森久英の著書では島田清次郎逝去後約30年のタイミングでの発表で、関係者たちも存命ということで、登場人物の一部は仮名での掲載となっているが、本書では、実名に加え実在人物についての説明なども加えられている。具体的には、赤倉和嘉代(「地上」のヒロイン吉倉和歌子のモデル)、赤倉吉三郎(赤倉和嘉代の父)、岩崎一(清次郎を引き取り東京の学校に転入させてくれた実業家)、長谷川鉄太郎(浅草左衛門町(現・浅草橋)に住む鼻緒職人で清次郎の母みつの再縁の夫)、小林豊(島田清次郎の内縁の妻)、小林椙象(小林豊の兄)、森島鷹子(23歳の夫人で夫は金沢出身の外交官・森島守人)、舟木芳江(令嬢誘拐事件の当事者)、舟木錬太郎(舟木芳江の父、旧加賀藩出身の海軍少将)、舟木重雄(舟木芳江の長兄で早稲田大学出身の小説家)、舟木重信(舟木芳江の次兄で小説家・早稲田大学文学部教授)、小川勝子(舟木芳江の同級生の親友で、政友会領袖小川平吉の四女)が、杉森久英の著書では仮名で登場していたが、本書では実名登場。杉森久英の著書では、”この事件のあった大正12年(1923年)から30何年もたって、人々が島田清次郎の名も砂木良枝(仮名)の名も忘れてしまったころ、この事件とその主人公島田清次郎に季節おくれの興味を持った一人の男が、東京都内のある所にひっそりと暮らしている砂木良枝(仮名)を捜し当てて、だしぬけに訪問して驚かせたことがあった。”とし、杉森久英が50代になった舟木芳江を訪ねた時の事が書かれているが、本書では、杉森久英の著書では明らかにされていない島清事件後の舟木芳江(1904年~1968年)の生涯についてかなり詳しく紹介されていて、「左翼劇場」での舞台女優で活躍したりと、ひっそりと人目をはばかるように人生を送ったのではないかと勝手に思い込んでいたが、全く違って驚いた。
また、杉森久英の著書では、関係者として登場していないが、本書では、島田清次郎と何らかの関わりや、島田清次郎について言及していた人たちなど、新たに数多くの関係者の実名が掲載されているが、中でも、なかなか深い関係にあった人物として、度々本書の中で登場するのが、中山忠直(1895年~1957年。ペンネームは中山啓。金沢二中の先輩で、入院後まで清次郎と付き合いありSF詩人。自然科学への造詣が深く、スケールが大きく斬新な宇宙的SF詩を発表し独自の世界を展開。また漢方医師で中山胃腸薬など多くの薬品を製造・販売)や、木村秀雄・駒子夫婦(「日本心霊術研究会」を立ち上げ「観自在宗」新興宗教の宗祖で、妻は女優・舞踏家・女性運動家)と、なかなかユニークな人物。本書の特徴の一つとして、巻末に掲載された著作、単行本、論文・記事、雑誌・新聞などの参考文献の数の多さがあるが、特に、「地上 第一部 地に潜むもの」(新潮社、1919年6月)刊行前に発表された最初の自伝的小説「死を超ゆる」(中外日報、1917年6月~11月)をはじめとする島田清次郎の著作各作品について、その概要やあらすじなどを説明してくれているのは、まだまだ入手が容易ではないだけに非常に有用。島田清次郎の経歴で、どうして親族・身内でもない東京の実業家が、島田清次郎を金沢二中から退学させ、東京高輪の自邸に引き取り、芝白金の明治学院普通部の2年に転入させてくれたのか、などについても、その経緯や背景などをほぼほぼ知ることができた。
また、「金商70年史」(金沢商業高等学校、1970年)など、杉森久英氏の著作段階ではまだ無かった資料などの参考文献がかなり網羅され引用紹介されているし、本書の表紙の島田清次郎の写真についても、1995年9月に季節社から刊行された復刊本「地上ー地に潜むもの」の表紙でも使われていて、いつのどういう写真か気になっていたが、本書の中の記述で、1920年10月に新潮社から刊行された島田清次郎の短篇集「大望」の巻頭に、後に転居する前の鵠沼で撮ったポーズを決めた写真が収録された写真と判明。本書の副題の「誰にも愛されなかった男」とは、加能作次郎の清次郎評からとったものと、本書「あとがき」の中で明かされている。また、1995年9月、季節社からの再刊本「地上 ー 地に潜むもの」(島田清次郎 著)の巻末の解説には、島田清次郎の『地上』シリーズとも呼ぶべき6点の作品群についての補足紹介もあり、第二部以降の作品の評価は非常に低いが、①『地上 ー第一部・地に潜むもの』、②『地上 ー第二部・地に叛くもの』(大正9年1月発表)、③『地上 ー第三部・静かなる暴風』(大正10年1月発表)、④『地上 ー第四部・燃ゆる大地(前編)』(大正11年1月発表)、⑤『改元 ー第一部・我れ世に勝てり』(大正12年2月発表)、⑥『改元 ー第二部・新しき太陽』(大正12年10月、原稿が新潮社から出版拒否され、島田清次郎発病後の大正13年12月に『我れ世に敗れたり』と出版社によって非内容的な表題に改められて出版)と書かれていたが、本書では、1924年12月9日の読売新聞が、精神病院に収容後4ヶ月以上たった頃に訪問した記事を紹介していて、そこでは、島田清次郎自身が、「我世に敗れたり」と表題を自分でつけたと明かした内容も紹介されている。
島田清次郎 誰にも愛されなかった男 ー 目次
序章 「天才と狂人」の呪縛
第1章 作家になるまで
故郷・美川/ 遊郭暮らし/ 小学校時代/ 金沢二中時代/ 明治学院/ 再び金沢へ/ 文学の世界へ/ 落第と退学/ 創作活動のはじまり/ 暁烏敏との出会い/ 浅草での生活/ 貧困の中で/ 初の長篇小説/ 『死を超ゆる』/ 『地上』の胎動/ 中外日報時代/ 女性たちからの攻撃/ 清次郎の性格第2章 新人作家として
上京/ 大熊信行との出会い/ 生田長江の推挽/ 二人の友/ 『地上』刊行/ 評論家の絶賛/ 痛ましい真実の叫び/ 『地上 地に潜むもの』/ 文壇の評価/ 若者の文学/ 『地上』の読者たち第3章 絶頂期
『地に叛くもの』/ スペイン風邪/ 発禁騒動/ 社会主義との関わり/ 傲岸不遜な態度/ 「島田清次郎氏に対する公開状」/ 感想集『早春』/ 『清次郎の恋文/ 堺真柄への恋/ 文壇の批評/ 「不同調」欄の攻撃/ 『静かなる暴風』/ 内務省にて/鵠沼転居/ 『帝王者』/ 洋行の準備/ 母親との関係
第4章 世界へ
『燃ゆる大地』/ 結婚と暴力/ 送別会/ 出航/ 太平洋上の醜聞/ アメリカ到着/ サンフランシスコにて/ 木村夫婦との出会い/ 詩人エドウィン・マーカム/ ヨーロッパへ/ ペンクラブ/ 帰国の途へ/ ミス・マーガレット/ 転居/ 松沢村に行きて清養せよ/ 生田長江邸にて/ 『我れ世に勝てり』第5章 スキャンダル
令嬢誘拐事件/ 文通のはじまり/ 交際の深まり/ 「取返しのつかない事」/ 事件1日目/ 事件2日目/ 事件3日目 ー 拘留/ 熱狂するマスコミ/ 告訴/ 形勢逆転/ バッシングのはじまり/ 告訴取り下げ/ 婦人雑誌の記事から/ 読者の反応/ その後の舟木芳江/ 事件の真相第6章 流浪の日々
原稿のボイコット/ 関東大震災/ 出版拒否/ 金策の日々/ 奇怪なるものゝ大軍/ 大磯にて/ 聚英閣にて/ 吉野作造邸へ/ 菊池寛邸へ第7章 精神病院から
入院/ 金子準二医師/ 池田隆徳による診察/ 清次郎はほんとに狂気してゐたのかしら/ 島田清次郎は恐るべし/ 大泉黒石の訪問/ 『我れ世に敗れたり』/ 島田清次郎訪問記/ 院内で書かれた原稿/ 木村夫婦の奔走/ 催眠術/ 中山忠直の面会/ 木村生死の翻訳書/ 清次郎の葉書/ 明るいペシミストの唄/ 晩年の清次郎/ 母と子/ 誰にも愛されない男終章 島田清次郎は本当に狂人だったのか
あとがき 中二病のカリスマ
参考文献
島田清次郎略年譜
<主な登場人物> (*赤字は「天才と狂人の間」(杉森久英 著)には登場しない、あるいは仮名での掲載だった人物)
・島田清次郎(1899年~1930年)
・島田常吉(清次郎の実父、美川町で回漕業に従事)
・みつ(清次郎の実母、旧姓・西野、石川郡笠島村字小川の十村を務めた旧家出身。1932年1月15日逝去。享年56歳)
・西野八郎(清次郎の母方の祖父)
・米吉(松任町の芸者)
・林正義(野町小学校の1級下で金沢二中でも後輩で家が近所で幼い時からの友人で、赤倉和嘉代の妹と結婚)
・中山忠直(1895年~1957年。ペンネームは中山啓。金沢二中の先輩で、入院後まで清次郎と付き合いあり)
・赤倉和嘉代(「地上」のヒロイン吉倉和歌子のモデル)
・赤倉吉三郎(赤倉和嘉代の父で、かつては朝鮮で伊藤博文の部下だった人物。故郷金沢へ帰国後、官吏から実業界へ転身)
・岩崎一(東京の実業家。清次郎を金沢二中から退学させ、東京高輪の自邸に引き取り、芝白金の明治学院普通部の2年に転入してくれた男性)
・長谷川鉄太郎(浅草左衛門町(現・浅草橋)に住む鼻緒職人で、清次郎の母みつの再縁の夫)
・西野八次(清次郎の伯父で、母みつの弟。西野八郎の長男。母の実家・西野家の相続人)
・橋場忠三郎(金沢商業時代の同人雑誌仲間で、金石の醤油醸造業兼肥料問屋の息子)
・宮本利康(金沢商業時代の同窓生)
・石堂清倫(1904年~2001年、松任町生まれ。のちに東京帝国大学に入学し学生運動に参加し、マルクス主義の社会思想家となる)
・沖豊治(金沢商業時代の同級生)
・西村酔夢(本名:西村眞次、1879年~1943年、冨山房の全国総合雑誌「学生」の文章投稿コーナー「美文」の選者)
・大井静雄(有名な民事の大家・花井卓蔵の懐刀といわれる若手で俊敏な弁護士)
・暁烏敏(1877年~1954年、松任町の北安田(現・白山市北安田)生まれの宗教家)
・藤原鉄乗(1879年~1975年、新潟県三条生まれの宗教家、「加賀の三羽烏」の1人)
・高光大船(1879年~1951年、金沢市生まれの宗教家、「加賀の三羽烏」の1人)
・真渓涙骨(1869年~1956年、福井県敦賀市出身で京都で宗教専門紙「中外日報」創刊者で社主)
・熊田源太郎(1886年~1935年、能美郡湊村(現・白山市湊町)の素封家出身の実業家、「呉竹文庫」創設者)
・室生犀星(1889年~1962年、金沢市出身の詩人・小説家)
・生田長江(1882年~1936年、鳥取県日野町出身、明治から昭和の初めにかけて活躍した評論家・文人)
・大熊信行(1893年~1977年、山形県米沢市出身の経済学者・文芸評論家・歌人。島田清次郎と文通仲間)
・町田トシコ(1896年~1978年、長崎県出身の詩人。一時期、中外日報の婦人記者)
・植田まし枝(中外日報の女性記者)
・徳田秋声(1872年~1943年、金沢出身の小説家)
・加能作次郎(1885年~1941年、石川県羽咋郡出身の小説家・評論家。博文館の「文章世界」編集長)
・伊藤証信(1876年~1963年、三重県出身の仏教思想家・社会運動家。一時期、中外日報の主筆)
・生田春月(1892年~1930年、鳥取県米子出身の詩人、生田長江の書生。播磨灘で投身自殺)
・矢代亀広(1889年~1952年、矢代東村。千葉県出身の歌人・弁護士で島田清次郎と交友関係あり)
・佐藤義亮(1878年~1951年、秋田県角館町出身、新潮社の創立者・社長)
・大戸喜一郎(新潮社編集室の校正担当)
・中村武羅夫(1886年~1949年、新潮社「新潮」編集長、編集者・小説家・評論家)
・加藤武雄(1888年~1956年、1911年新潮社入社、新潮社「文章倶楽部」編集長、小説家)
・水守亀之助(1886年~1958年、1919年新潮社入社、新潮社の編集者、小説家、随筆「わが文壇紀行」(1953、朝日新聞社))
・堺利彦(1871年~1933年、豊前(福岡県)出身の社会主義者・思想家)
・徳富蘇峰(1863年~1957年、肥後国生まれのジャーナリスト・思想家・歴史家・評論家)
・新明正道(1898年~1984年。台北市(原籍・金沢市)生れの社会学者、東京帝大政治学科で吉野作造に師事し新人会で活躍)
・芥川龍之介(1892年~1927年、小説家)
・広津和郎(1891年~1968年、東京出身の小説家・文藝評論家・翻訳家)
・中原中也(1907年~1937年、詩人・歌人・翻訳家)
・渋川驍(1905年~1993年、小説家・文芸評論家)
・吉村公三郎(1911年~2000年、映画監督、「地上」(1957年)の映画監督)
・森戸辰男(1888年~1984年、経済学者、1920年「森戸事件」)
・吉野作造(1878年~1933年、宮城県出身の政治学者、大正デモクラシーの父)
・堺真柄(近藤真柄)(1903年~1983年、堺利彦の長女。大正・昭和期の社会運動家)
・門田武雄(鹿児島出身で東大法科学生。東大新人会)
・上司小剣(1874年~1947年、読売新聞社編集局長、自然主義作家の小説家)
・井汲清治(1892年~1983年、文芸評論家)
・安倍能成(1883年~1966年、哲学者・教育者・政治家)
・田中純(1890年~1966年、作家・文芸評論家・翻訳家)
・佐藤春夫(1892年~1964年、和歌山県新宮出身の詩人・小説家。生田長江に師事。『田園の憂鬱』や『都会の憂鬱』など)
・出口王仁三郎(1871年~1948年、新宗教「大本」の2大教祖の1人)
・浅野和三郎(1874年~1937年、日本の心霊主義運動の父)
・小林豊(島田清次郎の内縁の妻。1981年死去。山形県大山町(現・鶴岡市)出身の素封家小林家の次女で、鶴岡高等女学校の卒業生)
・小林椙象(小林豊の兄で小林家の当主)
・中根駒十郎(1882年~1964年、愛知県出身、新潮社の支配人、佐藤社長の義弟)
・佐野秋紅(「内面描写 真相と批評 島田君と舟木令嬢」(文正社、1923年)著者)
・吉井勇(1886年~1960年、歌人・劇作家・小説家)
・村松正俊(1895年~1981年、評論家)
・藤井真澄(1889年~1962年、劇作家)
・八田與一(1886年~1942年、大洋丸の船客。石川県出身で台湾の治水の父といわれる水利技術者)
・池長孟(1891年~1955年、大洋丸の船客。神戸の富豪で南蛮美術のコレクター)
・春木一郎(1870年~1944年、大洋丸の船客。ローマ法学者で数カ国語を操り語学の天才といわれた東京帝国大学教授)
・植村正久(1858年~1925年、大洋丸の船客。日本のプロテスタントの指導者)
・馬場粂夫(1885年~1977年、大洋丸の船客。日立製作所の創業メンバーの1人)
・箕輪馬之助(大洋丸に乗船し島田清次郎と殴り合ったという船客)
・森島鷹子(23歳の夫人で夫は金沢出身の外交官・森島守人)
・小林良輔(小林豊が生んだ子で、成長して早稲田大学理工科に学ぶが、1945年8月15日死亡)
・岡繁樹(1878年~1959年、高知県出身の社会主義者、ジャーナリスト。1902年渡米し平民社サンフランシスコ支部創設)
・翁久允(1888年~1973年、富山県出身の作家・ジャーナリスト、日米新聞の支社長、1907年渡米し1924年帰国)
・小鳥烏水(1873年~1948年、登山家・随筆家。横浜正金銀行のサンフランシスコ支店長)
・早川雪洲(1886年~1973年、千葉県出身。1907年単身渡米、1913年ハリウッドで映画デビュー)
・木村秀雄・駒子夫婦(「日本心霊術研究会」を立ち上げ「観自在宗」新興宗教の宗祖で、妻は女優・舞踏家・女性運動家)
・木村生死(木村秀雄・駒子夫婦の一人息子)
・エドウィン・マーカム(1852年~1940年、アメリカの詩人)
・カルビン・クーリッジ(1872年~1933年、第30代アメリカ大統領)
・H・G・ウェルズ(1866年~1946年、イギリスの作家)
・駒井権之助(1874年~1956年、ロンドン在住の詩人)
・藤原義江(1898年~1976年、男性オペラ歌手)
・岡田三郎(1890年~1954年、北海道松前出身の小説家。1921~23年、パリ遊学)
・林倭衛(1895年~1945年、長野県上田出身の洋画家。1921年~26年、主としてパリ滞在)
・ジョン・ゴールズワージー(1867年~1933年、イギリスの小説家・劇作家、国際ペンクラブ初代会長、ノーベル文学賞受賞)
・バートランド・ラッセル(1872年~1970年、イギリスの哲学者)
・ドーソン・スコット(1865年~1934年、イギリスの女性作家)
・マージョリー(ドーソン・スコットの娘)
・ミス・マーガレット(21歳の女優)?
・石本恵吉(1887年~1951年、陸軍大臣を務めた石本新六の息子で、三井鉱山勤務。後に社会主義者となる。大同洋行出版経営)
・菊池寛(1888年~1948年、高松出身の小説家・劇作家・ジャーナリスト、文藝春秋社創業)
・船田享二(1898年~1970年、文藝春秋の編集同人。法学者(ローマ法)・教育者・政治家)
・小柳博(文藝春秋の編集同人)
・橋爪健(1900年~1964年、長野県松本出身の詩人)
・伊福部隆輝(1898年~1968年、鳥取県出身。生田長江門下の評論家・詩人)
・大野禧一(1923年3月に発覚した大野博士事件の加害者の帝大卒医学博士)
・舟木芳江(1904年~1968年、令嬢誘拐事件の当事者。東京府立第三高等女学校を卒業)
・舟木錬太郎(舟木芳江の父、旧加賀藩出身の海軍少将。1923年10月20日、67歳で逝去)
・舟木重雄(舟木芳江の長兄で早稲田大学出身の小説家)
・舟木重信(舟木芳江の次兄で小説家・早稲田大学文学部教授)
・小川勝子(舟木芳江の同級生の親友で、政友会領袖小川平吉の四女)
・鮫島医師(舟木家の親戚)
・松谷与二郎(1880年~1937年、舟木錬太郎の従弟で金沢市出身の弁護士・政治家・社会活動家・作家)
・鳥越実士(徳田秋声の友人で法律に詳しい)
・田山花袋(1872年~1932年、小説家)
・有島武郎(1878年~1923年、小説家)
・武川重太郎(1901年~1980年、山梨県生まれの小説家)
・波多野秋子(1894年~1923年、中央公論社の「婦人公論」記者、有島武郎野愛人で心中相手)
・室伏高信(1892年~1970年、神奈川県生まれの評論家・著述家)
・前山清二(俳優)
・原泉(1905年~1989年、島根県松江出身の女優。中野重治の妻)
・陶山密
・千田是也(1904年~1999年、演出家・俳優・デザイナー)
・杉森久英(1912年~1997年、石川県七尾出身の小説家)
・篠原雄(1893年~1967年、石川県出身の生物学者)
・桜井省三(1854年生まれ、石川県出身の造船少将。石本恵吉の母方の親戚で、海防義会の評議員)
・菅忠雄(1899年~1942年、東京出身の編集者・小説家。「文藝春秋」の同人)
・正宗白鳥(1879年~1962年、岡山県出身の小説家・劇作家・文学評論家)
・浅見淵(1899年~1973年、神戸市出身の小説家・文芸評論家)
・那珂孝平(1904年~1989年、菊池寛の家で書生をしていた作家)
・金子準二(島田清次郎の精神鑑定に当たった精神科医)
・箸本太吉(1892年~1961年、金沢市出身、「中外商業新報(現・日本経済新聞)記者、後に石川県選出代議士)
・福田雅太郎(1866年~1932年、長崎県大村市出身の陸軍大将。甘粕事件の事件のと期の関東戒厳司令官)
・和田久太郎(1893年~1928年、福田大将狙撃事件の実行犯。無政府主義者・労働運動家・俳人)
・古田大次郞(1900年~1925年、アナーキスト)
・近藤憲二(1895年~1969年、無政府主義者、堺真柄と再婚)
・下田光造(九州帝国大学精神医学科教授)
・太田千鶴夫(警察医でのちに作家)
・蘆原金次郎(1850年~1937年、明治後半から昭和にかけての皇位僭称者、蘆原将軍、蘆原天皇、という名で知られた巣鴨保養院の入院患者)
・池田隆徳(巣鴨の保養院院長)
・斎藤龍太郎(1896年~1970年、栃木県宇都宮出身の「文藝春秋」編集局長、編集者・小説家・評論家)
・横光利一(1898年~1947年、福島県生まれの小説家・俳人・評論家)
・直木三十五(1891年~1934年、大阪出身の小説家・脚本家・映画監督)
・日向千代(山形県鶴岡市出身。横光利一の再婚相手。小林豊の鶴岡高等女学校の同級生)
・神田豊穂(1884年~1941年、茨城県出身。出版社「春秋社」創業社長)
・大泉黒石(1893年~1957年、長崎県出身の作家、ロシア文学者。父はロシア人)
・丘緑(「自称天才の末路 精神病院に泣く島清君」記事(「東京」1924年12月号)執筆)
・藤原英比古(「狂人となった島田清次郎君を精神病院の一室に訪ふ記」(「主婦の友」1924年12月号)執筆の漫画家)
・西野芳顕(島田清次郎の金沢市在住の1893年2月生まれの従兄)
・東方明(建築士、島田清次郎の親戚?)
・池田義信(1892年~1973年、映画「女性の戯れ」監督)
・三田英児(1899年~1980年、本名・浅利鶴雄、演劇プロデューサー・俳優、浅利慶太の父)
・筑波雪子(1906年~1977年、女優)
・アプトン・シンクレア(1878年~1968年、アメリカの社会主義作家)
・岸洋介(巣鴨の保養院の医師)
・畠山清身(1899年~1968年、北海道石狩町出身、編集者・出版者)
・小林輝(文芸雑誌「悪い仲間」同人)
・都留二三子(1928年から巣鴨の保養院に勤務し、週1回、院長回診の助手として島田清次郎に接した精神科医)
・中橋徳五郎(1861年~1934年、金沢生まれの政治家・実業家・官僚)
・大橋新太郎(1863年~1944年、新潟県長岡出身で出版社博文館を創業した実業家・政治家)
島田清次郎略年譜
1899年(明治32年)
2月26日 石川県石川郡美川町に、父常吉、母みつの長男として生まれる。
1901年(明治34年)2歳
1月30日 父常吉、海難事故により死去。享年29。
1904年(明治37年)5歳
1月 、姑里せ死去。3月、母とともに、金沢の西廓で祖父西野八郎の営む貸座敷「吉米楼」の一室に移る。
1905年(明治38年)6歳
4月、金沢市野町尋常小学校入学。
1911年(明治44年)12歳
3月、野町尋常小学校を首席で卒業。4月、石川県立金沢第二中学校入学、
1912年(明治45年/大正元年)13歳
4月、実業家岩崎一の援助を受け、白金の明治学院普通部2年に編入。
1913年(大正2年)14歳
9月、実業家と衝突して金沢に戻り、県立金沢第二中学校に復学。伯父西野八次の世話を受ける。
1914年(大正3年)15歳
4月、伯父の勧めにより県立金沢商業学校本科1年に転校。秋には弁論大会で学校を批判して停学処分を受ける。親友橋場忠三郎の影響により小説を書き始める。12月、同人誌「潮」に処女作と思われる「若芽」を掲載。
1915年(大正4年)16歳
2月、大日本雄弁会講談社の雑誌「雄弁」に小論文を投稿。佳作として表彰される。3月、成績不良により落第。その後退学となる。4月、冨山房の雑誌「学生」に小品を投稿。一等に入選。再婚した母を頼って上京。職を転々としながら原稿を書く。
1916年(大正5年)17歳
春、母は離縁され母子で金沢に戻る。極貧生活を送る。8月、「萬朝報」懸賞小説に入選。10円の賞金を得る。
1917年(大正6年)18歳
1月~5月、初の長篇小説『死を超ゆる』を執筆。6月、暁烏敏の推薦により、「中外日報」で『死を超ゆる』連載開始(11月に中断)。9月、北國新聞の発送係の職に就く(10月まで)。
1918年(大正7年)19歳
7月、『地上』の執筆を開始する。8月、七尾町の鹿島郡訳書書記補の職に就く。12月、中外日報社員として迎えられ京都に転居。
1919年(大正8年)20歳
2月、中外日報を退職し上京。『地上』の原稿を評論家生田長江の家に持ち込む。『地上』を読んだ生田は感激し、清次郎を新潮社に紹介する。6月、『地上 第一部 地に潜むもの』新潮社から刊行される。堺利彦、生田長江の絶賛をきっかけに大ベストセラーとなる。
1920年(大正9年)21歳
1月、『地上 第二部 地に叛くもの』(新潮社)刊行。1月、インフルエンザにかかり入院。2月、堺利彦の娘真柄に結婚を申し込むが、堺利彦から拒絶される。8月、祖父八郎死去。9月、『早春』(聚英閣)刊行。10月、『大望』(新潮社)刊行。この年、堺利彦・大杉栄らによる日本社会主義同盟に加盟。
1921年(大正10年)22歳
1月、『地上 第三部 静かなる暴風』(新潮社)刊行。鵠沼に転居。6月、戯曲『帝王者』(新潮社)刊行。講演旅行で全国をまわる。
1922年(大正11年)23歳
1月、『地上 第四部 燃ゆる大地』(新潮社)刊行。山形の素封家の娘小林豊と結婚(入籍はせず)。清次郎は妻に対し、殴る、髪を切るなどの虐待を加えたという。1月10日、島田清次郎氏文芸大講演会が神田美土代町の基督教青年会館で開かれる。3月、作品集『勝利を前にして』(改造社)刊行。4月17日、横浜港から大洋丸で「世界認識の外遊」に出発。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアを周遊する。5月5日、太平洋上で外交官夫人に接吻を迫ったという記事が新聞に掲載される。その後、内縁の妻豊は家を出て二度と戻らなかった。8月7日、ロンドンで島田清次郎歓迎晩餐会が開かれる。H・G・ウェルズも出席しスピーチを行う。同月、戯曲集『革命前後』(改造社)刊行。12月1日、神戸港に入港する榛名丸で帰国。
1923年(大正12年)24歳
2月、代々木富ヶ谷に家を建てる。3月、『我れ世に勝てり 改元 第一巻』(新潮社)刊行。4月13日、海軍少将令嬢舟木芳江を誘拐監禁したとの容疑で拘引される。事件は大きなスキャンダルとなり、連日新聞紙上を賑わせる。4月16日、舟木家から、強姦、強盗、誘拐、不法監禁などの罪名で告訴される。4月23日、舟木家側が告訴を取り下げる。しかし、その後出版社からの注文が一切なくなる。9月1日、関東大震災。自宅が倒壊する。その後金沢と東京を往復する生活を送る。
1924年(大正13年)25歳
2月28日、芳江に会うため舟木家を訪れるが門前払いされる。6月29日、北陸線車内で車掌を殴打。7月、徳田秋声、吉野作造、菊池寛、加能作次郎ら知り合いの作家の家を訪ねて宿泊を強要する生活を送る。7月30日、午前2時半、巣鴨の路上を人力車で通行中、不審人物として警察に連行される。精神鑑定の結果、早発性痴呆(統合失調症)と診断され、翌31日、巣鴨の私立精神病院「保養院」に入院。12月、長篇『我れ世に敗れたり』が春秋社から刊行される。
1925年(大正14年)26歳
8月、病状回復のため9月上旬に退院するという記事が新聞に掲載される。8月~9月、徳富蘇峰に宛てて退院を嘆願する手紙を出す。
1926年(大正15年/昭和元年)27歳
7月、清次郎と舟木芳江をモデルにした映画『女性の戯れ』公開
1927年(昭和2年)28歳
この頃から、政治家や検事などに宛てた退院嘆願の葉書を大量に書き始める。
1928年(昭和3年)29歳
3月、雑誌「悪い仲間」に清次郎の詩が発表される。
1929年(昭和4年)30歳
10月、最後の詩「明るいペシミストの唄」が「文芸ビルデング」に掲載される。
1930年(昭和5年)31歳
2月11日、最後の長篇小説『生活と運命 第一巻 母と子』を完成させる。4月、最後のエッセイ『雑筆』を書く。4月29日、午前9時、肺結核により死去。












