首都圏の中の北陸ゆかりの地「浅野総一郎翁像と本邦セメント工業発祥之地」(東京都江東区清澄1丁目2)

首都圏の中の北陸ゆかりの地
「浅野総一郎翁像と本邦セメント工業発祥之地」(東京都江東区清澄1丁目2)


(写真上:「浅野総一郎翁像」と「江東区史跡 セメント工業発祥の地」説明板(東京都江東区清澄1丁目2)<*2023年10月25日午後訪問撮影>

浅野総一郎 翁 像
浅野セメント(現 太平洋セメント株式会社)の創設者 初代社長 浅野総一郎翁 像

江東区史跡 セメント工業発祥の地 <図:明治23年(1890年) 当時のセメント工場全景>
当地は日本で初めてのセメント工場があった場所です。明治8年(1875)、工部省が本格的なセメントの製造に成功しました。上図手前の隅田川、右側の仙台堀などの泥土を原料の一部として使い、試行錯誤の末、外国品と遜色のない国産のセメントを作り上げました。明治16年(1883)、当社創業者のひとりである浅野総一郎が払い下げを受け、その後民間のセメント工場として発展を遂げました。 平成16年(2004)5月 太平洋セメント株式会社

浅野総一郎(あさの・そういちろう、(嘉永元年(1848)~昭和5年(1930)
越中国射水郡藪田村(現・富山県氷見市薮田)で、医師淺野泰順の長男として生まれる(幼名は泰治郎)。16歳年上の姉・お富に婿を迎え跡継ぎにすることが浅野総一郎が生まれる前から決まっていて、1853年(嘉永6年)、6歳で母リセの妹で叔母のトヨの家の氷見の町医者・宮崎南禎に養子に出されたものの15歳のときに離縁。実家に戻り、その後、慶応2年(1866)、射水郡大野村の豪農の庄屋・鎌仲惣右衛門の一人娘ヤスの婿養子となり、産物会社など、いくつもの事業を始めるも、いずれの事業も失敗し鎌仲家と離縁。一旦は実家に再び戻るが、多くの借金を抱え、1871年(明治4年)、23歳のときに逃げるようにして上京。
東京では砂糖冷水売りから始め、竹皮商、薪炭商、石炭商等を経て、横浜瓦斯局が廃棄するコークス、コールタールの払下げを受け、コークスは燃料として、またコールタールはコレラの流行で不足していた消毒用の石灰酸として売り込むことに成功。また、石炭取引先の抄紙会社の渋沢栄一の知遇を得、その助力により、1883(明治16)年、官営の深川セメント工場を借り受け(翌年払下げ)、浅野工場(浅野セメントの前身)を設立。渋沢や同じ越中出身の安田善次郎などの協力を得て、経営は順調に進み、良質なセメントを大量に生産。
総一郎は、この他、主要事業として磐城炭坑(1883(明治16)年創立)と東洋汽船(1896(明治29)年創立)も経営するとともに、様々な事業の設立に出資し、役員として経営に関与。その中で、最も力を入れた事業が東京湾の埋立事業で、埋立地に臨海の工業地帯を造成して、大型船が横付けできる港を造り、また鉄道ともつなぐ大規模事業を強力に推進。ここでも渋沢や安田の協力を得、1912(明治45)年、鶴見川崎地先に150万坪の埋立計画の認可を神奈川県に出願し、15年かけて完成させ、これにより京浜工業地帯の礎を築く。一代で浅野財閥を築いた明治・大正時代を代表する日本の大実業家となり、「京浜工業地帯を創った男」、「日本のセメント王」などと呼ばれる。享年83歳。

(写真上:「本邦セメント工業発祥之地」碑と説明板(東京都江東区清澄1丁目2)<*2023年10月25日午後訪問撮影> *「本邦セメント工業発祥之地」碑は上の写真にあるように、「浅野総一郎翁像」の近くの左隣に設置されている

本邦セメント工業発祥之地
此地ハ 元仙台藩ノ蔵屋敷跡ニシテ明治五年(1872)大蔵省土木寮ニ於テ始メテセメント製造所ヲ建設セリ 同七年(1874)工部省ノ所管トナリ深川製作寮出張所ト改メラレ技師宇都宮三郎氏ニ依リ湿式焼成法ヲ採用シ初メテ外国品ニ劣ラサル製品ヲ得タリ 明治十年(1877)一月深川工作分局ト改称サレ工場ノ拡張相次テ行ハレ同十六年(1883)四月逐ニ 初代浅野総一郎ノ経営ニ移リ浅野工場ト称スルニ至ル 明治三十一年(1898)ニ月浅野セメント合資会社創立ト共ニ本社工場トナリ同三十六年(1903)十一月本邦最初ノ回転窯ヲ設置シ事業愈盛大トナレリ 大正元年(1912)十月組織ヲ改メ株式会社トナリ東京工場ト改称シ今日ニ及フ 蓋シ此地ハ本邦セメント工業創生ノ地ニシテ同時ニ又当社発祥ノ地タリ 仍而茲ニ其然ル所以ヲ録シ之ヲ記念ス
昭和十二年(1937)七月八日 浅野セメント株式会社 社長 浅野総一郎

(写真上:「明治27年に製造されたコンクリートブロック」と「江東区 渋沢栄一ゆかりの地 浅野工場」説明版(東京都江東区清澄1丁目2)<*2023年10月25日午後訪問撮影>

明治27年(1894)に製造されたコンクリートブロック
明治22~23年(1889~1896)に行われた横浜港築港工事で、その防波堤基礎用として明治27年(1894)に製造して海中に沈設され、昭和6年(1931)同港改築に際し引上げられたコンクリートブロックである。このコンクリートはアサノ普通ボルトラントセメントを使用したもので、配合はセメント:砂:(砂利と小割栗石)が1:2.8:5.2(容積比)水セメント比は40%程度と推定される。37年間海中にあっても損傷は認められず、優れたコンクリートであったことを証明している。 江東区登録文化財

江東区  渋沢栄一ゆかりの地 浅野工場(あさの こうじょう)
明治17年(1884)、浅野総一郎は渋沢栄一の協力のもと、工部省深川工作分局の払い下げを受け「匿名組合浅野工場」としました。セメントの需要の高まりもあり、事業を順調に進展させ、大正2年(1913)に浅野セメント株式会社(現太平洋セメント株式会社)となりました。この場所はセメント工業発祥の地として、関連のモニュメントや当時の設備が保存されています。

(写真上:「浅野総一郎翁像と本邦セメント工業発祥之地碑」(東京都江東区清澄1丁目2)が敷地前に設置されている「アサノコンクリート株式会社 深川工場」(東京都江東区清澄1丁目2)<*2023年10月25日午後訪問撮影>
尚、アサノコンクリート株式会社は、現在は、太平洋セメントの子会社。太平洋セメントは、1998年、日本セメント(旧浅野セメント)と秩父小野田(1994年に秩父セメントと小野田セメントが合併した会社)が合併し、日本最大のセメントメーカーが誕生。

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