近江における北陸ゆかりの地「梅田雲濱先生湖南塾址碑」(滋賀県大津市大門通6-24 大津市立長等小学校正門前)

近江における北陸ゆかりの地
「梅田雲濱先生湖南塾址碑」(滋賀県大津市大門通6-24 大津市立長等小学校正門前)

(写真上:梅田雲濱先生湖南塾址碑(滋賀県大津市大門通6-24)<*2023年6月14日午後訪問撮影>
碑は、大津市立長等小学校(住所は大津市大門通5-1)の北側の正門脇の道路沿いに建ち、写真の向かって右側が長等小学校校舎

江戸幕末の尊皇攘夷派の志士として活躍した梅田雲浜(1815年~1859年)は、文化12年(1815)6月7日、若狭国小浜城下竹原3番町(現・福井県小浜市千種2丁目)に若狭小浜藩士・矢部岩十郎義比の次男として生まれ、のち、26、7歳の頃、祖父の生家である梅田姓を名乗る。小浜藩校の順造館に入り崎門学を学び、京都や江戸に遊学。以後、大津で湖南塾を開き、京都の望楠軒講主となる。海防策に関する意見書を小浜藩主に送ったが、これが藩主酒井忠義の忌諱にふれ、嘉永5(1852)年に士籍を削られ浪人となる。ペリー来航後、尊王攘夷派の中心となり志士の指導者となった梅田雲浜は、将軍徳川家後継問題・条約締結問題では、一橋慶喜を擁して勅許反対を推進。青蓮院宮へ意見書を提出し戊午の密勅にも関係し。安政の大獄が始まると捕らえられ、1859年(安政6年)、江戸で取り調べ中に45歳で獄死。

若くして崎門学を修め、黒船来航以降は、京都を中心に全国の尊攘派志士の領袖として活躍し、幕末における勤皇運動の魁として、明治維新の端緒を開く重要な働きをするも、それがために、安政の大獄では最初に捕縛され、安政6年(1859)9月14日に獄死した梅田雲浜にとり、大津は、数え27歳の年の天保12年(1841年)、私塾の湖南塾を開いた土地。梅田雲浜は、天保12年(1841年)に、崎門学者・上原立斎(1794年~1854年)に就き経学を研究するため大津に赴き、上原立斎に師事し、同年に、大津に湖南塾を開く。大津に湖南塾を開いたという事実以外、湖南塾について詳しいことは分かっていないらしいが、梅田雲浜が大津に湖南塾を開いた事を記念した碑「梅田雲濱先生湖南塾址碑」が、大津市立長等(ながら)小学校(住所は滋賀県大津市大門通5-1)の北側の正門脇の道路沿いに建てられている。

梅田雲濱先生湖南塾址碑
梅田雲浜は、初めは、坂本町(滋賀県大津市坂本)にある米商、中村五兵衛の別宅を借りて私塾、湖南塾を開き、後に北保町(きたほちょう。現・滋賀県大津市観音寺)に湖南塾が移転したとされ、「梅田雲濱先生湖南塾址碑」は、大正12年(1923年)、梅田雲浜開校の私塾湖南塾の跡地に、梅田雲浜の姪・山田登美子らの意向を受け、大津青年団尾花川青年会等の協力により、建てられた。当初は、湖南塾の所在地と推定される北保町(現・滋賀県大津市観音寺)に建てる計画であったが、三井寺駅に建てられ、その後、鹿関町(かぜきちょう。現・滋賀県大津市三井寺町)へ、そして再移転で、現在の大津市立長等小学校正門前に建っていて、本来の湖南塾の跡地そのものの場所とは多少離れる位置にある。

約2mの高さの碑には、「梅田雲濱先生湖南塾址 内田周平敬書」と刻まれ、石は出身地の福井県から運ばれている。揮毫の内田周平(1857年~1944年)は、日本の漢学者・哲学者で、”明治維新のさきがけとなった先駆者は、吉田松陰、橋本左内、他の誰でもなく、まさに一介の浪人梅田雲浜だった”とまで述べている。

尚、梅田雲浜の人間性を伝えるエピソードの中で、清廉潔白な人柄を示すエピソードの一つとして挙げられる話に、梅田雲浜が大津で湖南塾を開いていた頃の話がある。小浜藩の蔵元で大津の豪商、鍵屋五兵衛が、梅田雲浜に藩との間をとりもってもらった。鍵屋五兵衛が梅田雲浜に謝礼を差しだしたところ、逆に梅田雲浜からりつけられ、「役人はみな金の前には頭を下げるのに、梅田雲浜はひどい貧乏なのに、あのような態度は実に見上げたものだ」と、非礼をわびて、以降梅田雲浜の門人になったとされる。

梅田雲浜と大津、上原立斎
梅田雲浜が、天保12年(1841年)に崎門学者・上原立斎(1794年~1854年)に就き経学を研究するため大津に赴いたことが、そもそもの大津との関係の端緒であるが、この梅田雲浜の師である崎門学者・上原立斎は、漢学者で滋賀県高島市新旭町北畑(新儀村)生まれ。大津で若林強斎の流れをくむ川島栗斎に学び、山崎闇斎の学統 を受け継ぐ。若狭の梅田雲浜が京都遊学中に弟子になることを申し出たが、その非凡さを見抜き学友として交際し、天保14年(1843年)望楠軒の講主となり京都へ移住した梅田雲浜に、弘化元年(1844)上原立斎の長女・信子を嫁がせている。信子は、書画にも優れた才女で、尊皇攘夷運動に奔走する雲浜を貧困生活にもめげず、よく尽くしたが、安政2年(1855)3月、29歳の若さで病死。上原立斎は、湖南塾址碑が建つ場所から近くの大練寺(滋賀県大津市三井寺町9-3)に葬られている。妻・信子と子の竹子・繁太郎は京都の安祥院(京都市東山区)に葬られている。

梅田雲浜関連年表
■文化12年(1815)(数え1歳)
6月7日、若狭国小浜城下竹原3番町(現在の千種2丁目)に藩士矢部岩十郎義比の次男として生まれる。母は義。源次郎義質と称す(のちに定明)
■文政5年(1822)(数え8歳)
小浜藩校順造館に入学。
■文政8年(1825)(数え11歳)
3月、父・矢部岩十郎が隠居を仰せつけられ、長男・孫太郎(義宣)が15歳で相続。
■文政12年(1829)(数え15歳)
4月、初めて京都に上がり望楠軒に通学。
■天保元年(1830)(数え16歳)
小浜藩儒(崎門学者)山口菅山に就いて学ぶ。これ以降天保11年(1840)まで江戸に留学。
■天保3年(1832)(数え18歳)
江戸から一時帰郷し、京都の医家に書生。
■天保4年(1833)(数え19歳)
江戸で学ぶ。
■天保10年(1839)(数え25歳)
山口菅山門下の第一人者と称される。
■天保11年(1840)(数え26歳)
長年の修業を終えて、江戸より小浜に帰る。このころから独立して祖父の梅田姓を名乗る。
天保12年(1841)(数え27歳)
父・矢部岩十郎と一緒に関西・九州を巡歴し、熊本で横井小楠等と交流する各藩の形勢風俗を視察。その後、再び京都へ。崎門学者上原立斎に就き、経学を研究するため大津に赴く。大津に湖南塾を開き、尊皇反幕を説く。
■天保14年(1843)(数え29歳)
6月、矢部義宣死去により江戸へ行く。弟の義章、矢部家を継ぐ。8~9月頃、望楠軒の講主となり、京都へ移住。
■弘化元年(1844)(数え30歳)
上原立斎の長女信子(この時18歳)と結婚。
■弘化3年(1846)(数え32歳)
長女・たけ出生
■嘉永2年(1849)(数え35歳)
8月、父・矢部岩十郎死去。
■嘉永3年(1850)(数え36歳)
度々、藩へ上書し、改革意見を述べる。
■嘉永4年(1851)(数え37歳)
4月、横井小楠、来訪。7月、母・義死去
■嘉永5年(1852)(数え38歳)
長男・繁太郎出生。昨冬からの病気で京都洛西高雄に移る。藩への意見が受け入れられず、藩籍を剥奪され浪人となる。8月、一乗寺村に転居。
■嘉永6年(1853)(数え39歳)
1月、京都寺町四条に移る(6月、ペリー浦賀に来航)
■安政元年(1854)(数え40歳)
1月、ペリー再来の知らせを聞き、江戸へ急行。吉田松陰その他諸藩の有志の士と対外策を協議。引き続き水戸へ赴き、武田耕雲斎等と面会し、尊攘論を力説。6月、福井藩を訪ね時局の急務を説く。不在中、妻信子・長男繁太郎病に罹る。9月、ロシア鑑が突如大阪湾に現れたため、十津川郷士等と撃ち払いを謀る。この時訣別の詩を詠む(「妻は病床に臥し  児は飢えに叫ぶ」)。ロシア艦退去のため果たせず。
■安政2年(1855)(数え41歳)
3月、妻信子病死(享年29歳)。6月、大和高田の村島内蔵進の長女・千代子と再婚する。7月、大病、家族全員病臥。秋、姪・登美子を引き取り、養育。
■安政3年(1856)(数え42歳)
2月、長男・繁太郎病死(享年5歳)。次男・忠次郎出生(時期は不明)。春、僧・月性と海防の必要性について論じ、月性を紀州藩に派遣し、防備施設の必要性をすすめる。11月、長州萩に毛利家を訪ね、同藩の奮起を切望懇談。勤皇の手段として物産交易について協議。吉田松陰と面接し、松下村塾の扁額を揮毫する。
■安政5年(1858)(数え44歳)
1月、次女・ぬい出生。2月、青蓮院宮に意見書を提出。9月、捕縛される(「安政の大獄」が始まる)。伏見奉行の獄に入れられ、後に京都六角の獄に移される。12月、江戸へ送られる。
■安政6年(1859)(数え45歳)
小倉藩、小笠原邸内に幽囚。9月14日、雲浜牢死。9月15日、小笠原家により、浅草海禅寺中泊船軒に仮に埋葬される。
■明治24年(1891)<死後33年>特旨を以って雲浜に正四位を贈られる。

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