- Home
- 北陸地域関連書籍, 「越」関連書籍紹介, 北陸を舞台とする小説
- 北陸を舞台とする小説 第33回 「幻の白鹿王朝 金ヶ崎城」(村田 武 著)
北陸を舞台とする小説 第33回 「幻の白鹿王朝 金ヶ崎城」(村田 武 著)
北陸を舞台とする小説 第33回 「幻の白鹿王朝 金ヶ崎城」(村田 武 著)

「幻の白鹿(はくろく)王朝 金ヶ崎城」(村田 武 著、鳥影社、2006年3月発行)
<著者紹介>村田 武(むらた・たけし)(本書掲載著者紹介より・発行当時)
1937年福井県生まれ。中央大学経済学部卒。三洋電機(株)を経て家業を継ぐ。全国歴史研究会、気比史学会、日本随筆家協会所属。著書『残桜』(文芸社)*他に、『明智光秀』(村田武 著、鳥影社、2010年6月発行)の著書あり
本書は、1336年10月、後醍醐天皇(1288年~1339年)の2人の皇子・恒良親王(1325年~没年不明)と尊良親王(?~1337年3月6日)を奉じて新田義貞(1301年~1338年)が比叡山を下りて越前下向する時から、翌1337年3月6日に、越前金ヶ崎が落城するまでの約半年の期間を主に、両親王と新田義貞軍を越前国金ヶ崎城(現・福井県敦賀市)に迎え受け入れ、共に足利方の大軍と戦うことに巻き込まれた越前国気比社側から描いた歴史時代小説。建武3(1336)年5月25日の摂津国湊川(現・神戸市)の戦いに勝利した足利尊氏(1305年~1358年)は、敗走する新田義貞を追って、5月29日には足利方が京都を占領し、6月14日には足利尊氏が再入京を果たすが、楠木正成(?~1336年)戦死の報を知った後醍醐天皇は、足利尊氏の再入京以前の5月27日には、新田義貞らと共に既に京から比叡山に脱出し、再び京をめぐり足利方と激戦を展開する。足利尊氏側の圧倒的な攻勢の前に勝利の見込みを失った後醍醐天皇は、足利尊氏の和睦の提案を受け入れ、1336年10月10日、比叡山を下山して入京する。後醍醐天皇を支持し比叡山に拠った勢力は、徹底抗戦派と和平派に分裂分解となり、徹底抗戦派で後醍醐天皇の入京に最後まで反対していた後醍醐天皇側の中核軍の大将である新田義貞は、恒良親王と尊良親王を奉じて越前に下っていく。
「太平記」には、後醍醐天皇が比叡山を下山する直前、皇子である恒良親王に三種の神器を譲って受禅の儀が行われ譲位した、と語られ、恒良親王が即位して新天皇になったことが書かれるが、歴史上としては、恒良親王が自身を新帝と認識し綸旨の形式の文書を発給していたということが確認できるだけで、正史では、恒良新天皇は認められていない。本書では、本書タイトルに「幻の白鹿王朝」とあるように、比叡山で受禅の儀が行われ、恒良親王が即位し新天皇となり、越前金ヶ崎城で、「白鹿(はくろく)」の年号を称した、束の間の北陸朝廷が誕生したとする立場で、正史から消された幻の北陸朝廷(王朝)の歴史を照らし出している。尚、「太平記」では、後醍醐天皇の講和受け入れと新田義貞の越前下向のいきさつについては、新田義貞に図らずに新田義貞と一族を見捨てるような後醍醐天皇の足利方からの和睦受入に、一番驚いたのが新田義貞で、新田一族の堀口貞満(?~1338年)が涙ながらに後醍醐天皇に抗議し新田義貞の思いを代弁したため、後醍醐天皇はこれに感じて皇太子恒良親王に皇位を譲位し、新帝恒良を新田義貞に託して越前に託して越前に下らせ反攻の時を待つことになったと記されている。これに対し、本書では、この太平記に有名な一節の引用は無く、東坂本に陣を引く新田義貞が、「このままでは飢えのために後醍醐天皇を守って戦はできぬところまできていて、この局面を打開するには後醍醐天皇に京へお戻りいただいて比叡山の軍を引き払うしかなく」と考えていたと語り、後醍醐天皇の命で、敦賀の気比神宮の大宮司気比弥三郎氏治を頼り、詳しくは蔵人大夫河島維頼に相談せよ、と仰せられたとして、河島維頼を呼び寄せて相談をする場面が描かれている。
本書は、1336年10月、新田義貞が恒良親王と尊良親王を奉じてが比叡山を下りて越前下向する時から、翌1337年3月6日に、越前金ヶ崎が落城するまでの約半年の期間が主たる物語ながら、本書の構成は、5章から成り、1336年10月から1337年3月までの期間は、本書の後半部の第4章と第5章にあたる。第1章の書き出しの時代は1324年(正中元年)。太平記の世界の話なので、正中の変の話から始まるのかと思いきや、正中元年(1324年)11月21日深夜、越前国敦賀津地方は大きな地震に見舞われた話。気比社や敦賀の街の被害も甚大で、気比社領は朝廷の大覚寺統に伝領された八条院領と密接な関係にあり、後醍醐天皇の綸旨で気比社の再建を命じた話が紹介され、気比社は一宮でもあり皇室の管理下でもあり、本書の物語の主人公たる気比社と、この時代の歴史を大きく動かした後醍醐天皇との繋がりからの書き出しとなっている。この敦賀の地震の事は「気比宮社記」にも記されている話。続いて気比社の再建工事完了の元弘元年(1331年)8月に時代が飛び、後醍醐天皇が京都から脱出して笠置山(現・京都府笠置町)に籠もる話題となるが、あくまで物語の主たる舞台は、越前国敦賀津。気比社の大宮司気比弥三郎氏治はじめ、気比社の宮司家の当主たち(河端3家・石塚・石倉・平松・島・宮内)や気比社の若者たちなど、気比社の人たちが登場するが、気比社の人たちの中でも、本書の主人公中の主人公は、気比社の大宮司気比弥三郎氏治の嫡男・太郎斉晴(なりはる)だろう。
気比氏治・斉晴はじめとした気比社の人たちと並ぶ、本書物語での主人公級は、杣山城(現・福井県南越前町杣山)の城主で瓜生一族の当主・瓜生保(たもつ)と、瓜生照(てらす)・瓜生重(しげし)・義鑑(ぎかん、鯖波の瓜生寺の僧)の瓜生保の兄弟たち。瓜生一族は、嵯峨19代の孫、源種が承久の乱で官軍に属して宇治の戦いに敗れ、越後三島郡瓜生村に逃れ瓜生氏を名乗り、3代目の衡(はかり)が一族を率いて杣山に来て城を築いたという勤皇の志篤く、瓜生衡の妹が気比氏治の母にあたるという気比家と姻戚関係。更に、本書物語で、重要な役割を果たしているのが、今立(現・福井県鯖江市川島町)の豪族・河島維頼(これより)。「太平記」にその名前が登場するが、本書では、後醍醐天皇の傍近くにお仕えしていて、後醍醐天皇の信頼も篤く、都の事情にも詳しい人物として描かれ、後醍醐天皇が隠岐へ配流になった後、本書の第1章で、杣山城の瓜生保に連れられ敦賀の気比氏治を訪れ紹介される形で登場する。本書の物語は、主として、越前国敦賀や杣山が舞台となるが、後醍醐天皇の動向や鎌倉幕府滅亡、建武の新政、足利・新田の戦いなど、都をはじめとする全国の様子を語りで紹介する役は、本書では河島維頼に主に担わせている。本書では父親が今立城の在所にいて、維頼自身は、主上の近くで仕えていると語っているが、新田義貞の越前下向に先だっての越前敦賀津での足利方の敵を防ぐ場所の準備を気比氏治に伝え依頼する事以外にも、吉野の後醍醐天皇に敦賀の金ヶ崎に運び込んだ三種の神器を届ける役まで担わせている。三種の神器については、『太平記』では後醍醐天皇が北朝方に渡した偽の三種の神器の事が記されているが、そもそも、後醍醐天皇が恒良皇太子に譲位したときに渡した神器は本物だったかどうかの疑問が生じ、その点についても、本書の物語の終盤に触れられている。
本書の第2章では、1333年5月の鎌倉幕府の滅亡から、建武の新政、中先代の乱、足利尊氏の謀反、建武の新政の崩壊と、めまぐるしく政局が激変する中、第2章の終盤では、「不吉な予感」と題した節で、1336年5月27日に比叡山に臨幸した後醍醐天皇方の二条帥大納言師基(1301年~1365年)が、比叡山を攻撃する足利勢に対抗するために、加賀、越前の武将たちの助けを得て、七里半越から西琵琶湖沿いに進み東坂本の新田軍の陣に着き、天皇方の京都攻撃に参加する前に、越前敦賀津の気比社に立ち寄る場面がある。二条師基は、千四、五百騎の軍勢を率いていたが、瓜生保の他に、天皇方に与する敷地伊豆守(加賀大聖寺の敷地城の領主)、山岸新左衛門(越前坂北郡山岸城の領主)、上木平九郎家光(加賀の武将)、深町兵庫(越前坂北郡後山城)、河島維頼等、越前・加賀の武将たちが同行。尚、この1337年中頃から、敦賀津の西方、若狭地方では天皇方と足利軍の戦いが激しさを加えていて、足利尊氏は越前守護斯波高経の弟・斯波時家(家兼)を大将軍として若狭の制圧に乗り出し、近江から若狭に侵攻し、天皇方との若狭地方での攻防戦の様子も取りあげられている。敷地・山岸・上木・深町の越前・加賀の武将たちは、本書でも何度も登場するが、1335年の中先代の乱の時も北陸で活躍している。北条高時の第2子・北条時行が1335年7月、諏訪で挙兵し、足利方の鎌倉を占拠するが、この挙兵に合わせ、北陸では北条一族の名越時兼も兵を挙げ1万の軍勢で北陸道を攻め上るが、越前守護・足利尾張守高経(斯波高経)が、瓜生保、深町兵庫、上木平九郎、山岸新左衛門、敷地伊豆守の協力を得て、大聖寺で名越時兼を討ち取っている。
本書物語のクライマックスは、やはり、1336年10月の新田義貞の越前下向から、金ヶ崎城の攻防、1337年3月6日の金ヶ崎城の落城のシーンで、本書物語の第4章と第5章で、猛吹雪の中の敦賀への道中や、越前敦賀の金ケ崎入り、脇屋義助・新田義顕の援軍依頼の為の杣山行きや、杣山での瓜生一族、燧ヶ城を居城とする今庄淨慶と新田四天王の1人である由良光氏とのシーン、深山寺(現・福井県敦賀市深山寺)の奇計による16騎の帰城など、本書の第4章でも「太平記」でも有名なシーンが続く。1337年正月、足利尊氏は、高越後守師泰を総大将とする大軍を越前に向かわせる出陣命令を発し、足利軍による総攻撃ヶ始まり、杣山からの援軍に救いを求めながらの孤城となる金ヶ崎城の悲惨な兵糧攻めに遭う籠城の窮状ぶりが痛ましいが、金ヶ崎城救援に向かう瓜生保の軍が、樫曲(現・福井県敦賀市樫曲)で今川駿河守頼貞率いる足利の軍勢の迎撃を受け、瓜生保や義鑑の瓜生兄弟はじめ瓜生軍の大半が討ち死となった後は、いよいよ金ヶ崎城の最期が近づき、悲壮な最後の戦いと落城のシーンが、第5章で描かれる。ただ、本書の第3章は、合戦のシーンはまだ無い敦賀が舞台となるが、天筒山・金ヶ崎の地形を活かした山城づくりの設計や準備の話は、非常に興味深い。
瓜生保や義鑑、里見時成は、1337年2月に、樫曲(現・福井県敦賀市樫曲)で先に戦死したが、1337年3月6日の金ヶ崎城の落城の際、気比氏治、尊良親王、新田義顕、藤原行房は自害。由良具滋、長浜顕寛、武田与一などは戦死。建武中興15社の一社で、恒良親王・尊良親王を主祭神として祀る金崎宮(福井県敦賀市金ヶ崎町)の摂社・絹掛神社に、樫曲と金ヶ崎城で亡くなったこれらの人が祀られている。本書の主人公の中の主人公たる気比太郎斉晴は、「太平記」でも活躍し、金ヶ崎城落城寸前に、恒良親王を蕪木浦(現・福井県南越前町甲楽城と一般には推定)に小舟で逃し、そのまま金ヶ崎城に戻り自害とされ、絹掛神社にも祀られているが、本書では、金ヶ崎城落城寸前に、恒良親王を蕪木浦(現・福井県南越前町甲楽城と一般には推定)に小舟で逃したものの、金ヶ崎城落城後に金ヶ崎に戻り、自害をしないという、一般に伝わる話とは異なる設定で最後の場面を描いている点も、歴史時代小説としての本書の特色の一つ。気比氏治の気比一族や、瓜生保の瓜生一族のように、厳しい戦いが予想され、ある意味、巻き込まれた戦いであり、新田義貞軍に与するからではなく、後醍醐天皇や恒良新天皇・尊良親王への勤皇の大義のもとに、壮絶な戦いを受け入れた人々の姿が、やはり印象深いが、金ヶ崎で自害することとなる尊良親王が元弘の乱(1331年)で翌年3月に土佐国への配流の話や、「太平記」で有名な尊良親王妃の御匣殿や秦武文が登場する伝承の話も、本書の第1章に取りあげ、土佐国へ配流となる以前に、尊良親王が越前に下向し、気比社で数日滞在し、気比太郎斉晴と仲良くなっていたという設定にも、著者なりの特別な思いがあることと思える。
1336年10月の越前下向では、恒良新天皇、一宮尊良親王に供奉する公卿は、洞院左衛門督実世(さねよ)、三条侍従泰季(やすすえ)、御子左少将為次(ためつぐ)、頭太夫行房(ゆきふさ)、子息行実(ゆきざね)、武士では、新田義貞、子息義顕(よしあき)、脇屋右衛門佐義助(よしすけ)、子息義治(よしはる)、堀口美濃守貞満(さだみつ)、一井兵部大輔義持(よしもち)、額田左馬助為綱(ためつな)、里見大膳亮義益(よしまつ)、大江田式部大夫義政(よしまさ)、鳥山修理亮義俊(よしとし)、桃井駿河守義繁(よししげ)、山名兵庫助直家(なおいえ)、千葉介貞胤(さだたね)、宇都宮美濃守、備中守通綱(みちつな)、土岐出羽守頼直(よりなお)などが付き従っていると、本書でも記載されているが、京の公家や、四国や関東の武将たちの越前下向のそれぞれのその後の運命も興味深い。また、本書では、気比一族や瓜生一族、河島維頼ら、越前の宮司や武将が中心に描かれ、新田方の武将たちの活躍ぶりは取り上げられいるものの、新田義貞、脇屋義助、新田義顕、脇屋義治など、新田一族の視点からは描かれていない。また、本書では、越前の武将として、足利方の越前守護・斯波高経の家臣として、織田信長の先祖といわれる越前織田帯刀左衛門や、後年、越前守護となった朝倉一族の初代・朝倉広景が金ヶ崎城の攻防で登場している。
目次
1章 越前一の宮
越前一の宮/ 隠岐の波/ 一宮御息所/ 古宮の祠
2章 新政の崩壊
同族の確執/ 建武の新政/ 時に人なし/ 不吉な予感
3章 招かざる風
天筒山/ 要害の城/ 哀しき使者/ 杣山城の友
4章 北陸朝廷
吹雪の臨幸/ 武士の心情/ 16騎の帰城/ 北陸朝廷
5章 落花の城
三種の神器/ 情けの道/ 天筒山の戦い/ 落花の城系図
あとがき
主要参考文献
<主なストーリー展開時代>
・1324年、1331年~1337年
<主なストーリー展開場所>・
・越前国(敦賀津) ・京都 ・摂津福島 ・阿波(鳴門・池田・古宮岳)・土佐(岩原) ・加賀大聖寺
<主な登場人物>
・気比弥三郎氏治(気比社大宮司)
・気比太郎斉晴(気比氏治の嫡男)
・瓜生保(越前国杣山城主)
・河島左近蔵人維頼(今立城)
・尊良親王(?~1337年)(たかよし)(後醍醐天皇第一皇子)
・敷地伊豆守(加賀大聖寺の敷地城の領主)
・山岸新左衛門(越前坂北郡山岸城の領主)
・上木平九郎家光(加賀の武将)
・深町兵庫(越前坂北郡後山城)
・弾正左衛門照(瓜生保の弟、妙法寺城主)
・兵庫助重(瓜生保の弟、四郎九城主)
・義鑑(瓜生保の弟、鯖波の瓜生寺の僧)
・林次郞入道源琳(瓜生保兄弟の伯父)
・幸乃(太郎と言い交わした間柄)
・石塚資永(気比社宮司家の当主で幸乃・三郎の父)
・石塚三郎資正(気比社宮司家で幸乃の弟)
・河端兼代(気比社宮司家の当主)
・島時直(気比社宮司家の当主)
・忠宗
・河端忠久(気比社宮司家の当主)
・忠経(気比社宮司家の当主)
・河端四郎忠治(気比社宮司家の若者)
・河端太郎忠直(気比社宮司家の若者)
・島次郞時久(気比社宮司家の若者)
・石倉五郎忠一(気比社宮司家の若者)
・河端六郎兼重(気比社宮司家の若者)
・新田義貞(1301年~1338年)
・恒良親王(1325年~没年不明)
・脇屋右衛門佐義助(1305年~1342年)
・新田越後守義顕(1318年?~1337年)
・新田義治(脇屋義助の弟)
・堀口貞満(1297年~1338年、越前守護・堀口貞義の子)
・朝倉広景(1254年~1352年、越前朝倉氏初代当主)
・朝倉正景(高景)(1314年~1372年、越前朝倉氏第2代当主)
・由良光氏(新田四天王の1人)
・今庄淨慶(燧ヶ城ヶ居城。今庄久経の子)
・阿久定行(瓜生保の腹心の武将)
・二条帥大納言師基(1301年~1365年)
・斯波高経(1305年~1367年、越前の守護)
・疋壇景継
・武田五郎
・粟生左衛門顕友(新田四天王の1人)
・畑六郎左衛門
・船田伊賀守義昌
・由良新左衛門具滋(?~1337年、新田四天王の1人)
・里見伊賀守時成(?~1337年)
・一井兵部大輔義持
・長浜六郎左衛門顕寛
・篠塚重広
・宇都宮美濃将監
・天野民部大輔
・増沢甲斐守(越前守護斯波高経の重臣)
・織田帯刀左衛門常勝(織田神社の祠官、越前守護斯波高経の重臣)
・高越後守師泰(?~1351年、足利方の金ケ崎城攻めの総大将)
・仁木伊賀守頼章
・今川駿河守頼貞
・荒川三河守
・細川源蔵人
・小笠原信濃守
・佐々木(塩冶)高貞(出雲、?~1341年)
・名張新左衛門(伊勢の人)
・山口入道(高師泰の執事)
・一宮尊良親王の御息所(親王妃)(今出川右大臣公顕の娘。唐歌姫)
・秦武文(はたの・たけふん、一宮尊良親王に供奉する公家の若者)
・得能通綱(?~1337年3月6日)(伊予の河野氏の一族、金ヶ崎城で戦死)
・土居通増(?~1336年10月11日)(伊予の河野氏の傍流。越前愛乳(愛発:現・敦賀市)で戦死)
・千葉介貞胤(1292年~1351年)
・河野屋(敦賀津の商人。塩、海産物を深坂峠越えで塩津に運び、琵琶湖の船便を利用して大津から京へ入れていた)
・若狭屋(京都の宿の50年配の亭主)
・松浦五郎(摂津福島での山賊集団の大将)
・摂津福島での山賊集団の中の若者<名前が登場する主な関係人物>
後醍醐天皇(1288年~1339年)/ 大塔宮護良親王(1308年~1335年)/ 楠木正成(1294年?~1336年)/ 足助重範(1292年~1332年)/ 宗良親王(1311年~1385年)/ 世良親王(?~1330年)/ 新田佐馬権守貞義(堀口貞義)/ 佐々木富士名三郎(富士名雅清)(1296年~1336年)/ 名和長年(?~1336年)/ 菊池武時(1292年~1333年)/結城親光(?~1336年)/ 千種忠顕(?~1336年)/ 阿野廉子(1301年~1359年)/ 蔵人高倉光守/ 洞院実世(1308年~1358年)/ 九条光経/ 万里小路藤房(1296年~?)/北畠顕家(1318年~1338年)/ 義良親王(後の後村上天皇、1328年~1368年)/ 北条時行(1329頃~1353年)/名越時兼(?~1335年)/ 菊池武敏(?~1357年)/新田義宗(1331年?~13368年、新田義貞の3男)/勾当内侍/ 若狭又太郎(若狭の国司代)/ 式部太郎(若狭の守護代)/北畠親房(1293年~1354年)/四条隆資(1292年~1352年)/興良親王(1327年~没年不詳、護良親王の王子)/阿曽宮懐良親王(1329年?~1381年頃)量仁親王(光厳天皇)(1313年~1364年)/ 北条英時(?~1333年)/ 足利高氏(尊氏)(1305年~1358年)/ 足利直義(1307年~1352年)/ 千寿王(足利義詮)(1330年~1367年)/ 海老名季行/ 小笠原宗長/ 島津貞久/ 平賀兼宗/ 隅田忠長/ 狩野頼広/水谷重親/ 藤原兼員/ 細川和氏(1296年~1342年)/ 高師直(?~1351年)/ / 北条高時(1304年~1333年)/ 長崎高資(?~1333年)/ 上杉憲房(?~1336年)/ 三浦高継(?~1339年)/ 斯波義長/大友左近将監貞戴(?~1336年)/ 佐々木塩冶判官高貞(?~1341年)/ 佐々木道誉(1296年?~1373年)/斯波時家(家兼)(1308年~1356年、若狭の守護、斯波高経の異母弟)/ 富樫高家(加賀の守護)/ 井上俊清(生没年不詳、越中の守護)/佐々木出羽三郎左衛門尉/ 横江六郎/ 八田三位房/大音左衛門三郎/ 光明天皇(1322年~1380年)/ 得江九郎頼員(能登の武士)/赤松則村(円心)(1277年~1350年)/大友貞宗(?~1333年)/ 少弐貞経(1272年~1336年)











