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北陸関連の図録・資料文献・報告書 第9回 「福井の戦国歴史秘話 福井の戦国をひも解く」(福井県博物館連携推進実行委員会 発行)
- 2024/9/25
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- 京極高次, 朝倉孝景, 高徳院(朝倉義景母), 金森長近, 朝倉氏景, 武田信栄, 大谷吉継, 朝倉貞景, 一色義貫, 佐久間玄蕃盛政, 朝倉孝景(4代), 粟屋勝久, 朝倉義景, 前田利家・不破光治・佐々成政の府中三人衆, 元亀争乱, 如祐, 明智光秀, 結城秀康, 朝倉宗滴, 西光寺(鯖江市), 武田元明, 松平忠直, 真柄十郎左衛門, 桃井直詮, 逸見昌経, 本多富正, 鳥居景近, 幸若舞, 富田長繁, 多賀谷左近三経, 金津溝江氏, お市, 丹羽長秀, 小少将, 初(常高院), 柴田勝家, 愛王丸
北陸関連の図録・資料文献・報告書 第9回 「福井の戦国歴史秘話 福井の戦国をひも解く」(福井県博物館連携推進実行委員会 発行)
「福井の戦国歴史秘話 福井の戦国をひも解く」(発行:福井県博物館連携推進実行委員会、2020年3月発行)
「福井の戦国歴史秘話」
全ページデータと、ページ別データがPDFで全て、福井県の公式サイトで全文掲載。
本書「福井の戦国歴史秘話 福井の戦国をひも解く」は、朝倉五代、柴田勝家、お市、結城秀康など、戦国期に活躍した福井の先人や出来事などにまつわるエピソードを全47話に分けて紹介。1号から26号までの計26話は【越前朝倉氏や若狭武田氏らが活躍した時代】とあり、福井県の戦国時代と言えば、まずは越前の朝倉氏と若狭の武田氏それぞれによる戦国大名の領国支配が根幹。その後は、27号から41号までの計15話は、【柴田勝家やお市らが活躍した時代】とあるが、越前・若狭の織豊期の時代。そして最後は、42号から47号までの計6話は、【結城秀康や京極高次らが活躍した時代】として、福井藩・小浜藩という江戸期の藩制の成立時代と、大きな時代の流れは、この3つに分けられる。各話のフォーマットは統一された形式で非常に読みやすく、また、発行者は、福井県博物館連携推進実行委員会(福井県交流文化部が協力し、福井県観光営業部ブランド営業課が発行)とあるが、47話の選定も、福井県内の各地域をできるだけ網羅するような内容になっているのも特徴。
やはり、福井の戦国歴史と言えば、まずは、一乗谷の越前朝倉家が一番代表的で、本書全47号の最初を飾るのは、やはり、朝倉氏103年の越前支配の礎を築いた朝倉孝景(1428年~1481年)。1428年、越前の守護・斯波氏の家臣である朝倉家景の子として生まれ、戦国時代への転換点となった応仁の乱で、最も恐れられ、これを機に戦国大名として名をあげた朝倉孝景は、1471年より、越前の実効支配による領国化を進めるべく越前平定戦を進め、1475年に越前国の平定を成し遂げる。朝倉孝景(初代)が越前一国に朝倉氏支配の基礎を築き、その支配を強固なものにしていったのが、第2話で紹介される2代・氏景、3代・貞景、4代・孝景。元亀争乱で織田信長を苦しめるも一乗谷滅亡に至った朝倉5代の最後の当主(越前朝倉家第11代)・朝倉義景(1533年~1573年)は第3話で取り上げ、冒頭の3話が朝倉5代歴代当主に関する話。朝倉歴代当主ではないが、初代朝倉孝景の末子として生まれ朝倉一族の重臣として歴代当主を補佐し朝倉氏の隆盛を支えた名将・朝倉宗滴(1477年~1555年)の活躍や養鷹についての話が、第4話・第5話。
朝倉歴代当主や朝倉一族以外についての戦国朝倉時代の話が、第6話から第14話で紹介。第6話の真柄十郎左衛門(1536年~1570年)や第8話の鳥居景近(?~1573年)、第10話の金津地域の溝江氏など、朝倉家を支えた有力家臣は比較的知られているが、第7話の大安寺又四郎は、最新発見された朝倉義景感状が贈られた人物で、これまでよく知られていなかった武将も取り上げられている。朝倉家家臣ながら1572年に織田方に寝返り朝倉家滅亡後、短期間ながら乱世の越前の支配者となった富田長繁(1551年~1574年)は「越前の狂犬」とも呼ばれた異彩を放った武将は第9話。戦国歴史秘話らしい話は、第11話の朝倉義景側室の小少将(?~1573年?)の最期で、朝倉義景自害後、果たして、朝倉義景との間の子・愛王丸と高徳院(朝倉義景母)と共に南条の地あたりで織田信長の命を受けた丹羽長秀の手により殺害されたのか、小少将は殺害されずに落ち延びたという伝承もあり、悲劇的な話ではあるが、気になるところ。12話から14話では、一乗谷城周辺の多数の支城のことや、庭園文化、朝倉氏と京都の清水寺との関係と、戦国朝倉期の人物以外の話もテーマになっている。
全47話のうち、第15話から第19話までの5話も、戦国時代の越前・若狭の中で、明智光秀が取り上げられているのには、違和感は正直感じるが、これも本書の発行が2020年3月で、俳優の長谷川博己主演の明智光秀を主人公とするNHK大河ドラマ第59作「麒麟がくる」が、ちょうど、2020年1月から2021年2月まで放送されていたことと大いに関係はあるはず。越前ゆかりの戦国武将として明智光秀を大きく取り上げ、朝倉家の越前との関わりの話だけでなく、第19話では、若狭と近江の国境・熊川と明智光秀との関係にも触れている。
安芸分郡守護武田信栄(1413年~1440年)は、永享12年(1440)年に6代将軍足利義教の命を受け一色義貫を謀殺、これにより一色義貫の所領若狭国を拝領して若狭守護職となり、ここに若狭武田氏が成立。若狭守護職は初代信栄から8代・元明まで続き、福井の戦国大名の両国支配は、越前の朝倉と若狭の武田が並び立つが、若狭武田氏8代についての話が、第20話の1話だけというのは、バランス的に少なすぎる気はする。若狭武田氏滅亡となった最後の当主・武田元明の最期は悲惨。若狭武田氏時代については、若狭武田氏歴代当主についての話の第20話に続いて、第21話では、福井県美浜町佐柿にあった山城の国吉籠城戦と、若狭武田氏の重臣で国吉城城主の粟屋勝久(?~1585年)の活躍を紹介。第22話では、若狭武田氏の4奉行の1人で、粟屋氏が若狭国の越前国との境を守る役割と同じように、若狭国の丹後国との境を守る役割を果たし現在の福井県高浜町の礎を築いた逸見昌経(1522年~1581年)を紹介。
戦国大名当主・一族や家臣・有力武将の話が中心のテーマだったこととは異なり、第23話から第26話までの4話は、紹介されているテーマ・題材の傾向が異なり、また関わる地域も、福井県内各地に散らばっている。第23話は、福井県鯖江市杉本町にある蓮如の父・存如が創建した西光寺の寺宝の肖像画の話で、蓮如の妹・如祐が描かれていると言われ、第24話は、織田信長や豊臣秀吉などの戦国大名に愛された伝統芸能の幸若舞の歴史を取り上げているが、幸若舞を室町時代に興した桃井直詮の一族が、現在の福井県越前町西田中周辺に住居を構え活動したことから、越前町が幸若舞発祥の地とされている。第25話は、福井県坂井市三国町の奇勝地・東尋坊と、白山信仰の拠点の平泉寺(福井県勝山市)との繋がりについて。第26話は、中世日本の海運の要であった三国湊(福井県坂井市三国町)と敦賀湊(福井県敦賀市)の話。
越前の朝倉、若狭の武田の時代の後の織豊期に入っても、柴田勝家やお市といった有名な歴史人物が福井と大変ゆかりが深いこともあって、年代時期は短いものの、本書でも、第27話から第41話までと、15話も占めている。織田信長配下の重臣として北庄城を築き越前を治めた柴田勝家とお市の方、更に北庄城落城に関わる悲劇などは第27話から第32話までに収められているが、中でも第31話のお市の方の生存説は興味深い。北庄城落城時に自害せず、三国に落ち延び、その先は旧浅井家家臣の手により近江、更には伊賀に落ち延びたという説。第33話は、浅井三姉妹の次女の初(常高院)は、越前北庄城にも幼き日に住んだものの、後に若狭小浜藩初代藩主となる京極高次に輿入れし、若狭小浜とは大変深い関係となる。
第35話では、越前大野城を築き現在の大野市街地の下となる城下町を整備した金森長近(1524年~1608年)、第36話では、豊臣秀吉に仕えた戦国武将で越前敦賀城主の大谷吉継(1565年~1600年)、第37話では、織田氏の宿老の丹羽長秀(1535年~1585年)。賤ヶ岳の戦後、越前を治め越前北の庄で死去しているが、朝倉氏滅亡し、若狭武田氏が没落する1573年から若狭を支配し、若狭との関係が大変深い武将。他にも、1576年に柴田勝豊により築城された丸岡城(福井県坂井市丸岡町)、織田信長による1575年の越前の一向一揆制圧と、前田利家・不破光治・佐々成政の府中三人衆(福井県越前市)など、織豊期に越前・若狭の各地を治めた武将たちに関係する話がいろいろと紹介されているが、第41話の賤ケ岳の戦いでの柴田勝家の本陣となった玄蕃尾城(福井県敦賀市)の話は特に注目すべきで、その城の名前の由来となった柴田勝家配下の武将・佐久間玄蕃盛政も非常に魅力的な武将。
そして最後の42号から47号までの計6話が、福井藩・小浜藩という江戸期の藩制の成立時代での話で、まずは、第42話は、徳川家康の次男で福井藩祖の結城秀康(1574年~1607年)、第43話は、結城秀康の長男で二代目福井藩主の松平忠直(1595年~1650年)を順当に紹介。第44話では、徳川家康の三河時代を支えた家臣の一人の、鬼作左の異名を持つ本多重次と福井の関係として、結城秀康との関係や、息子の本多成重が丸岡藩初代藩主(福井県坂井市丸岡町)という関係が挙げられている。第45話は、徳川家康の信頼篤く結城秀康に仕えた重臣で越前府中領主(福井県越前市旧武生)の本多富正(1572年~1649年)。第46話では、結城秀康に信頼され加賀藩の抑えとなった多賀谷左近三経が取り上げられ、多賀谷左近三経の墓は、現在の福井県あわら市柿原に残る。最終の第47話は、若狭国小浜藩の初代藩主の京極高次(1563年~1609年)の話で閉めている。尚、京極高次の子で家督を継いだ京極忠高は、1634年に松江藩に移封され、その後の小浜藩は酒井忠勝が転封され、明治初期の廃藩置県まで酒井家の小浜藩が存続する。
INDEX
1. 朝倉氏103年の越前支配の礎を築いた朝倉孝景
2. 軍事力と財力で越前支配を強固にした朝倉氏景・貞景・孝景
3. 信長を追い込んだ朝倉義景と元亀争乱
4. 越前朝倉氏の隆盛を支えた名将、朝倉宗滴
5. 朝倉宗滴、他に類をみない養鷹法に成功する
6. 実戦で大太刀を振るった勇将、真柄十郎左衛門
7. 朝倉義景が厚礼を尽くした感状を得た男、大安寺又四郎
8. 朝倉義景時代の外交官、鳥居景近
9. 朝倉・信長・一向一揆を敵に回し、乱世に散った富田長繁
10. 朝倉氏に仕え金津を百年治めた溝江氏
11. 一乗谷に舞い降りた”越前の楊貴妃”小少将
12. 地形だけでなく支城や防御施設で守られていた一乗谷
13. 朝倉氏と京都の古刹との意外な関係
14. ステータスシンボル、庭園が教えてくれる朝倉氏の風情
15. 知将、明智光秀の再起の地への思い
16. 越前の称念寺門前で再起を図った明智光秀
17. 明智光秀の活躍は越前から始まった
18. 足利義昭と明智光秀のゆかりの地、御所・安養寺跡
19. 若狭と近江の国境・熊川と明智光秀の関係
20. 中世の若狭を治めた守護職武田氏の盛衰
21. ”難攻不落”の若狭国吉城と「国吉籠城戦」の真実
22. 高浜繁栄の道を拓いた逸見昌経
23. 浄土真宗の古刹に眠る女性の肖像画の謎
24. 戦国大名が愛した幸若舞~越前生まれの日本を代表する芸能~
25. 北陸の奇勝、東尋坊と平泉寺のつながり
26. 中世日本の海運の要、越前の湊
27. 柴田勝家の亡霊は、北庄創成の神
28. 治政に長けた智将でもあった猛将・柴田勝家
29. 越前支配の拠点・北庄城と半石半木の奇話・九十九橋
30. 北庄城の落城 柴田勝家らにまつわる数々の悲劇
31. 生存説が残る絶世の美女、お市
32. 天下分け目の清洲会議 ~お市の内に秘めた決意~
33. 細やかな心遣いと思いやりを持つ、優しき女性「初」
34. 福井半を襲ったお市の祟り!? ~呪われた松平忠直と光道~
35. 越前大野城を築いた金森長近と「亀山」の由来
36. 敦賀城主、大谷吉継が見た敦賀湊の繁栄
37. 「米五郎左」若狭の戦国に幕を下ろす
38. 暦の全国統一もついえた本能寺の変 ~織田信長と明智光秀と土御門家~
39. 北陸唯一の現存天守 丸岡城の当時の姿とは
40. 悲惨な一揆弾圧を伝える瓦 ~小丸城跡出土の文字丸瓦と府中三人衆~
41. 賤ヶ岳の戦いで勝家が本陣を置いた幻の玄蕃尾城
42. 不屈の精神で最後には認められた結城秀康
43. 松平忠直は本当に「暴君」だったのか
44. 徳川家康を支えた鬼の作左衛門と福井の関わり
45. 徳川家康が信頼した「万端の用人」、本多富正
46. 結城秀康に信頼され加賀藩の抑えとなった多賀谷左近三経
47. 京極高次、「鯖街道」起点の礎を築く
福井の戦国年表
朝倉孝景:応永35(1428)年~文明13(1481)年
朝倉氏景:文安6(1499)年~文明18(1486)年
朝倉貞景:文明5(1473)年~永正9(1512)年
朝倉孝景:明応2(1493)年~天文17(1548)年
朝倉義景:天文2(1533)年~天正元(1573)年
・宝徳3(1451)年、朝倉孝景(たかかげ)、家督を継ぐ
・応仁元(1467)年、応仁の乱で西軍として活躍
・文明3(1471)年、東軍に寝返る。河俣の合戦を皮切りに越前統一を目指す
・文明13(1481)年、氏景(うじかげ)、家督を継ぐ
・文明18(1486)年、貞景(さだかげ)、家督を継ぐ
・永正3(1506)年、九頭竜川の戦いで加賀の一向一揆を撃退
・永正9(1512)年、孝景(たかかげ)、家督を継ぐ
・天文2(1533)年、義景(よしかげ)、生まれる
・天文17(1548)年、義景、家督を継ぐ
・天文24(1555)年、朝倉宗滴、死去
・永禄6(1563)年、国吉城籠城戦が始まる
・永禄11(1568)年、足利義昭、朝倉館御成。織田信長、上洛
・元亀元(1570)年、姉川の合戦
・天正元(1573)年、刃根坂の合戦で大敗。大野で義景自害
柴田勝家:大永2(1522)年~天正11(1583)年
・天正3(1575)年、柴田勝家、信長より越前北庄を与えられる
・天正11(1583)年、賤ヶ岳の戦いで敗走。北庄城でお市とともに自害
結城秀康:天正2(1574)年~慶長12(1607)年
・慶長6(1601)年、結城秀康、越前68万石を与えられ福井藩主となる
・慶長12(1607)年、秀康、病没。松平忠直が家督を継ぐ
関連史料・ゆかりの地
1. 英林塚(福井市城戸ノ内町):朝倉孝景の墓
2. 城下町への出入り口、「下城戸」と「安波賀(あばか)」(福井市安波賀町)
3. 朝倉義景墓所(大野市泉町10)
4. 西山光照寺跡(福井市安波賀町):一乗谷で最大規模を誇った寺院
5. 朝倉宗滴邸のあった「金吾谷」(福井市安波賀町)
6. 千代鶴神社(越前市京町2-4):千代鶴国安を祀る神社
7. 大安寺又四郎ゆかりの洞源寺(越前市中央1丁目2-1)
8. 鳥居景近(かげちか)・高橋景業(かげあきら)の墓(大野市泉町10)
9. 無病息災を祈る・すりばちやいと(中道院)(鯖江市長泉寺町2丁目7-7)
10.朱銀振分伊予札二枚胴具足壱領(あわら市郷土歴史資料館蔵)*常設では展示無し
11.諏訪館跡庭園(福井市城戸ノ内町)
12.宿直跡(一乗谷城跡)(福井市城戸ノ内町)
13.清水寺「朝倉堂」(京都府京都市東山区清水1丁目294)
14.湯殿跡庭園(福井市城戸ノ内町)
15.明智神社(明智光秀屋敷跡)(福井市東大味土井ノ内)
16.称念寺(坂井市丸岡町長崎19-17)
17.御所・安養寺跡(福井市東新町)
18.上城戸跡(福井市東新町)
19.沼田氏供養塔(得法寺)(三方上中郡若狭町熊川33-26)
20.発心寺(ほっしんじ)(小浜市伏原45-3)
21.軍記『国吉籠城記』と田辺半太夫家伝来の甲冑(若狭国吉城歴史資料館:美浜町佐柿25-2)
22.皇大神宮(大飯郡高浜町事代2-1)
23.本願寺派と対立した三門徒派の寺院
(證誠寺:鯖江市横越町13-43)(誠照寺:鯖江市本町3-2-38)
24.「幸若音曲発祥の地碑」と越前町幸若文化情報センター(越前町立図書館)(幸若音曲発祥の地碑:丹生郡越前町西田中8-20-22)(越前町幸若文化情報センター:丹生郡越前町西田中2-210)
25.平泉寺東尋坊の井戸(勝山市平泉寺町平泉寺64-34)
26.湊之城址(坂井市三国町山王2丁目)
27.北の庄城址・柴田公園(福井市中央1-21-19)
28.柴田勝家像(柴田神社境内:福井市中央1-21-17)
29.九十九橋(つくもばし)(福井市照手1丁目から、つくも1丁目)
30.北の庄城址資料館(福井市中央1丁目21-17)
31.西光寺(さいこうじ)(福井市左内町8-21)
32.清洲古城跡公園(愛知県清須市清洲古城448番地)
33.臨済宗妙心寺派常高寺(じょうこうじ)(小浜市小浜浅間1)
34.福井城下眺望図(福井市立郷土歴史博物館蔵)
35.越前大野城(大野市城町3-109)
36.敦賀城の跡・敦賀町奉行所の跡・敦賀県庁の跡碑(敦賀市結城町8-6)
37.若狭各地の残された古文書(丹羽長秀や長秀を含む信長奉行人によって作成された古文書)
38.土御門家墓所(おおい町暦会館:大飯郡おおい町名田庄納田終111-7)
39.丸岡歴史民俗資料館(坂井市丸岡町霞4-12)
40.小丸城跡(越前市五分市町28)
41.刃根区に残る柳ケ瀬トンネル・小刃根トンネル(敦賀市)
42.福の井(福井市大手3丁目17-1)
43.忠直卿御墓所(鯖江市神明町4-1-7)
44.丸岡城(坂井市丸岡町霞町1-59)
45.龍泉寺(越前市深草1丁目10-3)
46.多賀谷左近の墓(あわら市指定文化財・史跡)(あわら市柿原36-40)
47.上・下市場町の残影(小浜市今宮区)(小浜市小浜今宮)